田舎のお宝!伝統行事

平谷村教育委員会出版「わが村の文化遺産」と、お年寄りの話を参考に、伝統行事の紹介をしていきます。

  1月

新年の行事
1月1日(初詣)

新年を迎えるころ「雲谷寺(うんこくじ)」の除夜の鐘が村中に響き渡ります。


近年、村中の寄付で「鐘」が購入され、その年は除夜の鐘を打つために、長い行列ができたのでした。

   《平谷村に伝わる話・「竜にとりつかれた雲谷寺の鐘」》

次に向かうのは「赤坂稲荷」です。

朱塗りの鳥居40基ほどがぎっしりと並び「御神木(推定樹齢200年)の杉」が本堂の両脇に立っています。

願掛けによって「鳥居」を寄進したり「赤い旗」を奉納するのがならわしとなっています。

進学・就職・開運・商売繁盛に利益があると言われていますが、「探し物がみつかる」という力もあり、現代まで信仰が続いています。


最後に向うのは「諏訪神社」です。

古文書によると「1684年に神社を再建した」とあるので、創建はこれ以前のようです。
何度も改修を繰り返し、平成10年に全面改修されました。

平谷村全体が同じ氏子で信仰を続けてきた事は、全国の歴史の中でもめずらしいそうです。

元旦の0時に参拝する人が多く、氏子衆が「かがり火やお神酒」で迎えてくれます。
雲谷寺の鐘
赤坂稲荷

諏訪神社
1月2日(お日待ち講)

当年厄年の厄除け祭りです。

男性25才・42才。
女性19才・37才。

自宅に親戚知人を招き酒宴をします。

0時になると家族で「諏訪神社」にお参りに行くのですが、お宮に入り口や自宅近くの交差点に「年の数のお金」をまきます。

厄災難を捨て去ると考えられています。

しかし近年は「お日待ち」に大勢の人を呼ぶ事なく、家族だけで行なうようになってきています。

  10月

平谷の地芝居(歌舞伎)
平谷に地芝居が伝わったのは1850年頃。


巡業の旅芸人から教えを受けて地芝居が始まったようです。

平谷の愛好家達は、「大鍬祭り」の余興として祭りを盛り立てましたが、話のさわり部分の寸劇だったようです。

郷土芸能として独立したのは昭和6年4月。

平谷青年団が一本立ち芝居を旗揚げしました。

昭和16年の地芝居は、当時の村長を初め役場職員が総出演し、その後の役者層を増やしたようです。

大東亜戦争のため17年以降は休止しましたが、終戦後昭和22年から青年団を中心に復活。

昭和47年11月「平谷学校創立百周年記念」に村内外に披露されました。

この時「平谷歌舞伎保存会」が結成され、地芝居は「歌舞伎」と名を改め、村の無形文化財として保存される事になりました。

しかしその後・・・過疎化が進み後継者不足のため平谷歌舞伎は休眠状態になってしまいます。

そして昭和62年。

当時の公民館長が(歌舞伎保存会長を兼任)歌舞伎を存続させるために、中学生による「子供歌舞伎」を起こしました。

それ以後は・・・

秋の文化祭に大人歌舞伎・子供歌舞伎が演じられるようになりました。

ここ数年は、子供歌舞伎経験者が大人歌舞伎に出演するようになりました。

「無形文化財」として確実に後継者が育っています。
大人歌舞伎

「仮名手本忠臣蔵七段目 祇園町一力の場」
子供歌舞伎

「絵本太閤記 尼崎庵室の場」

  8月

お盆の行事
8月1日(釜の口) )

この日から玄関先で仏様を迎える火を焚きます。
昔は毎晩24日のうら盆まで続けたようです。

新盆の家は提灯を軒下に吊るし、夜中まで灯りをともします。
8月7日(七夕祭り)

祭りの後の竹は大根畑へ立てる。

ムシが付かないと思われていました。


今でも「おまじない」として竹を畑に持っていく家庭が多いのです。
8月13日〜16日

仏壇の間に精霊棚を作り、位牌を仏壇から出します。
下にススキで莚(むしろ)をしき「供物」「花」を飾ります。

15日の朝、家族そろってお墓参りに行きます。
8月14日・15日(盆踊り)

平成12年まで中町(かつての商店街)の通り、現在は「ひまわりの湯・駐車場」で行なわれています。

盆踊り歌は「のとえ」「一六踊り」「せしょ踊り」「扇子踊り」など。
昭和62年から「平谷音頭」が加わりました。
8月15日(たいとぼし)




この一年間で亡くなった方のため「たいとぼし」を行ないます。

「たい」とは、前日の14日に近親者がヒノキを細かく割って5本で1束とし合計108束のものを用意しておきます。

当日村民が来ると「たい」に火をつけます。

「水向けの茶碗」で清めながら「念仏」と唱え、燃える火の周りを3回まわります。
平成18年に雲谷寺が新築され、今年は「御詠歌」も詠まれました。

そのあと主人(喪主)に挨拶をして焼香します。
 
近年まで各家庭で行なわれ、時間ごとに村民が団体で移動するという特徴がありました。

ここ数年はお寺で合同の「たいとぼし」を行った後、親戚宅のみを訪問し「小さな・たいとぼし」を行なうように変化しています。
8月16日精霊流し(送り)

午前零時になるのを待って仏様を送ります。

玄関先で「かがり火」を焚き、ナスの牛やキュウリの馬に乗った仏様の船を川に流し冥土へ送ります。

馬達の胴に、米や味噌をくくり「御施餓鬼供養の旗」(お寺でもらう3色の紙)を切ってたてます。
8月18日(送り神)


悪霊災難を幣束(ヘイソク)に託して村外に送り出す行事です。


ススキを太く束ね円形にしたものを軽トラックに乗せて花や竹で飾りつけをします。昔は御神輿(オミコシ)にして担いだようです。


各家庭でお金(100円位)をくくり付けた幣束を準備し家中を清めておきます。

正午過ぎに、平谷の北のうつぼ地区から南の新町地区まで順番に神主(ねぎ様)に祓い(はらい)を受けながら移動します。

村民は地区ごとに集合しています。

御神輿が到着後、用意しておいた幣束をススキの台に差込みます。

ねぎ様の「祝祠」が終わるのと同時に鉄砲(現在は運動会などで使用している物)を鳴らし悪霊を退散させます。

送り神の行列に続いて、地区の境まで行き、一礼してから向きを変えて自宅に戻ります。


この時に振り向くと悪霊が取り付くといわれています。

8月24日裏盆

旧暦のお盆です。
仏様に「お団子」「天ぷら」などお供えします。

夜には小規模ながら「盆踊り」をします。

翌日、1日から飾ってあった「提灯」を燃やします。

「仏様が煙になって天に帰る」そうです。

  7月14.15日

祇園祭り(お津島様)

白樺の若木の先を切って枝先にローソクを立てたものを、夜になって火をつけます。縁側や玄関先に野菜や果物のお膳を供え、花を飾る家もあります。

厄除けの神として信仰している「津島牛頭天皇」の碑がお寺にあり、その昔、この夜に参拝していたようですが、今は誰も行きません。

慶応2年(1866)から明治元年(1870)に「天然痘」「風疹」がダブルで流行し37人の死者が出ました。そのため「津島牛頭天皇の碑」を建立したようです。

 翌日は「川原飯」といって、子供が川原で釜を作り「炊き込みご飯」(具はかなり少なめ)をします。残ったご飯を持ち帰り、家族で食べて健康を願う行事があります。
 昨年まで子供達を集めて「川原飯」を作ってくれた、おじさん&おばさんさん・・・だいぶ高齢です。
今年は開催されませんでした。

若い人たちが頑張らないと、歴史はつながりませんね・・・