ブナ林随想(2) 今 な ぜ、 ブ ナ 林 か
| 私が初めてカヤノ平のブナ林を訪ねたのは昭和41年であった。当時、地元の学校に勤め、夏のキャンプはブナ林の端であり、休み中のクラブ活動もここで行われた。 雑魚川ぞいの清水小屋まで遠出して、清流にふれる楽しみがあった。釣り老人の小屋には細い流れをせき止めた小池があって、大きなイワナが泳いでいた。そこで産卵させては、時期がくると池を払うのだそうだ。そのせいか、雑魚川への流れ口にはイワナの稚魚が群れていた。 ブナ林の真ん中から流れ出す満水川では、生徒がサンショウウオをつかまえた。それを見た女先生は「これは体にいいのですよ」と言いながら、生のまま飲み込んだ妙技をあ然と見つめた当時を思い出す。 ブナ林の山道を歩けば、ニッコウキスゲの大群落におおわれた北ドブ湿原がある。緑濃いブナ林の中に、一面黄金色のお花畑を見出した生徒たちの歓声が今も耳に残っている。 当時の空中写真(昭和42年撮影)に、右上の一部は伐られているが、あとは全山ブナの大樹林という一枚がある。一辺3.5キロほどの四角の中だが、これほどブナ林におおわれた場所を現在のカヤノ平から選び出せるだろうか。その後の47年撮影分には、その原始の樹海に白蛇のような林道が延び出して、伐採の始まりが写っている。 |
![]() ブナ退治で伐採されカラマツ等へ 変えられてきたカヤノ平 (昭和40年代撮影) |
![]() 志賀自然史研究会でカヤノ平視察 右手の白上着は志賀高原の主 懐かしい山本教雄さん(昭和40年代) |
そのころ、志賀自然史研究会でバス一台を借り、カヤノ平を見ようという催しがあった。 「カヤノ平のブナ林は寿命がきている。過熟林だから、いつ一斉に自然倒壊するかわからない。その前に伐り出して有効に使うのだ」 このような説明を営林署の担当者から聞くと、一般参加者の多くは納得されたようである。しかし、そんなことが自然界で起こるのだろうか。しかも、この広いカヤノ平のブナ林が一時に枯れ果てるとは。 たしかに、過熟林という用語はあるが、その地域に広域的に作用する気候的要因によって形成された終局群落(極相林)では、一斉更新という極端な植生交代は認められていない。事実ブナ林を見ても、一本、二本と老木が倒れては空間を生じ、そこに何世代か後の稚樹が芽生え、成長していく過程がすでに明らかにされている。植物群落の遷移は、極相(クライマックス)に達するとその群落は安定して構造や組成が変化しないようになる。気候的な激変がないかぎり、ブナ林自身で静かな世代交代が行われ、存続しているのが自然である。 昭和53年に環境庁では、すぐれた植生を対象として特定植物群落調査を全国的に行った。長野県内では、56箇所の群落が取り上げられ、その一つが「カヤノ平のブナ林」である。 最近、全国的な注目をあびている秋田、青森の両県にまたがる白神ブナ原生林の1万6千ヘクタールにはとてもおよばないが、当時の植生図から7千ヘクタールが対象とされた。このカヤノ平のブナ林は緩斜面を広く占め、わが国でも有数な原生林であり、それが選定理由であった。 昭和60年はその後の追跡調査の年に当たるが、残念ながらカヤノ平については質的にも面積からも大幅な修正を迫られている。もはや、日本のブナ林の代表地からカヤノ平の名は消えようとさえしている。切りきざまれたモザイク状のブナ林なら、まだまだ信州の各地に残されている。 なぜ今、ブナの極相林が重要視されねばならないのか。原始の世界への単なるノスタルジアなのか。 極相林がもつ意義は、豊かな生物群の安定した生活場所や人間を含めた生活環境保全などいくつか指摘されようが、一度でもブナ原生林へ入ったならば、裏山の雑木林とは明らかな違いをだれもが感得することだろう。 われわれの身近な裏山は、クヌギやコナラなどの二次林が広く占めている。この領域は、信州の人為文化圏と古くから重複してきた結果、極相林に相当する森林はすべて消え失せてしまった。生活域の周辺をとりまく雑木林をはじめあらゆる植生は、人間によってつくりかえられた代償(人為)植生である。そのために、信州のような内陸部の植物社会では、百年の余にわたる未解決の論争が今もって残されている。 人びとが住み着く以前の信州は、いったいどんな緑でおおわれていたのだろうか。 これらの解決の糸口となるはずの奥山の極相林は、明らかにブナ林である。そして、このもっとも安定した終局群落の中で営まれている生態系のメカニズムの追求は、すべてこれからと言っても過言ではない。 その前に、ブナ林を消してはならない。信州の裏山の轍をふたたび踏むことは、信州だからこそなおのこと許されないのである。 (初出;信濃毎日新聞 昭和60年7月29日) 拙著「緑の山河望郷」より 見出しへ戻る 伐採はたやすいが トップへ戻る |