口語訳

十王讃歎鈔

 

十王というのは、本地は皆すでに悟りを開かれた如来、悟れる前の段階の菩薩であるけれども、輪廻転生を繰り返す凡夫を悲しんで、しばらくの間、柔和忍辱の形を隠し、仮に極悪忿怒の姿を顕して、われわれが冥途に行く時、中有の暗闇の道に坐して、初七日より百ヶ日、一周忌、最後の第三年に至るまで、次第にわれわれを引き受けて、その罪業の軽重を考慮して未来に生まれる所を定められる。これを十王と申し上げる。およそ菩薩の恵みはまちまちであって、たがいにはないけれども、この十王のお働きはことに有り難くも不思議なものである。その理由は、このような罪の問いただしがなければ、罪のおこないを恐れる者がいなくなるからである。罪のおこないを恐れなければどうして輪廻転生から脱する道があるだろうか。

 

初七日を司るのは秦広王(しんこうおう)で本地は不動明王である。

この王へ詣でる道の間にいろいろな苦しみがある。まず人は一生の命が尽きてあの世にはいる死の門に向かう時、断末魔の苦として八万四千の煩悩より色々の病が起て、争って身を責る事、百千の鉾と剣をもってその身を切り裂くようである。このために眼が闇くなって見たい者をも見ることができない。舌の根がすくんで言いたい事も言えない。また「荘厳論」に命が尽き終わる時、大黒闇を見て深い岸に堕ちるようであり、独り広野を行くのに連れがないという。まさしく魂が去る時は目に黒闇を見て、高い所から底へ落ち入るようにして命が尽きる。

さて死んでいく時、ただひとり果てもなく広野に迷う。これを中有の旅と名づける。それで路を行こうとするけれども求むべき資金も食糧もなく、中間にいて止まろうとすれけれども止るべき所もなし。前に行こうとすれけれども資金と食糧もなく、中に止ろうとすれば立ち寄ることのできる所もない。また暗い事は闇夜の星のようだという。ただ星の光を見て行ほどの闇さなので、前後左右ははっきりしない。一人として連れもなく、ものを尋ねる人もいない。その時のありさまを思い遣ると心細くて悲しいことである。生きていたこの世が恋しくて妻子を見たいけれども、立ち帰ることのできる道ではないのでいよいよ行く道も遠くなる。行方も分からないので識別できる道もない。何につけても、身に添うものは悲の涙ばかりである。

このように目的もなく行く内に、途中で獄卒の迎を見る人もある。また初七日の王の前に来て初めて獄卒を見る人もある。此等は罪業の浅い深いによると思われる。この他また極悪の人と極善の人には中有がない。極善の人はただちに成仏する。極悪の者はただちに悪趣(地獄、餓鬼、畜生道)に堕ちる。この極善と極悪の人には中有はない。ただ普通の人や、仏道修行をしているけれども、成就する程の行業もしないで暮している人に中有がある。今はこういう人の場合である。

さて罪人は薄暗いままに足に任せて行うちに、自分だけがこの道に来たのかと思われるが、目にはさだかに見えないけれども、罪人が苦しみ叫ぶ声が時々耳に聞える。その時、胸がさわぎ怖ろしい思いがするが、また獄卒の声と思われる声も聞こえる。これはどうしよう、と思ふところに、じきに羅刹の形が見える。今まではわずかに名だけは聞いていたが、いま目の当たりにこれを見る怖しさはいいようもない。その後、羅刹は前後に付き添い、息をもくれずに責かかるので、心ならずも進む内に死出の山に行きつく。この山は高く険しい。どのようにして越えて行けばいいのかとも分からないけれども、獄卒どもにかりたてられて泣く泣く山路にさしかかる。巌の角は剣のようなので、歩こうとするが歩けない。その時、獄卒鉄棒で打ちつける。息も続かずに息絶える。しかし、そのまま消え失せるでもなく、面がわりしないですぐに息をふきかえす。これでこの山を死出の山とはいうのである。足のふみどころも分からず、険しい坂なので杖をほしがるが与える人もなく、路の石に苦労して(くつ)を願うけれども、履かせてくれる人もない。この山の遠い事は、八百里。険しい事は、壁に向うようである。嶺より下る嵐は激しく吹いて膚を(とお)し、骨髓に入る事は剣のようである。このような種々の苦しみを受けて泣く泣く死出の山路を越え、はじめて秦広王の御前にたどりつく。

見れば数知れぬ罪人たちが、様々に捕らえられて御前に並んでいた。その時、大王は罪人を御覧になっていわれた。「そもそもお前達は遠い無限の昔から何度ここに来た。それはガンジス河の砂の数にさえ譬えようもなく多い。お前たちは分からないのか。来るたびごとに地獄での報いを終えて人間世界に帰る時、鉄の棒で獄卒が三回尻を打ち、人間に戻ったならばすみやかに仏道修行をして成仏せよ、二度のこの悪趣(地獄・餓鬼・畜生道)に来るなと、ねんごろに言い含めたのに、その甲斐もなく勝手気ままに罪業を造り、すぐにまたここに来るとは情けないことよ。しかも現世の娑婆(しゃば)世界は仏法が流布している世界ではないか。どうして仏道修行をしないで、いたずらに過してまた来るのだ」とおっしゃる。

その時、罪人がいうには「おっしゃることはもっともですが、この身もとより前世での報いの結果この世での果報が悪くて、読み書きの出来ない身と生れましたうえ、また僧ではなくて在家の身でありましたので、そのような修行や覚りの道のことは考えもせず過ごしてきました。ただ、ただ不運な運命こそうらめしく思います。自分で過ちは犯さなかったと思います」という。

その時、大王は大いに怒って言われる。「ああ、お前の理屈は理屈になっていない。その理由は出家をしない在家の身であっても、仏になるべき道を願うのに何の違いがあろうか。成仏に何の智恵や才覚が必要だろうか。お前は後世という事を忘れて道理に外れ善くない心しかないので、またこのような所に来るのだ。もしまだ言いたいことがあるというのなら早く申してみろ」とにらまれるので、罪人はもっともな理につめられて声も出ない。さらに大王が、「お前は今まではばかるところもなく理屈を言っていたが、どうして今返事をしないのか」と責められるので、大王のお言葉が肝に銘じて泣くしかない。この時、亡人(なきひと)は自分の心を恨み、千度も百度も悔いるけれどもいまさら後悔してもおそい。だから後世を心に懸ける事は大事である。いたずらに多くの月日を送っていて、その上に罪業を犯し、またまた同じ三途(さんず)三趣(さんしゅ)に帰って、かさねて苦を受ける事になっても誰を恨みようもない。

皆さんは、なんとしてでも信心を強くして、即身成仏の悟りが得られるようにしなさい。

さて、この王の御前で善悪の軽重が定まらない時は、二七日の王へと送られる。

 

二七日は初江王(しょこうおう)で本地は釈迦如来(しゃかにょらい)。この王へ詣でる道の途中にひとつの大河があり、これを三途河(さんずのかわ)という。この河の幅は四十由旬(一由旬は一六里とか三〇里とか四〇里といわれるが、よくあるように誇張されたそう長い距離ではない)である。本当は奈河(ないか)という。この河に三つの渡しがある。それで三途河という。上にある渡しを「浅水瀬(せんすいせ)」という。これは浅くて水は膝より上にはこず、罪の軽い者が渡る。中にある渡しを橋渡(きょうと)という。これは金銀七宝の橋である。善人だけがこれを渡る。下にある渡しを強深瀬(きょうじんせ)という。これを悪人だけが渡る。この渡しは、流れの早いことは矢を射るようで、浪の高いことは大山のようである。波の中に多くの毒蛇がいて罪人を責めくらう。また上流から大きな岩石が流れて来て、微塵のように罪人の五体を打ち砕く。死んでも活きかえり、活きかえればまた砕く。水の底に沈もうとすれば、大蛇が口を開けて飮もうとする。浮こうとすればまた鬼王や夜叉が弓で射る。

このような大きな苦を受けて七日七夜を経て向こうの岸に着く。だから「地蔵十王経」には「二七日は亡人は奈河を渡る」とある。また引路牛頭(いんろごず)は肩に棒を持ち、催行鬼(さいぎょうき)は手に刀を持つ。引路牛頭が後より追い立てて棒で打ち叩けば、催行鬼は岸の上に待ち受けて引上げる。人間には絵にも書けないといわれるが、いま前後に鬼どものいる怖ろしさ、目もあてがたいと思われる。

また岸の上に大きな木があり、これを衣領樹(えりょうじゅ)という。この上にひとりの鬼がいて懸衣翁(けんえおう)という。また樹の下にひとりの鬼がいて懸衣嫗(けんえう)という。この懸衣嫗が罪人の衣裳を剥ぎ取って上の懸衣翁に渡すと、すぐに受け取って木の枝にこれを懸る。すべての罪人はこの木の本にくると、この鬼は睨んで衣裳をぬげと責める。その時、罪人はただ一重の衣だけである。「きっと十王の御前にまいるのでしょう。どうしてこれを脱ぎ、裸で恥を曝すことができましょうか。どうぞ許して下さい」と手を合せる。その時、その鬼は怒っていう。「お前は愚かである。ここで衣裳を惜んでもすぐに猛火で焼けるだろう。さっさと脱げ」と責めれば、力無く脱いで泣く泣く三途河の(うば)に渡す。

あわれなことである。娑婆にいた時は七珍万宝を庫に積み、色々な衣裳を季節ごとに着替え、花やかに重ね着して、従者や親族にかしずかれて暮らしてきたが、冥途中有の旅に出て苦を受ける身の習として、一衣さえも身につけず、従者一人もつかずに迷って行くことこそ悲しいことよ。後一条院が崩御の後、ある人が夢に見た。「古郷(ふるさと)にゆく人もがな告げやらんしらぬ山路に独り迷ふと(故郷に行く人はいないだろうか。告げたいものだ。見知らぬ山路にひとり迷うと)」と歌っておられたという。また皇極天皇といわれる帝は、冥途で信州の善佐(よしすけ)に逢われて、「わくらはに問ふ人あらば闇き道に泣く泣く独り行くとこたへよ(たまに尋ねる人があったなら、暗い道を泣く泣くひとり行く、と答えよ)」と告げられたとか。これらは一天の君、万乗の主であられるので、ちょっとの御幸にも百官が前後に随い、雑色(ぞうしき)が前払をして御幸なされたのに、黄泉の旅に出られれば、御供一人もないことこそ悲しいものだ。なんともまことにはかない約束事であったことか。夫婦して、天にあれば比翼(ひよく)の鳥となろう、地に住めば連理(れんり)の枝となろう、火にも水にも共に入ろうと浅からず契ったのに、生を隔てる習として、死んだ後で一人してこのような重い苦みに沈む時は夢にさえ知らなかったであろう。仲良く鴛鴦の衾をかさねたのも、いついつまでと亀鶴の契りをしたのも、ただ短い露の命のある間だけであるのだ。

さて初江王の法廷にひざまずく。その時、大王が罪人に向っておっしゃるには、「お前は生きていた時どのような善根をなし、どのような功徳をなしたか、すみやかに述べよ」とおっしゃる。時に罪人は娑婆においてちゃんと行った善根もないので、ただ口を閉じて黙っている。この時の悲しさは限りもない。「どうだ、どのようなことをしたのか」と責められるので、もしも逃れる事ができるかと思い、「忘れて覚えていません」と申し上げる。

その時、大王は「それなら双幢(そうどう)の巻物を」とおっしゃる。その巻物というのはこの大王の左右に(はたほこ)があって壇荼幢(だんだどう)という。その上に人の頭があり、左を大山府君幢(たいざんふくんどう)といい、右を黒闇天女幢(こくあんてんにょどう)という。左におられる大山府君という神は一切の小罪までをもらすことなく記しておられる。右におられる暗闇天女という神は一切の小善までもらさない。あわせてこれを双幢という。その人頭の神が人間の事を見ることは、掌の中を見るように何でもわかる。亡人の一生の善悪をことごと記してある巻物を大王にさしあげる。大王がこれをお読みになると、罪人はこれを承って我身の振舞の恨めしさ、身を切さくばかりである。その時、大王は獄卒を呼んで、「この罪人はそうそうに地獄へ送れ」とおっしゃれば、罪人はあまりの悲しさに泣く泣く申し上るには、「ご沙汰のように我が身には助かるべき功徳もないけれども、娑婆に妻子眷属(さいしけんぞく)もおりますので、私の為に追善をしてくれるものと思います。できればその善根を待ちうけたく、大王の御前に止めさせてください」、といえば、大王は「お前はそう思うなら、慈悲をもってしばらく待つとしよう」とおっしゃる。

まこと十王の中にもこの王は御慈悲深くていらっしゃるようだ。それは本地が釈迦如来であられるので分け隔て無く平等の御慈悲なのでなんとかして亡人を助けたいと思われるのであろう。たとえば父母が病の子を思うように思われるようだが、人々の業の力が仏の力にまさり、業因によって感果する(因があって果がある)道理は必然なので、仏の御慈悲でもどうにもならない。それで、かたじけなくも釈迦如来の大悲の御胸を悩まし申し上げることになる。我々が不信心にして求道の志もなく不孝の身となる事は悲しんでも余りある。だから釈迦如来はねんごろに種々の教えを説いてどのような場合もうまくいくようになされ、ついに人々を救うという釈迦如来がこの世に現れた本懐の法華経をお説きになって、すべての者を教化して仏道に入らせるようになされたのである。心してこの(ことわり)を思い、成仏して悟りを得たいと思うなら、それぞれにふさわしい妙法の唱えをなし、ひたすら信じて「以信得入」すべきである。しかるに信心を疎かにして、三途(三趣)に落ちて重い苦を受けてから、不信心を悔いても益のないことである。たとえば網にかかった鳥が高く飛ばなかった事を悔いるようなものである。

さて罪人が、妻子の追善は今や、今やと待つのだが、追善はないようだ。かえってその子供たちは残こされた財宝を争って種々の罪業を犯すので、罪人はいよいよ苦を受けることになる。哀れ、娑婆にあった時は、妻子の為にこそ罪業をも犯して頑張ったのに、今このような憂き目を見ているのに、追善も行わず、苦を軽くする程の少しの善根も送ってこないとは、この恨みは限りもない。貯へ置いた財宝はひとつさえ今の用には立たなかったと、一方(ひとかた)でない悲しさに泣きさけぶことこそ哀れである。大王はこれを御覧になって、「お前の子供は不孝の者だ。今はどうしようもない」といって亡人を地獄に堕す。もしも追善を行い、悪人でも助けることの出来る逆謗救助の妙法蓮華経を唱えてあげれば、成仏できたのである。そうすれば大王も歓喜なされ、罪人も喜ぶ事は限ない。

あるいはまたこれといった弔いもなく、死後、親族が罪業をなすこともなく、罪が定まらない時は次の王へ送られる。

 

三七日は宗帝王で本地は文殊師利菩薩である。この王の内裏(だいり)に詣でる道にひとつの関がある。これを業関(ごうかん)という。関守の鬼がいる。その形は譬えようにも譬えるものがない。頭に十六の角があり、面に十二の眼がある。この眼を動かす時、光りの出るのが(いなびかり)のようであり、口より炎をふき出す。罪人はこの鬼を見てたちまち失神する。

この時、鬼はしばらく目を閉じて罪人を静めていう。「お前は知らないのか。ここには関がある。そうそうに関役(関代)をだせ」と。その時、罪人がいうには「娑婆にあった財宝は、息が絶え眼を閉じた時、ことごとく捨ててひとつとして身につけておりません。ただひとつ着ていた衣は三途の河で剥ぎとられてしまった。今は見るように裸なので何物を関役(関代)には出せません。だからただ通していただきたい」という。その時、この鬼は目を開き大いに怒って言う。「この関に来る程の罪人は物の命を殺し、人の物を盜すみ、あるいは強奪した類の者である。こうした罪業はみな手足をもって行うのだ。お前の手足を関役(関代)に出すのがよかろう」というやいなや、罪人の手足をつぶつぶと切り取って鉄の板の上に並べて置く。罪人はこの時、気を失うが、またしばらくして気がつく。業の悲しいことには影のような手足が出来、みずから歩くともなく業風に吹かれ、とかくしてどうにかして宗帝王の御前に参上し、恐れ入って泣く泣く我身に罪がないことを申し上げる。

その時、大王がおっしゃる。「お前は(よこしま)な者だ。罪業がなければこの道を来る訳がない。来ながら過ちがないなどというが、どうして隠せようか。なんといってもお前が一生の間に犯した罪業は倶生神(くしょうじん)がことごとく記している。詳しく読んで聞かせよう」といって大王が自ら読み上げられる。御声は大きく高く雷の鳴るようだ。罪人はこれを聞いて血の気も退いてしまう。しかし娑婆で作った罪業、殺・盜・婬・妄等の四重八重の重悪罪、また人にもしらせず、心中に隠して置いた所の悪業等、いちいち毛さき程も隠しようもなく委細(いさい)に読み聞かせれば、罪人はこれを聞いてなんともいえず、ただ涙にむせぶが、今はなんとかして免れようと思って申し上げるには、「わが身の罪業は御札の面に隠れようもなく現れていますからには、争うことでは御座いません。しかしながら娑婆に子供も多くおりますので、その中にもしや親孝行な子がおればおそらく善根を送ってくれると思います。ひとえに大王の御慈悲にてしばらく御待下さい」と歎いていえば、大王は表面には怒っていらっしゃるが内には御慈悲深く、「お前の罪業がいちいち隠れも無い上は、地獄に堕すのが当然だが、まずは待つとしよう」とおっしゃる。それで罪人の喜びは限り無い。

このように大王がお待ちなられる間に、孝子が善根を行えば、亡人は罪人であるが地獄行きをまぬがれる。大王も追善を喜ばれて、「お前には似ない子供だ」と、誉め讃歎なされる。あるいはまた断罪が決定しないならば次の王に送られる。

 

四七日は五官王(ごかんおう)で本地は普賢菩薩(ふげんぼさつ)である。この王のもとへ行く道に大きな江がある。これを業江(ごうこう)という。広さ五百里である。その水は波が静かで熱いことは熱湯のようである。臭いことは死体の匂いがして四十里に漂うという伊蘭(いらん)(たと)えとするも及ばない。罪人はこの江を渡るまいとあらがうが、獄卒が棒で押し込む。力及ばず渡れば、身体がただちに乱れて苦みは限りがない。また鉄のくちばしのある毒虫が多く集って罪人の身に付いて吸い喰らう。このように七日七夜の大苦悩を受けて五官王の御前に参上する。罪人が大王を拝み、歎いて言うには、「これまで参いりました道すがらの大苦悩に身心は消え果てました。娑婆での罪業がこれ程までとは思いませんでした」という。時に大王は怒ておっしゃる「お前は知らないのか。小さなことも大きな結果をもたらすという小因大果の習いを。お前は心には小罪と思うけれど、苦しみの結果を感ずる時は必ず大となる。それなのにお前が冥土の役人を疑い恨むなどもってのほかだ。所詮、お前の一生の間の悪業はひとつも失せることなくお前の身の中に埋まっている。それが分かる秤がある。これを業秤(ごうばかり)という。早く秤に懸けて見るがよい」との役人へのお言葉である。それで鬼共が亡人を受け取って秤にかけてみる。秤石は五十丈の大磐石である。罪人の身はわずかに五尺である。これを懸け比べてみると石の軽いことは(うさぎ)の毛のようで、業には秤石のように重さがある。重者先牽(重い方が先に牽く)といって秤は必ず重い方へ傾くものである。

この時、牛頭(ごず)馬頭(めず)はみんなそれぞれに秤を指さし、口々に「どうだ、見たことか」と亡人を恥しめれば、どうしようもなく思われる。そこで鬼たちは亡人を秤の台より下していう。「お前は(はばか)ることなく悪業を作りながら、法廷の裁きをないがしろにして疑い争う、罪科は重いぞ」といって、鉄の棒で百度千度と五体を打つと、身体手足が破れ砕ける事、微塵のようになって死んでしまう。業の報であるからまた生きかえる。生きかえればまた打ち砕く。

さて暫く息を続かせて大王がおっしゃる。「よく聞け。娑婆にいる妻子がねんごろに弔うならば、これまでの王の前で善処の生に転じたであろうに、お前が死んだ後は、妻子は自分自身のことだけを考え、この世をどう過ごそうというばかりで、お前の事を忘れて弔う事もない。それでお前は救われることもなくここまで迷って来たのだ。仏が説いておられた「妻子は後世の怨なり」とはこのことである。今のこの苦の代りになるものがあろうか。そうであるのに恨むべき自身の身を恨まずに、冥土の役人を恨む事は愚癡(ぐち)の極みである。とはいいながら少しは仏法の結縁があればこそ、地獄にも堕ちずにここまでは来たのであろう。この罪人を次の王へ渡せ」とおっしゃる。このようにして亡人は次の王へ送られる。

 

五七日は閻魔(えんま)王で本地は地藏菩薩である。閻魔とは天竺での言い方で、唐土では息争(そくじょう)王という。この王の前では争を息(やめ)るからである。この王宮は人間の地を去る事、五百踰繕那(ゆせんな)の地下にある。高さもまた同じである。この王の座るところは縦横六十由旬である。その城は七重で、また大城の四面を鉄の垣根で囲っている。四方にそれぞれ鉄の門を設けている。門の左右にはまた壇荼幢(だんだどう)あり、幢の上に同じく人頭があり、よくはっきりと人間の振る舞いを見ていて、亡人の善悪はすべて記して大王に奏上する。この札をもとに大王が判断なさる。次に別院がある。光明院という。この院内に九面の鏡があり、八方にそれぞれひとつずつ鏡を懸けてある。中央の台の鏡を淨頗梨鏡(じょうはりきょう)という。

およそこの王の御顏には猛悪忿怒の相がある。罪人は御顔を拝するとまず肝を抜かす。それは、御眼は大きくて光があり日月のようで、顔は赤くて怒っている激しい勢いに、罪人は目がくれ、肝も消えるのである。また罪人を恥しめお怒りになる御声は大きく高くて、百千の雷が同時に鳴りかかるようである。さっそく罪人におっしゃるには、「お前がここに来る事は昔より幾千万回という事、数えしれない。娑婆世界で仏道修行を成しとげ、再びこの悪処へ来るでないと、そのたびに言い含めるのに、その効果もなくまた来るという駄目さ加減よ。数少ない人の身と生まれ、幸に仏法流布の国に生れながら、人々が仏道修行するのを他人事と見なし、心のままに振舞ってまたこの悪処に来る。誠に宝の山に入って手を空しくするとはお前のような者のことだ。お前は娑婆にいた時、放逸無慚で慈悲もなく、慳貪で惜しみ置いた財宝、冥途で役立つ資糧となったかどうか。またいたわって大事にしていた子どもは、お前の今の苦しみの代わりになるかどうか」と恥しめられるので、亡人は道理に責められて口を閉じて涙に咽び泣いている。

大王は重ねておっしゃる。「すべからくお前の一生の間の罪業を、露程も誤らずに倶生神が鉄札に記している。ひとつひとつ読んで聞かせよう」といってご自身でこれをお読みになる。その御声は大山の崩れ懸るようである。「さてどうだ、これらはお前の娑婆での振舞ではないのか。このように悪業ばかり作って、いっこうに懺悔の心も無く、今ここにいたった。後悔して泣くとも更に甲斐のないことだ」といって地獄へ堕すのが妥当だとお決めになる。

罪人は余りの悲さにもしも逃れる事が出来ないかと思い、泣く泣く申し上げるには、「只今読み聞かせなさった罪業の中に、少々間違った事があります。多くは覚えておりません。ひょっとして倶生神の御筆の誤りではないでしょうか。また少々の罪は御慈悲で御免し下さい」と、ふるえながら申し上げる。その時、大王はたちまちに御顏の色が変ってお怒りになること限りがない。ようやくにして言われる。「よく聞け。自分が娑婆でそのように神の目を憚らずに、ただ目先の欲にだけ動かされて、ただ今憂き目を見るだろう事を忘れはて、妄語悪口を心のままになしたが、その癖が直らず正直断罪の庭で、ひたすら法を執り行う冥衆を欺き疑い、すでに明らかになった罪業を、なおとかく言う事、いよいよ苦を重ねて受けるもととなるのだぞ。わしは一向に憎む心をもってお前を責めるのではない。また一つの罪も今、我が加えるのではない。自業自得の報だから、自分の心を恨め」といって、獄卒を召して「これなる罪人は倶生神の札を疑いあれこれという。倶生神と云うものは亡人のお前と同時に生れて、影の身にそうように付そって、少しの間も身を離れず罪業を記して置いた札だから、毛のさき程も違うことはない。それでも記録間違いなどというならば、よしよし淨頗梨の鏡でお前の罪業を明らかにしてやろう」とのお言葉がある。

鬼共は王の命令に従って罪人の左右の手を取り上げ、光明院の宮殿を開き九面の鏡の中にこの罪人を置くと、ひとつひとつの鏡の面に一生の間に作った罪業が残りなく、また人に知られずに心一つに思ったその時々の悪業まで、ひとつ残らず浮び写って陰もない。その時、倶生神を初として多くの獄卒共、それぞれに亡人を指さし、口口に「それ見ろ、罪人。これは倶生神の誤か。真実を明らかにする役人たる冥官の三宝はお前の朝夕のふるまいを明かに出来る。自分の眼が闇いので隠せるとでも思うか。全くもって隠せはしないぞ、速かに地獄に堕すがいい」と、獄卒共大いに怒り、眼を闊と見開き、口より炎を吹出して鉄の棒を取り直し、罪人の後ろに立ちよると、罪人は余りの悲しさに、紅のような涙をはらはらとこぼしてうつ伏す。獄卒また髮をつかんで頭を引き上げ、鏡にさしつけ、「それ見よ、それ見よ」と責めるだけではない。棒で打ち叩けば、始は声を上げて叫ぶが、後には息も絶えはてて微塵のように打ち砕かれる。また「甦れ、甦れ」と言って砕けた身をなでさすれば、また人となって苦を受ける。

その後、罪人が思には、「実に倶生神の誤ではない。このようなことと知るならばどうして罪を造ろうか。夢幻のような一時の身の為に、永い万劫の重苦を受ける事よ」と悔いるけれども、どうしようもないことであって、尽きないものは涙である。心に願うことは、「ああ、娑婆の妻子眷属が、我が菩提を弔ってくれれば」と、思うより外には更に他の思いもない。

本当に菩提を弔ってくれればと思うことであろう。こうしたことははっきりと目に見えるようなことではないが、静かに考えてみれば身も痛む程の理である。そうであるのに父母の事はいうに及ばず。その外、朝夕顔を並べた友達、朝夕に言葉を交わした従者等の中にも先だった者はどれだけか。その中には唯今も三途の重い苦に沈む人も多かろう。それを思いやらずに弔わないのは、情ない事であろう。だから古人の語にも、「一死一生交情を知る(人は死、生などのことあるたびに、人情の表裏を知るものである)」という。まこと生きている時の情は、互の事だからかえって自分の為である。只死んだ後の弔いこそ実の志である。であるのに生きている時は親しみ馴染んで、死でしまえば思い出しもしない。まして弔う事のないのは、一向に人倫と云うに値しない。必ず必ず亡魂の菩提を弔うように。また「化の功己に帰す」(人を教化すれば自分の為にもいい)の道理だから、亡人を弔うのも自分の身の為である。所詮、亡人の浮沈は追善の有無によるのである。これらの理を思って自身も信心をもち、親兄弟妻子の六親も回向するのがよい。中にも閻魔大王の御前で大苦を受けるから、三十五日の追善が肝心である。この時に善根をなせば、ことごとく鏡の面に写り、その時に大王を始としてさまざまの冥官等も随喜なされる。また罪人も弔いを受けて喜ぶこと限がない。このように積まれた善根の多少、功徳の浅深を分別し、ある者は成仏し、ある者は人間界に、ある者は天上界に送り、ある者はまた次の王へ送られるのである。

 

六七日は変成王(へんじょうおう)で本地は弥勒(みろく)菩薩である。この王へ詣でる道にひとつの難処がある。鉄丸所(てつがんじょ)という。遠い事八百里の河原である。この河原は大きくて丸い石で一杯である。一所に集まっていないで互に転げまはり、打ち合う音は雷のようである。石ごとに光を出す電に似ている。罪人はこれに恐れて行くまいとするけれど、獄卒が後から追い立てるので、力及ばず走り入ると、この石に当て五体を打くだかれて死ぬ。死ねばまた活きかえる。活きかえればまた打ち砕く。このように七日七夜を経てその後で変成王の御前に参上する。その時、罪人はこりずに我身の罪のないことを申し上げ、その上「ここに来るまでの大苦悩には、どのような罪業であっても報いを尽くさないということはありません。まあ、それはともかく、ひとえに大王様の御慈悲をもって特別にこのたびばかりは御許し下さり、今一度娑婆へ御帰しください。一身を投げ打ち心の及ぶ限り、功徳善根をつみます。もしそうでなかったならば、その時はどのようにも罪過を受けます。ただ今ばかりは御助け下さい」と歎きながら申し上げる。大王はつくづくとお聞きになっておっしゃるには「この後に功徳を作るというならそれはそうであろう。しかし、それはその時のことである。今は過去の善悪を判断する事だから、お前が既に犯した罪業があるからには逃れることはできない。特別扱いで助けて欲しいなどとはもっての外だ。その上お前が自から犯した業が責めるのであるから許す許さないというようなことではない。お前の罪業は未だ尽きないのだ。なぜこのように不平を言うのか」といって、獄卒を召して、「この罪人の罪の有無を見せよ、あの双木の本に三つの道がある。この道をどれでもいいから好きなように行け。お前が善人ならば悪道へは行かないだろう」とお裁きがある。その時、鬼共は罪人をとらえて行き、三つの辻に向かわせて「早く行け」と責めれば、罪人は思いわずらって、三つの中の何れが善道なんだろうか、とたゝずんでいると、獄卒は棒をもって「遅い、遅い」と責めるので、余りの悲しさに目をふさぎ、足に任せて行のだけれど悪道をさして走り入るのは業の結果の悲しさである。亡人が善道と思って入るのだが、にわかに銅の湯が噴き出て罪人の身を焼く。

その時大王は「だからお前が善人ならばこの道には行くはずがないのだ。それなのに冥界の我々を軽んじて罪が無いなどと偽るのは奇っ怪であり()しからんことである」といって怒られるので、罪人はなんともいいようがない。ただ口を閉じ、身を縮めて恐れいっているところに、もし親孝行な子が追善を行って善根が届くと大王はこれを御覧になって、この罪人は娑婆での追善があるぞ、早々に許すがよい」と獄卒共に下知なさるので、すぐに縛った繩を解いて生処を善処に定められる。時が時だけに喜びようは譬えようもない。余りのうれしさにこれを子供に知らせようとまた涙を浮べる。あるいは、またその子が悪事をはたらく時は、その親はいよいよ苦を増して地獄へ送られる。それでよくよく亡人を弔わなければならばいのだ。およそ身体髮膚を父母にうけ、厚く撫育慈愛された身なのに、親の菩提を祈らず、その上に種々の悪業を行って亡人に苦を添える事は、返す返すも浅間しいことである。これは酉夢(ゆうぶ)が父を打ち、(ひしん)が母を(のの)った罪に劣らない。天雷が酉夢の身を割き、霊蛇がの命を吸うのではないにしても、後の報をどうして免れることができようか。だから孝行を先として追善をしなければならない。唐の叔雄という者は身を投げて孝養をした。そこまでしなくても信心の歩をはこび、どうして親の菩提を祈らないでいいものか。孟宗が雪の中の(たかんな)王祥(おうしょう)が氷の上の魚、こうした孝の志は感銘するところである。ましてや孝養を尽くす家には梵天・帝釈・四大天王がお住みになるという。これは正しく如来の金言である。誰がこれを疑おうか。だからこのような者は皆諸天の擁護を受ける者である。但し孝養に三種類ある。衣食を与えるのを下品とし、父母の意に背かないのを中品とし、功徳を回向することを上品とする。存生の父母にさえなお功徳を回向することを上品とする。ましてや亡き親においては当然である。雪中の笋といえども、法喜禅悦(教えに触れることを喜びとし、修行に勤しむことを悦びとする事)食の味にはかなわない。叔雄が身を投じても、さらに出離生死(生死の迷いを離れること)の便りにはならない。ただ善根を行い、父母が煩悩を断って迷いの苦をのがれることを祈れ。なお罪人の生処が決まらなければ七七日の王へ送られる。

 

七七日は泰山王(たいせんおう)で本地は薬師如来(やくしにょらい)である。この王へ詣でる道に一つの悪処がある。これを闇鉄所という。遠い事は五百里、暗い事は譬えようもない。まったく夜昼の区別もない。またその道は細くて左右の岸はみな鉄の巌である。罪人は身を細めて通るのだが、巌の(かど)は剣のようで、少しでもさわれば身の肉は切れてしまう。先へ進もうとすればにわかに巌は閉じて通れない。立ち止まろうとすれば巌はまた開く。このような苦を受けて七日七夜かけて泰山王の御前へ参上する。またどのような事を言われるのかとおずおずと御前に(ひか)える。すぐに大王は罪人を御覧になって、「それにしてもお前が後生を他人事だと思っていい加減にしたのはあわれなことよ。我身の大切さを思わない者だなあ。人間として生を受ける事は、盲亀(もうき)浮木(ふぼく)に会うようにまれことだと仏様は説いておられる。恒沙の砂ほどの多くの前世の善根があって、まれなこととして人間になれ、なおまた人間界で得難い仏法に会う事を得たのに、仏道修行をばせず、夢幻のようにはかないのにその身を思って、生涯を空しく暮して今このような憂目を見ることの愚さよ。お前はそれで仏法と縁を結ぼうとどれほどのことを行ったのだ。説法なども聞かなかったのか。ありのままにいえ」とおっしゃれば、罪人がいうには、「おっしゃるように娑婆にいた時は、はかなく浮世を過そうとして時間を惜しみ、仏道修行をせず、また説法などの近い所にあったけれども、あるいは世事に隙がなく、または格好が悪くて恥ずかしいので行きもせず、それで一度も聞きませんでした。」

大王はまたおっしゃる。「お前が見るようにこの庭には天竺・震旦・日本をはじめ無数の大国小国の罪人もいる。あらゆるところの鬼といった冥衆と役人である冥官が集まられる所である。お前が物を恥じるならこの庭にいるいまのお前をこそ恥ずべきであるのに、ついに恥じたままに今ここで(おもて)をさらす身にとって、見苦しいといって説法も聞かずに、むなしくこの冥土の戻って来て、このあちこちから集まった群集のいる所で獄卒に打たれて泣いていることは、よくよく見苦しいことと思え。これに過ぎた恥があるか」とおっしゃれば、この御言葉が肝に銘じてはずかしさに湧き出るものは涙ばかりである。さてこの王の御前において一切の罪人は生まれ変わる生処を定められる。それで泰山王の御前に六の鳥居がある。すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道に行く門である。この王くわしく罪人の生処を決められれば、さまざまな罪人等はそれぞれの生処に行くのだ。この鳥居を出れば、地獄に入るべきはすそのまま地獄におち、餓鬼は餓鬼の城に至る。他の道もまたこのようである。これは断罪の庭、一切の罪人の浮ぶか沈むかの境である。もし死後の追善が(ねんご)ろならば、悪処の果が転じて善処に生をうける。それで四十九日の弔いは懇ろに営なければならない。そうであるのになお生処が決まらない者を百箇日の王へ送る。

 

百箇日は平等王(びょうどうおう)で本地は観世音菩薩である。この王へ詣でる道にひとつの河原があり、これを鉄冰山という。この河原は広さが五百里である。並の氷ではない。ことごとく厚い鉄の氷である。罪人が渡ろうとする時は身の寒い事、五体を縮め込ませるようである。まだ氷にふれないのに、肉が細切れになって血がながれる。またさむい嵐が氷を吹き砕く音は雷のようである。罪人が氷に入るのを悲しんで立ち止まれば、獄卒が後ろから責め立てていう。「悪業をなして冥途に行く者がこのような苦患を受けるとは、どうして知らないでいようか。それなのにほしいままに罪業をなし、この道に来ておきながら何で事新しく歎くのだ。何で渡らないのだ」と責めると、罪人は声をあげて叫び氷の中に入る。氷の厚い事、四百里である。罪人が入るのを待って氷はすぐに破れる。入り終わると閉じ塞がる。ただ塞がるだけではない。氷が身を破る事は剣のようである。このような大苦難を経て平等王の御前に参上する。

そこで大王は罪人におっしゃる。「ここに来る事は他人が導いたのではない。自分の心がけで来るのである。というのはお前が娑婆にいた時、風の前の燈、水の上の泡のような身でありながら、眼前の無常もただ他人のことと思い、老人が早く死に、若者が遅く死ぬとは限らないという老少不定の境遇、前後相違の別れにも気づかず驚かずにいる。千年万年も生きられると思って、死が訪れるのは時を撰ばないという(ことわり)も理解せずに、いたずらに狂言綺語に戲れ、高笑して思事なげに過した報であるぞ。そんなことだから楽は苦の因、苦は楽の因という事を知らないのだろう。これまでの王にも定めて聞いたであろう。今いうのも甲斐ない事だけれども、何故仏道を為さなかったのか、お前という愚な者よ」と恥しめなされば、亡人は後悔の涙に暮れるだけである。今頼みになるのは娑婆の追善だけである。必ずや追善を営み、亡人の重苦を助けなければならない。およそ一樹の陰に宿り、一河の流をくむ事だけでも多生の縁というのに、ましてや親となり子となったのだから当然だ。あの丁蘭が母を木に彫って孝養を尽くしたのも、張敷が母の扇を身に副えたのも、孝行の念が深いからである。なかんずく、仏典以外の外典にも父のみ「尊親の義を兼たり」といって、父の恩を重くしている。とはいえ母の恩は同様に浅くはない。それはまず母の胎内に処、受胎である最初の柯羅邏(からら)から出産の後に至るまで、三十八転(一転は七日)の間、起きても伏しても苦しく、母を苦しめたことはどれほどか。日を数えれば二百六十日、月を計れば九月の程である。ましてや胎外に生れては、「苦を咽み甘きを吐き乾を回して湿に就く(口に含んでは、苦い物は母が食べ甘い物は出して子に与える、乾いたところを子どもに、母は濡れたところに寝る・父母恩重経)」といった厚恩をこうむったのだから、身を徒らにして月日を送っていて、三途の重苦に沈でいる親の菩提を弔わないのは、浅ましい事である。どうして諸天が憎まないことがあろうか。その上、多くは、子を思う故に罪を犯して地獄の重苦を受ける事がある。必ずや弔らうべきは二親の後生菩提である。だからこそ大覚世尊も忉利天(とうりてん)に登られて安居(講説)すること九十日。報恩経を説かれて、母である摩耶(まや)の十月懐胎の恩をば報じられた。大聖ですらそうである。ましてや凡夫は当然である。よってこの王の前で生処が定まらなければ、次の一周忌の王へ渡される。

 

一周忌は都弔王(とちょうおう)で本地は大勢至菩薩である。罪人がこの王の御前に参いって涙を流していうには、「これまで参りました道すがらの苦みは堪え忍びがたいものでした。今となっては身の罪業も無くなったと思われます。もしなお残っていましてもひたすら御慈悲をもってそのままにして下さい」と歎いていう。その時「罪業が尽きるものなら、ここまでは来ることもない。来たということは、未だ尽きていないということを知れ。つまるところ業が尽きたか尽きないかをはっきりと知ることのできる箱がある。もし罪業が無ければあの光明箱を開け」といって、数多く取出し、罪人の前に並べておかれる。これで「お前の罪業の有無が明かになる」と責めるので、怖そろしさは限り無く、どれを開いてどうなるのだろうと恐しいけれども、泣く泣く一つの箱をあければ、中より猛火が燃え出て罪人の身にかゝる。その時鬼共、声声に、「こりゃどうじゃ、こりゃどうじゃ」といいも終わらず、罪人の体を打ちたゝく事は限が無い。この時王がおっしゃる。「これまでの王の処で地獄に堕されるはずなのに、娑婆の追善があったのでここまで来たのだ。お前は我身を思わぬ不当の者だけれども、妻子は孝養の善人である。この一周忌の営みによって第三年の王へ送られる。第三年の旅に行く道の間の苦みも忍びがたいようである。人々は、同じことなら諸王の所を経ずに、即身成仏する様に自身も信心をし、亡人をも回向すべきである。

 

第三年の王を五道輪転王という。本地は釈迦如来である。罪人がいうには、「ひたすら大王の御慈悲で召人(めしゅうど)として仕えさせていただきたい。それぞれの王の御前には召人が多くおりました。誠にうらやましく思いました。道すがらの苦しみ(はか)りがたく、またどのような道にいくことになるのかと恐ろしいのです」という。その時大王は「誠に不便とは思うけれど、無理して行う断罪ではない。これまでの召人は皆その王が預るべき結縁があるからなっているのだ。お前には左様の縁もないので召人の件はかなわない。それだから娑婆の追善があれば善い処にやろう。もしまた弔う事も無かったら、今から渡すべき方もないので地獄へやろう。不便だけれども自業自得の理だから力が及ばない。およそ今までの苦みは地獄の苦に並べれば大海の一滴のようなものだ。お前はあの地獄の苦を受ける時はどうしたらよいのか。地獄の有様をおおよそ語って聞かせよう。

まず地獄は八大地獄といって八の地獄がある。いわゆる一に等活(とうかつ)、二に黒繩(こくじょう)、三に衆合(しゅうごう)、四に叫喚(きょうかん)、五に大叫喚、六に焦熱(しょうねつ)、七に大焦熱、八に無間(むげん)地獄である。この一つ一つの地獄に各々十六の別所があり、合わせて一百三十六の地獄である。この八大地獄は初め等活地獄から次第に下に重なっている。だから無間は最も下にある。

初の等活地獄は人間の下、一千由旬にある。縦横一万由旬である。その中の罪人は互に敵意を懐いていて、もしたまたま会うと狩人が鹿に会ったようなのである。それぞれの鉄の爪でもってつかみ裂く。血肉は失われてただ骨だけが残こる。あるいは鉄の臼に入れて鉄の杵でこれを撞く。あるいは煮えた銅の湯の中に入れて煮ることは豆のようである。銅の湯の中に身が沈むのは重い石のようである。また浮び上って手をあげて天に向って叫び泣く。あるいは大きな鉄の串で下より貫いて頭に通し、ひっくり返してはこれをあぶる。あるいは常に猛火の中におかれて焦がされる。その外の苦のはいいようもない。この地獄の火を人間の火に並べると、人間の火は雪のようなものである。この地獄の火を下の地獄から見れば、また雪のようにみえる。この地獄での寿命は五百歳である。この地獄の一日一夜は人間の九百万年に当れる。だから五百歳は人間にては無量歳といえる。その次、そしてその次の地獄の苦が次第に増す事、それぞれ十倍重く受ける。寿命もまたそうである。一つ一つの苦の様子は言うまい。想像せよ。

次に無間地獄のようすをあらまし語って聴かせよう。まず無間地獄は大焦熱地獄の下にある。この地を去ること二万五千由旬である。中有でまずその地獄の罪人の叫ぶ声を聞いて、すぐに悶絶して頭は下になり、足は上になって矢を射るように、二千年をかけて下に向って行く。その阿鼻(あび)城は縦横同じで八万由旬である。七重の鉄城に七重の鉄網をはり、下に十八の(かなえ)がある。四つの角に四つの銅の狗がいる。身の長さ四十由旬、眼は電のようで、牙は剣のよう。歯は刀山のようで、舌は鉄の(いばら)のよう。すべての毛孔から猛火を出す。その煙の臭い事は世界に譬えようもない。また十八の獄卒がいる。頭は羅刹(らせつ)、口は夜叉(やしゃ)のようで、六十四の眼がある。曲がった牙が上に出て、高さ四由旬である。牙の端から火が出て阿鼻城に満ちる。頭の上に十八の牛頭があり、一つ一つの角のはしからみんな猛火を出す。また四門の(とじきみ)の上に十八の釜がある。銅の湯が沸き出してまた城の中に満ちる。一つ一つの隔の間に八万四千の鉄の(うわばみ)、大蛇がいて、毒をはき火を吐いて城の中に満ちている。その蛇が()える時百千の雷のようである。また黒くて肥えた蛇がいる。罪人に巻き付いて、足の甲からはじめてしだいにかじって食べる。あるいは熱鉄の(はさみ)で口をはさみ、開かせてたぎる銅の湯をその口にいれると、(のど)や口は燒けて臓腑(ぞうふ)を通り抜けて下から出る。あるいは炎の刀で一切の身の皮を()ぎ、涌いた鉄の湯をその身にそそぐ。あるいは猛火が火をあげて来て、皮をうがち、肉に入り、骨を()がし、(ずい)を通して頭に燃え出る事、脂燭(ししょく)のようである。罪人の身の中に火の燃えない所は針の穴ほどもない。それで無間地獄というのだ。その一つ一つの苦の様子は言い難い。先の七大地獄ならびに別処の一切の苦を一分とすると、阿鼻地獄は一千倍すごい。このように無間の苦を受けるのに一大劫かかる。およそ無間地獄の一日一夜は人間の六十小劫に当る(劫・天人が方四十里の大石を薄衣で百年に一度払い、石を摩滅しても終わらない長い時間)。また一切の罪人は自分の一身がことごく阿鼻城に満ち満ちて、隙間がないのではと思う。それでまた無間地獄というとも思われる。この地獄の人、大焦熱地獄の罪人を見る事、他化自在天を見るようだ。また阿鼻地獄の苦はその千分の一も説明していない。それは譬えようにも譬えられず、説明しようにも説明できないからである。もし人が説くのを聞けば、血を吐いてすぐに死しんでしまうという。この一つの地獄に堕ちたならば、すなわち一百三十六の地獄をすべて経験するであろう。お前はその時の苦患をどうすればいいのか」と五道転輪王が語られれば、罪人は聞いて恐れること限りがない。その時大王は、「お前は今地獄の様子を聞いてさえこのように怖じ恐れる。いわんや地獄の火に燃える事は、乾いた薪を燃やすようなものだ。これは火が焼くのではない。悪業が焼くのだ。火が燒くのは消すことが出来る。悪業が燒くことは消すことが出来ない。このように重苦を受ける事は、ただお前の心一つから起こることだ。頼んでも頼みがたいのは妻子の善根である。その上、沒後の追善は七分の一の効果しかない。たとえ追善を得たとしても浮かぶほどは弔ってはくれない。存命中に反省することもなく今に至って後悔するとも、及ぶところではない」と地獄へやられる。もしまた追善をし、菩提をよくよく祈れば成仏させて、あるいはまた人天等に遣わす。