福原直樹『黒いスイス』

 治安はよく、風光 明媚、経済的にも豊かな永世中立国。スイスと言 えば「理想の国」というイメージを誰もが持つ。確かに独裁者や犯罪者などが「隠し資産」を持つ「マネーロン ダリング」(資金浄化=違法な金を合法なものにする)の温床になっているという批判くらいはあるにしても。が、この本を読むとそのイメージは一変する。 のっけからスイスに住むロマ族(ジプシー)の子どもを誘拐して親元から引き離し、強制的に施設や精神病院に隔離されたり、スイス人過程に里子に出されると いうが 出てくる。それも犯罪者組織が暗躍しているというのではなく、スイス政府の援助を受けた公共団体が組織的に行っているというのだ。その背景にはナ チスにも繋がる人種差別思想「優生学」の影響があって、親元から引き離すことによって「劣等な民族」であるロマ族を殲滅しようという明白な国家の意思が あったのだと著者は書く。ちょっと信じられない話だけれども、そのほかの章にもスイスに根強い「人種差別」が根を張っている記述が次々と出てくる。第二次 大戦中、弾圧を受けたユダヤ人が国内に入るのを防ぐため、ナチス政権を説得してユダヤ系ドイツ人、オーストリア人の旅券に赤い「J」のスタンプを押し、識 別して追い返したことで多くのユダヤ人をアウシュビッツに追 いやった話。スイス国籍の取得を希望する人々を住民投票で判断するのに国籍・住所・生年月日・ 年収・学歴・・などの個人情報が写真とともに掲載されたパンフレットがその地域の全住民に配られ(国籍の取得は自治体で決める)、その結果も欧州人以外の アジア人などには国籍取得を認めない「差別意識」。住民の個人情報が本として売られ、反対政党には当局の監視・盗聴する「相互監視社会」。麻薬(ヘロイ ン)の密売を防止するために「密売」は“犯罪”だが、「中毒」は“社会の犠牲者”という認識に基づき、合法的に政府が中毒者に麻薬を配布(量をコントロー ルして症状を軽減する)するという「毒を持って毒を制する」という信じがたい政策。さらに核武装、ネオナチにマネーロンダリングと延々と「黒い」記述が続 き・・・読んでいてうんざり。「表向きはきれいで人々も優しいけど、裏は猜疑心の塊のような国」(P.116)というのが本書の描くもう一つのスイス像な んである (2004.5.15)。

新潮新書680 円 +税、2004,3)