河中志摩夫の『新釈 眞田十勇士』ライナーノート2

「三好晴海は清海が正解か」



 よく頂く御指摘に三好晴海は「清海」が「正しい」のではないか、というのがあります。基本的に架空のキャラクターですから、何が正しいということはなくて、本作では「晴海」に設定されている、ということで済ませてしまってもいいのですが、少々説明を加えます。

 まず、「真田十勇士」の原点である立川文庫では、第六〇編「真田家豪傑 三好清海入道」というように、彼が主役を張っているものでは確かに「清海」です。しかし他のタイトルの中で登場する時は「深谷新左衛門勢海入道」であったり、「青海入道」であったり「晴海入道」であったりとバラバラです。同じ様に伊三も「為三入
道」「伊豆入道」といろいろと表記されています。何も「清海」が唯一の正解というわけではないのです。

 しかし(言っていることと矛盾するように聞こえるかもしれませんが)実は三好「清海」入道という人は実在の人物です。足利将軍義輝を暗殺したことで悪名高い三好三人衆の一人三好政康の法名が「清海入道」で、もちろん眞田氏とは(多分)関係ありません。同じ様に三好「為三」入道も実在の人物です。その政康とは兄弟ではなく又従弟にあたる三好政勝の法名が「為三」です。
 単なる偶然ではなく、立川文庫の作者たちはこの二人をモデルとは言わないまでも部分的に拝借しているらしいのは、大坂の陣の時に両入道が八〇歳を越える老齢で、幸村の息子の大助から年寄り扱いされてくさる件があることでも伺えます。実際、実在の「清海」は八十八歳、「為三」は七十九歳で大坂の陣に参戦しているので、立川文庫の作者たちは多分それを知っていたのだろうと思われるのです。しかし、真田家とは何の関係もなさそうですし、三好為三入道に至っては徳川方です。
 そういう意味では真田十勇士の三好兄弟のモデルとは言うには抵抗があります。そこで、実在の三好清海入道と三好為三入道とは別人であることを明確にする意味で、敢えて「晴海」と「伊三」に設定した、という訳です。

 ところで立川文庫での三好兄弟は、出羽の国・亀田の城主であったという設定になっていますが、これはあまりに荒唐無稽なので採りませんでした。着目したのは三好という姓です。真田幸村関係で「三好」というと、幸村の三男が「三好左馬之介幸信」と名乗ったとされています。その母が幸村の側室「関白秀次の女(むすめ)」であり、母方の祖父にあたる豊臣秀次が一時三好姓を名乗っていたことに因んだ、と言われています。
 秀次は秀吉の政策の中で三好康長(政康=清海入道の従兄弟)の養子に入り、その父・吉房も三好姓を名乗っています。こちらの縁者という設定にしました。その方が幸村の配下に入った経緯が設定しやすいというか「作れる」と考えたからです。その辺の設定は、作中でおいおい語っていくつもりですが………。

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