河中志摩夫の『新釈 眞田十勇士』ライナーノート4

「言葉遣い」

 時代考証は「一所懸命」やると言いつつ、これも当たり前の話ですが、作中でキャラクターが喋っている言葉は基本的に「嘘」です。

 当時の文書は残っていますから、当時の文語体がどういうものかはある程度わかるのですが、当時の話し言葉がどんなだったのか、それは判りません。しかも今ほどマス・コミニュケーションが発達していた時代ではないですから、方言の差異は非常に大きいでしょう。秀吉や徳川の時代になって「天下普請」として城の造営などに地方から人夫が動員された時、九州から来た者と東北から来た者とでは全く言葉が通じなかったというエピソードがあるぐらいです。
 仮に当時の言葉が判ったとしても、それをその通りにやったら現代の視聴者に通じないでしょう。全部
字幕が必要になってしまいます。だからと言って現代語そのままに喋らせたら、歴史劇としての雰囲気は台無しです。その意味で本作は「時代劇」的台詞回しでキャラクターは喋らせています。これもあくまでフィクションの産物としての言葉ですし、「お約束」としてそういう「時代劇言葉」はある程度確立されています。(昔、シナリオの勉強をしていた時は教材が時代劇だったので、馴染みがあるのでその部分はあまり苦労はしていません)

 ただ、気を付けようと思っているのは「明らかにその時代にはなかった言葉は使わない」ということです。 日本語は幕末から明治に掛けて外国語の翻訳語にあたる丁度良い言葉がなかった場合に結構造語をしています。それを気付かずに使ってしまうことはありますが、一応意識してはいます。
 あと、現代では使われていない言葉や、現代とは意味が違う使われ方の言葉をわざと使っている場合もあります。例えば作中で「そんな自由な」という台詞があります。現代では「自由」というとFreedomやLibertyの訳語として、それこそ民主化の過程で作られた言葉のような印象を持ちますが、意外にも古語で、本来は「勝手気まま」というような意味です。この辺りはわざと聞く側に「引っ掛かり」を感じさせようと意図したものです。他にもわざと「方言」を入れたりもしています。この辺は作品の肉付けをする際の「遊び」(ふざけていると言う意味ではなくて「余地」などの意)です。

 あと、「正しければよい」というものではないのです。例えば徳川家康の通称「内府」は官職である「内大臣」の意味で、他の時代劇などでも良く使われているので割と馴染みのある用語です。しかし大概「ないふ」と読ませています。実はこれは「だいふ」(「内裏」を「だいり」と読むのと一緒)が正しいのですが、「ないふ」が一般化してしまっている中で台詞で「だいふ」と読ませてしまうと、視聴者が訳がわからなくなってしまうということで敢えて間違いを承知で「ないふ」にしています。同じ様に忍者の里で有名な「甲賀」も正しくは「こうか」なのですが、例えば7話の才蔵の台詞で「こうか?」と読ませると、何か別の意味に聞こえてしまうので敢えて「こうが」にしています。
 この辺は結局バランスでしかないのです。
 
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