河中志摩夫のコラム


■歴史劇は難しい 

  「時代劇」になら縁がないわけではない。実は学生時代、某映画会社の撮影所の中の俳優養成所の脚本・監督コースというのを受講していた。今風に言えばダブルスクールという奴だ。そこは時代劇のメッカで、教材はやはり時代劇のシナリオばかりだった。だから時代劇特有の台詞回しとか、その辺は別に違和感はない。
 だが、『銀河英雄伝説』も今回の『新釈 眞田十勇士』も所謂「時代劇」とはちょっと違う。それは何かと言えばある意味「歴史劇」的な描き方をしている点だと考えている。

 「時代劇」は、よく言われるように絶対化されたパターンの繰り返しだ。よく「午後8時45分に印籠を出して………」などと言われるが、完成された作劇のパターンは、ある意味ドラマ作りの基本を学ぶ教科書としては最適かもしれない。見る側にも「安心感」がある。だが、それに飽き足らなくなった視聴者は、その「パターン化」が面白くない、として「時代劇」を見なくなる。それが一面での時代劇の衰退という形になって現れているのだと思う。
 「時代劇」と「歴史劇」は似て非なるものだ。「時代劇」は歴史上のある時代に設定されているが、その時代背景はそれほど意味を持たない。登場人物も実在とは限らない。特に主人公が架空の人物の場合も多い。実在の人物だとしても実像とは程遠い設定が振られており、実際の事件が扱われることもあるが、基本的にはフィクションだ。だが「歴史劇」は(基本的には)歴史事実に基づいて、実在の人物たちを描くのが主眼であって、そこに「解釈」が入りこむ余地と事実と事実をつなぐ「隙間を埋めるフィクション」が存在する余地がある。

 『銀河英雄伝説』は全部フィクションじゃないかと言われればその通りなのだが、我々スタッフの捉えかたとして原作小説に描かれた事件や登場人物の言動は「歴史的事実」と捉え、そこに「解釈」と「隙間を埋めるフィクション」を加える、という意識で制作に当たっていた。だからああいう作り方になった訳だ。
 今回の『新釈 眞田十勇士』の場合も、実は基本的には似たような意識で取り組んでいる。荒唐無稽の代名詞のような『真田十勇士』を題材にして? と妙に思われるかもしれないが、我々はあくまで立川文庫版の 『真田もの』を原作にしているわけではない。『銀河英雄伝説』で原作が占めていた位置には「歴史的事実」という奴が座っている。従って日本史の教科書に出ているような「歴史的事実」からは外れない、というのは基本のことだ。
 ただ『銀河英雄伝説』は原作小説がある意味絶対の典拠としてあった訳で、「解釈」や「隙間を埋めるフィクション」が入り込む余地は小さかったが、今回はその余地が大きい………というより余地の方が大きい、という違いがあると言ってもいい。 
 そして実は非常に厄介なのは「歴史的事実」という軸自体のブレが大きく、「絶対の典拠」とはなり得ないということなのだ。

 中国では王朝交代の際に前王朝の言わば「決算書」として「正史」が作られてきた。(まぁその「正史」自体次の王朝の正当性を主張する性格が反映されている関係上、全てが事実とは言えないまでも、あるだけましだ) ところが、日本では王朝交代がなかったこともあって、「正史」「通史」の類がない。それを嘆いた水戸光圀が「大日本史」を作らせたのが最初で(この人の真の功績はこれで、全国を漫遊した「時代劇」は大嘘なのだが)、つまりは江戸時代になってからのことである。今回舞台となる戦国時代には正史はない。
  現在、歴史の教科書に載っていることや、多くの歴史小説などで歴史的事実として描かれている事件は、断片的な記録や個人の日記、書簡などから類推して構築された「歴史」であり、新史料が出てきたらひっくり返ってしまうようなものである。つまり戦国時代のことは実はあまりわかっていない、というのが、調べれば調べるほど判ってくる。そうなると歴史的事実は事実として描き、その隙間にフィクションを入れて行く、という大前提が崩れる。

 実はこれに困っている。結局はいくつかある説のどれを採るか、(或いは独自の解釈をするか)なのだが、この「いくつかある説」というのが曲者で、具体例はまた『新釈 眞田十勇士』のHPの方で書く事になると思うが、結構「常識」だと思っていたことが覆されるような史料や「説」に愕然とさせられることもある。(例えば徳川家の『三つ葉葵』の紋は3代家光から使い始めたという説もあるとか)
 まぁ最終的には「歴史の教科書を書いているんじゃない」「所詮はフィクションだ!」「所詮はエンタティメントだ!」という開き直りしかないし、嘘の方が世間の受けがいいのであれば嘘と承知でそれを採る場合もある。
 それでは「時代劇」と一緒じゃないか、と言われそうだが、結局は作り手の意識というか姿勢というか、そういうものの問題かもしれない。
 『真田十勇士』という大嘘の素材を、生きたものとして成り立たせるために、その周囲は極力「本当」で固めたい。それによって「歴史もの」のテイストを持つアニメとして成立させたい、そう思って努力をしている、ということだ。
 それは前例のないことなのだから、挑戦のし甲斐はある。だが、非常に難しいことを始めてしまったことは間違いない。願わくば、暖かく迎えられることを期待して………。


『新釈 眞田十勇士』ライナーノート1「最初に…」

『新釈 眞田十勇士』ライナーノート2「三好晴海は清海が正解か?」

『新釈 眞田十勇士』ライナーノート3「十勇士の設定」

『新釈 眞田十勇士』ライナーノート4「言葉遣い」

『新釈 眞田十勇士』ライナーノート5「名前の呼び方」

『新釈 眞田十勇士』ライナーノート6「幸村の妻子」

『新釈 眞田十勇士』ライナーノート7「沼田を信幸に、上田を信繁に………」


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