□ You are the one □


 玄関の戸を開けた途端に、ばかでかい笑い声が聞こえてきた。
 たたきにはくたびれたスニーカー。…神津さんが来てるのか。
 思わず舌を打って、俺はDKの引き戸を開けた。
「ただいま…」
「おー!サトちゃん、おかえりぃ!お仕事ごくろーさまです!」
 俺の言うのに被せるように、神津さんは右手を軽く上げて笑い掛けてきた。
 そのはす向かいに座っている江利さんに目をやると、ちょっとバツが悪そうな顔で、
「おかえり。お疲れ。」
と声を掛けてきた。
 テーブルのまん中には一升瓶がどんっと置かれ、宅配ピザの食べかけやら、さきいかやピーナツやなんかの袋が散乱し、ふたりは手酌でコップで呑んでいる。
「まるっきり、オヤジ呑みですね。」
 呆れ声で言うと、神津さんはまた大声で笑って、
「ひでえなあ、サトちゃん。俺たち、こう見えてもまだ29だって。」
と、コップを掲げてみせた。…だから、そーいうとこが…
 江利さんを見ると、こっちもだいぶできあがってるみたいで、ぼうっとした顔で頬杖をついて、さきいかをかじっているところだった。
 ダメだ、こりゃ。俺は諦めて、一旦自室で着替えてからDKに戻り、炊飯器を開けてみた。保温になったままの飯がある。お茶漬けかふりかけでも掛けて食べてしまおう。食器棚から茶碗を取り出していると、神津さんが後ろから声を掛けてきた。
「サトちゃんも呑まねえ?」
「いえ、結構です。」
 即座に断る。なんで神津さんと呑まなきゃなんないんだよ…
 江利さんの友達だから、俺もこうやって接してるけど、そうでなかったら会話さえしないと思う。正直、苦手なタイプだ。
 初対面のときからずけずけと話し掛けてきて、遠慮もなにもなかったし、悪気はないんだろうけど図々しすぎる。
 江利さんに直接そう話したことはないけど、俺の態度でそれは察してるみたいで、なるべく鉢合わせしないようにしてくれてたんだけど。
 小さく溜息を吐いて、俺は飯の上にゆかりのふりかけを掛けてテーブルに戻った。江利さんの向かい側、俺の定位置だ。でも目の前には乱雑に開けられたキューちゃん漬が袋のまま置いてある。…せめて器に移せよ…俺は食器棚から小鉢を出してきて、キューちゃん漬を移し替える。
「サトちゃん、マメだなあ。」
 …だから、いちいち声がでかいんだって…俺は神津さんをスルーして、やっと腰を下ろした。
「なあ、マジで、サトちゃんも呑もうよ。」
 ゆかりご飯を食べる俺に、神津さんはしつこく絡んでくる。面倒くせえなあ。俺は、神津さんに見せつけるようにキューちゃん漬をばりばりと食べた。
「おい、神津、サトに呑ませんなよ。」
 あまりに何度も言ってくる神津さんに、ついに江利さんが口を出した。助け舟かと思いきや、
「サト、酔っぱらうとヤバいから。」
なんて笑ってる。
「ヤバいってなに?脱ぎ出すとか?泣き出すとか?」
 逆に興味を誘ってしまったみたいで、神津さんは江利さんの肩をばしばし叩きながら、また大笑いしている。
 ったく、なんなんだよ。俺は江利さんをギリッとにらみつけた。
 江利さんはちょっと困ったような顔をして、
「…っと、ちょっとトイレ…」
と、そそくさとDKを出ていった。
 その後ろ姿を見送っていた神津さんは、今度は俺に向き直って、面白そうにじっと見てくる。
「なんですか。呑みませんよ。」
 つっけんどんに返すと、神津さんは小さく笑って、
「ホント、面白いよなあ。」
と、両手で頬杖をついて、俺の顔をのぞき込んだ。
「あんな江利、初めて見る。」
 そして、胡乱げな顔の俺をなおもじっと見ながら、
「江利と俺さ、中学んときからのダチじゃん。だから、まあ、今までのあいつのいろいろ、一応知ってるけどさ、今のあいつってすっげえ幸せそうなのな。」
と、淡々と話し始めた。
「あいつさ、いまいち家族の縁が薄いじゃん。そのせいか知んねえけど、あんまし他人と距離をつめて来ねえってゆっか…そーいうとこあんだけど。」
 …神津さんは他人との距離が近すぎると思うけど。でも、そんなふうに思ってたのか、このひとは江利さんのこと。それが寂しくて、なおさら距離を近付けていたのかな。
 首を傾げた俺に、神津さんは
「でも、最近は一線引かれなくなったっていうか。」
 言いながら、また酒を一口呑む。
「サトちゃんのおかげかな。」
 また俺に笑い掛けてきた。
「サトちゃんと付き合うようになって、きっとココロの隙間みたいのがなくなったんだろうな。安心して他人と接することができるようになったってゆっか。」
「…そんなこと…」
 面と向かって、しかも他人から言われると、なんて返していいか分からなくなってしまうようなことを、神津さんはさらっと言う。
「だからさ、江利のこと、頼むな。」
 神津さんはそう言って、俺に頭を下げた。
 …このひと、本当に、友達として江利さんのことちゃんと見て、大事に思ってくれてるんだな…。それが初めて分かって、俺はちょっと感動した。普段おちゃらけてるようにしか見えないから、なおさら。だから俺も真剣にうなづき返す。
 でも、次の瞬間、神津さんはいつものからかうような顔になって、
「さっきもさぁ、サトちゃんが帰ってくる前、江利の奴、ずーっとのろけてて。」
と、ニヤッと笑った。
「…は?」
 ポカンとする俺に、神津さんはなおもニヤけた顔で、
「サトちゃんのこと、可愛い可愛いって。普段はビシッとしてツンツンしてるのも可愛いし、なついてきても…」
 言い掛けたとき、DKの引き戸が開いて、江利さんが戻ってきた。神津さんは横目でちらっとそっちを見て、また含み笑いをした。
「ん?どした?」
 江利さんが椅子に座ったのを見て、神津さんは逆に席を立った。
「俺、そろそろ帰るわ。」
 そして、椅子の背に掛けていた作業着のジャンパーを羽織ると、
「また遊びに来てもいいかい?」
と、俺に向かって言った。
「はあ…」
 あいまいに応えると、神津さんはまたニッと笑って江利さんに小さく手を上げてみせて、DKを出ていった。


 さっき神津さんが言ってたことは本当なんだろうか。
 乱雑なテーブルの上を片付けながら、俺は考えていた。
 だって、江利さん、俺に対しては最初から世話焼きだった。強引に近付いてくることはなかったけど、いつでも間口は開いてる感じだった。だから、俺も安心できた。
 市指定の燃えるゴミ箱袋にピザのカートンを詰め込みながら、俺は流し台で洗い物をしている江利さんの後ろ姿を見つめる。酔いは醒めてきてるみたいで、普段通りの江利さんだ。洗い終えて、蛇口をきゅっと絞めたのが見えて、俺は江利さんの背後に近付いた。
「なあ、江利さん?」
 軽く寄り掛かるように身体を寄せる。
「神津さんに、俺のこと話してんの?」
 小さな声で訊くと、江利さんは振り返って流し台にもたれ、脚の間に俺の身体をはさんで、腕は俺の腰に回した。そして、俺をじっと見つめて、
「うん。イヤだったか?」
と、逆に訊いてきた。
「イヤじゃないけど。」
「…自慢したくて。」
「自慢?」
 びっくりして思わず目を見開くと、江利さんは口元をわずかに歪めて、
「おまえが可愛くて仕方ない。」
と、つぶやくように言った。
 …もしかして、やっぱり、このひとも俺と同じく、こんなふうに他人と深い関係になったことがなかったのかもしれない。神津さんが言ってたのも、そういうことが含まれてるのかも。
 急に、江利さんを愛おしく思う気持ちが膨らんで、俺はその首に腕を回した。
「俺のこと、だいすきなんだな。」
とささやき掛けると、江利さんは腰に回した腕をきゅっと絞めた。
「俺も、だいすきだよ。ずっと、ここで、一緒に暮らしたい。」
 もう一度、耳元でささやく。江利さんは俺の背を抱き直して、改めてぎゅうっと抱きしめた。
「…ありがとな、裕真。」
 ちょっと泣きそうな、湿った声。俺はくっついた頬にちゅっと口づけて、愛しいその顔に笑みを返した。

Take Fiveに戻る
もくじに戻る