□ in early days / HIBARI age18 □ (2)


 それから1ヶ月、芹澤から一切予約は入らなかった。
「いよいよ金が尽きたか。」
と、重浦は気のない声で言った。
「結構いい客だったのになあ?」
 横目で俺を見てるのに気付かないふりをして、俺はしゃがみ込んで爪を切っていた。
 重浦は、
「おまえ、爪切ったらちゃんとやすりかけろよ。」
と言いながら、背後から俺を抱え込むと、小さい子どもにするように、俺の指を1本づつ持って爪を切り出した。
「自分でやるって。」
 腕から逃れようと身動ぐと、奴は肘と膝で俺を抑え込んで、
「メンテナンスってやつだよ。」
と、耳をくすぐるように息を吹き掛けた。
「やめろよ、気持ちわりいなあ。」
 俺は無理矢理その場から立ち上がった。なんだか本当に気分が悪かった。
 重浦は口端を片方だけ持ち上げて鼻で笑うと、
「なにイライラしてんだよ。」
と言った。
「別にイライラなんてしてねえし。」
「そうか?」
 重浦はもう一度、ふんっと嗤うと、切っていた爪を片付け始めた。

 次の週末。
 何もすることもなく、部屋でひとり、だらだらとテレビを見ているところに重浦が帰ってきた。
「仕事だ。センセイから予約入った。」
 重浦はズボンのポケットからくしゃくしゃになった1万円札を数枚、無造作にテーブルに放った。
 決まった時間に、決まった場所で。仕事に行くのはなんともないけど、俺は芹澤と会うこと自体が気重になっている自分に気付いた。
 今まで、イヤな客に当たって頭にくることは何度もあったけど、こんな、気がふさぐような、重苦しい気分になることはなかったのに。
 とりあえず、することだけしてさっさと帰って来よう。そう、芹澤はただのウリの客だ。セックスすること以外に何があるっていうんだ。
 ホテルまでの道すがら、俺はなんとか自分を奮い立たせようと、まるで楽しいことが待ってるかのように、自分に思い込ませる努力をしていた。

 芹澤は、俺を乱暴に扱うようなことはない。むしろ遠慮してんのかと思うくらい、おそるおそる触れてくる。却って俺の方からけしかけて事に至ることさえあった。
 それは、芹澤の性格なんだろうけど、俺は決してイヤだとかつまらないとか思ったことはなかった。
 なかったはずだ。
 なのに今、芹澤を目の前にして、俺はあからさまにイライラしていた。
 芹澤は、ホテルの部屋の安っぽいソファに浅く座って、テーブルに何か書類を広げていた。
「…先生、何これ?」
 俺はテーブルを挟んで芹澤の向かいに立ったまま、その書類を見下ろした。
「通信制の高校の入学案内だよ。」
 芹澤は俺にまっすぐ顔を向けて言った。
「…は…?」
 思いもよらない言葉に、俺はぽかーんと芹澤を眺めた。芹澤はそんな俺に、噛んで含めるように話し出した。
「君は、ここでこんな仕事をしてちゃいけない。ちゃんと学校で教育を受けて、ちゃんとした職に就くべきだ。」
 その声は妙に確信に満ちていて、それが俺には気味悪かった。
「この半年、君と過ごして分かったよ。君は頭の回転が早くて、仕事の呑み込みも早い。頭がいいんだ。ちゃんとした教育を受けさえすれば、充分、社会でまともにやっていけるはずなんだ。」
 芹澤が力説すればするほど、俺は自分の体温が下がっていくように感じていた。指先が冷たい。
 こいつは、ずっとそんなふうに思っていたのか?俺を、『まともに教育も受けてない、可哀想な子ども』だって?だから俺に教育を受ける機会を『与えてあげよう』って?
 芹澤はまだ何か熱く語っている。でももう、そんなの耳に入らないし、気持ちはびたとも動かなかった。
「…亮くん?」
 顔をのぞき込むように見上げられて、俺の中の何かがふつりと切れた。
「黙れ。」
 感情がこもらないと声が低くなってしまうのは俺の癖だ。でも芹澤はびっくりしたように口をつぐんだ。
「テメーにそんなこと言われる筋合いねえんだよ。」
 素の口調で芹澤と話したことはなかった。初めて聞く、俺の粗野な言葉に、芹澤は頬を強張らせた。
「何様のつもりだか知らねえけど、テメーだって金払って男買いに来てるんじゃねえか。」
 吐き捨てた俺に、芹澤は慌てたように、
「そうしなければ君に会えないから…」
と声を震わせた。
「僕はね、本当に君のためを思って言っ…」
「だぁからぁ、そーいうのが…!」
 俺はテーブルの上の書類をなぎ払うと、拳でテーブルを叩いた。
「俺のためって何だよ。上から喋ってんじゃねえぞ。俺のためって言うならな、テメーはただ黙って金払って俺を抱きゃいいんだよ。」
 芹澤は絶句して、また俺を見上げた。だけど、次にはきゅっと口唇を結んで、それから吐き出すように、
「それじゃ君は幸せになれない。そんなの間違ってる。」
と言った。
「幸せとか不幸とか、正しいとか間違ってるとか、そんな答え合わせなんか要らねえんだよ。俺は俺の生き方をするだけだ。」
 俺も芹澤を見下ろして、ハッキリ言った。それ以上もそれ以外もない。そして、そうするしかない。
 芹澤はほんの少し目元を歪めた。泣くのかと思ったら、静かに立ち上がって、散らばった書類を広い集めた。そして、
「そうか、君はそういう人間なんだな。」
と、独り言のようにつぶやいた。その口調は、俺を責めているというより、どこか悲しそうだった。
「君はきっと後悔しない。これが自分だからって、受け入れて生きていくんだろう。だけどね、それがどんなに苦しいことかって、きっと分かるときが来ると思うよ。」
 書類を集めると、芹澤はそれをかばんにきっちりと納めた。それから俺を振り返ると、
「楽しかったよ、亮くん。僕は、君に…」
 言い掛けて、視線を落とす。
 ああ、こいつはもう、俺のとこには来ないんだな。ホッとしたような、何故か寂しいような…なんでこんなふうに思うんだろうな、俺。
 でも、そんなら長居は無用だ。
「…じゃあ。」
 俺はそのまま出入口のドアに向かった。
 芹澤は何も言わなかった。

 重浦のアパートに戻ると、相変わらず奴は寝転がってビールを呑みながらテレビを見ていた。
「なんだ、早えな。」
 呑気な口調だけど、何かを探るように俺を見据える。
「ああ、今日はもう、閉店ガラガラだよ。」
 俺はシャッターを下ろす仕草をしながら言った。
「何かあったんか。」
「何も。」
 そう、何も。何もない。いつでも、何も。
「もう寝る。」
 重浦の顔を見るのも億劫で、俺は隣の部屋に移った。
 何もないんだから、何も考えたくない。何も要らないから、だって誰も、俺には何も…
 そんなふうに考えてしまう自分がイヤで、俺は着替えもせず、毛布を身体に巻き付けて、ただ深く眠りたいと願っていた。

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