瀬口晴義『人間機雷 「伏龍」特攻隊』  

 この夏、特攻隊に 関する著作が相次いでいる。戦後60年という節目ということもあるだろうし、当時を知る証言者が殆どいなくなる前に歴史の証言を明らかにしようと言う理由 もあるのだと思う。その特攻隊の中でも米軍の上陸用舟艇を海底で待ち受け、三m足らずの竹竿の先に付けた長さ60cm、重さ15kgの機雷で舟艇を突き上 げ自爆する(P..21)。まさに“竹槍戦術”。“統率の外道”と特攻の考案者大西瀧治郎中将が認めた特攻の中でも最も悲惨な部隊と言える「伏龍」特攻隊 の歴史と証言をまとめた本。自分が「伏龍」の存在を知ったのは、一年前の信州戦争展の展示。いくらなんでもここまで原始的な自爆戦術をやるとは・・・と唖 然。潜水具の構造上の欠陥から訓練中に犠牲者が相次いだとされ、本土上陸が幻となったため、実用化には至らず、機密文書の多くが焼却処分されたこともあっ て、「伏龍」には謎の部分が多く、元隊員の門奈鷹一郎氏の『海軍伏龍特攻隊』(光人社NF文庫)以外の類書がないというから、ジャーナリストの立場で書い た本書はまさに待ち望んだ本。読んでまず感じるのは、ここまで人命が軽視されていたのか!ということ。これだけ原始的な特攻戦術が行われた背景に物資不足 で搭乗出来る飛行機がなくなり、“余剰人員”となっていた若者たちの<有効活用>という側面があったという。それでは「伏龍」の装備が充分であったかとい うと、呼吸法を誤ると炭酸ガス中毒になる、潜水機に構造的欠陥がある、物資不足で強度に歪が生じて故障が起こる・・・と問題が次々に起こり、実戦に投入で きても、一人が自爆すれば周囲の隊員まで水圧で巻き込まれるという意見が相次いだとされ、最終的には水中要塞を作り敵に備える・・・という計画に落ち着い たという。「仮に水中要塞ができたとしても激しい艦砲射撃の前には無力であったに違いない」(P.55)というように到底、実用に耐えられるものではな かったようなのだ。幸い本土決戦を前に日本は降伏し、伏龍は実戦投入されることなく、死に直面し続けた訓練は終わりを告げた。“戦争への想像力”なしにナ ショナリズムを煽る言説が巷に溢れる。“強いられた死”を受け止めた人には様々な思いがあったろう。その苦悩と逡巡を「戦死者への追悼」を「顕彰」に置き 換えていく今の言説への違和感が、この本を読むにつけ、ますます強くなった(2005.8.7)。

関連サイト:幻の特攻戦記 「伏龍」隊員の戦中・戦後史        
                       著者が「東京新聞」に7回に渡って連載した本書の原型
       伏龍特別攻撃隊                    基礎データーを網羅  
      大西瀧治郎 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 
      連合艦 隊司令部先任参謀 黒島亀人少将          伏龍の考案者とされる人物(1893〜1965)
             
講談社(1600 円+ 税、2005.6)