□ 97_at "February" @the 1st
year □
第一印象は『中学生』。絶対俺より年下だと思ったし、ちょっと粋がったガキだと思った。
姫に『如月』と名付けられたその男に、荷物を届けるように、それと名刺を作ってやるようにと言われたのは、初めて会った日から数えて2日後だった。
言われるままに名刺を作って、それを持って姫のオフィスに上がった。
「ああ、水無月、そこにあるスーツケースね、如月のとこに持ってって。」
姫のデスクの前に、国内旅行に出掛けるくらいの大きさのスーツケースが置いてあった。
「名刺見せてよ。」
スーツの内ポケットに入れてきた名刺を姫に渡すと、姫はふーんと鼻を鳴らしてそれを見て、デスクの引き出しから革の名刺入れを取り出すとそこに収めた。
「これも一緒に渡して。」
「…あの…」
俺は疑問に思ってたことを口にする。
「あいつ、本当に信用できるんですか。」
「んー、どうかな。これから信用するようにするわ。」
姫は事もなげに言う。こういうとこ、いまいちついてけない…
「俺と同じような仕事するんですか。」
「あの子、多分パソコンなんて使ったことないわよ。」
また姫はあっさり言う。そして俺をじっと見て言った。
「あの子はね、男相手のハニートラップのプロなのよ。」
…え?男相手って…あいつも男、だよな…
ちょっと混乱して思わず黙り込むと、姫は面白そうに言った。
「だから、そこがいいところなの。相手もそんなこと公表できないでしょ。」
確かにそうだけど。
「まぁ、あんたはそんなこと気にしなくていいから。如月と親しくする必要もないんだからね。」
「…はい…」
ちょっと言いよどむと、姫は一瞬冷徹な目になって、俺をねめつけた。
姫に言われたビジネスホテルで、姫に言われた部屋番号をフロントで告げると、ほどなく如月がエレベーターで下りてきた。
「キサラ、おはよう。」
何の気もなく、俺は声を掛けた。
多分身一つで、姫にここにいるように言われたんだろう、よれっとしたワイシャツにしわになったスーツのズボンで…とてもじゃないが、男をたらし込めるような奴とは思えない。
荷物を渡して言葉を交わす。口の利き方も乱暴だし…何なんだろう、こいつ。
でも、じっと俺を見ている視線を感じて、瞬間、どきっとした。
「なんだよ、ジロジロ見て。」
不機嫌そうな声になってしまう。
「あ、ゴメン、こないだはあんまり顔もよく見てなかったからさ。」
悪びれずサラッと言う声に、逆にドキドキしてしまう。俺は顔を背けて言った。
「…姫は、俺達があまり親しくなることは望んでないんだ。」
「仕事が仕事だから?」
「ああ。」
「姫にそう言われたのか?」
…どこまで話していいんだ。俺は思わずうつむいた。
「別にテメーと親しくなろうなんて思ってねえから安心しろよ。」
…そりゃあそうだよな…素っ気なく言われて、何故か拍子抜けした感じがして、ちらっとキサラを見ると、奴はまだじっと俺を見ていた。
早く、ここから立ち去らなくては。
「じゃ、それ渡したから。」
動悸がする。声がちょっとかすれてしまった。俺は急いでその場を後にした。
次に連絡が来たのはさらに3日後だった。
キサラに渡していたマイクの電波が入った。俺は、奴がいるホテルの裏に車を停めて、ノーパソにヘッドフォンをつないで音を拾いながら記録を採っていた。
キサラと男の声がする。ドアが閉まる音がして、数分後には情事の声が聞こえた。
あーあ、お盛んだなぁ。俺はちょっと呆れながら、でも途中で何か言うかもしれないと思って、耳とノーパソの画面に集中した。
…キサラの喘ぐ声が耳の中にダイレクトに入ってくる。妙に艶っぽい。相手を煽り立ててその気にさせる。相手の男の興奮がこっちにも伝わってくる。
俺は思わずフロントガラス越しにホテルの窓を見上げた。この建物のどこかで、キサラが男と寝ている。身体中を弄ばれてる。
それはあいつの『仕事』なんだろうけど…なんでそんなことができるんだろう。
元々男がすきなのかな…そんな感じはしなかったけど。
俺は、3日前に会ったキサラの顔を思い出しながら、頭の中がだんだんぼうっとしていくのを、まるで他人事のように感じていた。
突然、ブツッと音声が途切れて、ハッと我に返る。
終わったのか…?何が?アレが。
俺も早いとこ退散しなくては。ノーパソを後部座席に置いて、車のエンジンをかけた、そのとき。
ホテルの入口から、キサラがものすごい形相で駆け出してくるのが見えた。その後ろを、背の高いがっちりした身体つきの男が、胃の辺りを押さえながら追い掛けている。
ふたりは俺の車の横を走り抜けて、後方に去っていく。
おい、これ、まさかバレたのか…?
俺は慌てて車をUターンさせると、ふたりの後を追った。この先は昼間は一通だけど、この時間は解除になってる。タクドラやってたときの経験がヘンな場面で役に立つ。
すぐにふたりに追いつくと、少し追い抜いた先で助手席のドアを開けた。
「キサラ、乗れっ!」
キサラは一瞬大きく目を見開いて俺を見た。でもすぐに
「おうっ。」
と助手席に飛び乗ってきた。そのまま俺は車を夜の街に急発進させた。
はぁ、はぁ、っとキサラは荒い息を吐き続けている。よっぽど大慌てで逃げてきたんだろう。運転しながらちらっと見ると、視点も定まらないようで、目をぱちぱちさせていた。でも、ぐっと息を呑み込むと、
「テメー、なんであんなとこにタイミングよくいやがったんだよ?」
なんて言ってのける。
「はっ。礼もなしでそれかよ。」
俺もつい突き放したような口調になってしまう。
「おまえのマイクで拾った声を録ってたからに決まってるだろ。」
キサラはきょろきょろと車の中を見回すと、後部座席のノーパソに目を留めて、小さくうなずいた。それから、ふぅ、っと大きく息を吐いて、シートに深く収まった。
あまり人通りのない裏道を選んで車を走らせる。多分、地元の奴でもこの道を車で通り抜けられるなんて、あまり知らないと思う。キサラも窓の外を見ながら、ちょっと不思議そうな顔をしている。
その横顔を見てるうちに、俺は自分の中に何とも言葉にしずらい、もやもやした感情が湧き上がってくるのを感じていた。
…どうして?どうしてこいつ、こんなことを仕事にしてるんだろう?
訊いてみたところで、それが自分の仕事だから、と言うだけで、「どうして」という答えは得られなかった。ただ、小さく溜息を吐いてすぐにきゅっと結んだ口元が、『スキでやってる訳でもないけど、イヤイヤやってる訳でもない』のを示していた。
車から降ろす場所を探して繁華街に向かっていると、ふいにキサラが言った。
「なあ、このこと、姫には言うなよ。」
自分のミスを隠蔽。それはおまえの勝手だけど、俺を巻き込まないでほしい。思わずイラッとして、俺は言った。
「口止め料は?」
別に、金が欲しくて言ったわけじゃない。でもキサラは露骨に眉を寄せた。
「俺だって遊びでやってんじゃねえんだよ。おまえ、あそこに俺がいなかったらどうするつもりだったんだ?おまえのために危ない橋渡るのなんかゴメンだからな。」
一気に言うと、キサラはちょっと呆れたみたいな顔になって、それから小さく苦笑した。
「分かったよ。悪かったよ。いくら欲しーんだよ。」
まるで小さな子どもをなだめるみたいな声。その、予想以上の甘さに、俺は胸の奥がすとん、と落ちていくのを感じた。
「金なんか…要らないけど…」
言いながら、路肩に車を停める。繁華街のタクシー乗り場。目的地に着いてしまった。
キサラの顔を思わず見つめる。引き込まれる。この感情を、俺は体験的に知ってる。
ただ、今まで女に対してしか感じたことはなかった。それも何年も前に。
今、急に、どうして、こいつに対してそんな感情が動くのか、理解できない。
触れたかった。髪に。頬に。唇に。
その視線は俺に留まっていても、俺を見ていないことに気付く。その、空を切るだけの視線の先に、俺を認識させたい。
黙りこんだ俺をいぶかしむように、キサラが口を開いた。
「なんだよ。」
「…まあ、今日のところはいいや。早く行け。」
俺は慌てて目をそらした。
「ああ。ありがとな。」
何でもなかったみたいに、キサラは車を降りると、振り返りもせずに、客待ち中だったタクシーに乗り込んだ。
そのタクシーが行ってしまうのを見送ってから、俺も車を発進させた。
何ひとつ、答えは出ていない。「どうして」だけが増えていく。だけど、多分、分かったことがあった。
あいつが、身体をつなげることが平気なのは、キモチを閉じているからだ。
表面上の客観的な事実だけをすくい取って、あっさり消化してしまっているからなんだ。
誰にも知られないように、笑顔と甘い声だけ残して。
その、作り物の笑顔の下にある、本当のあいつを暴きたい。
あいつのキモチの中に入りたい。
そうして、そんなことが許される、『特別なひとり』になりたい。
どうしてなのか、分からない。だけど、俺は確信していた。
これは、恋だと。
to be continue…