画家貝原浩の遺したもの
さわやかな初夏の風にふかれながら、安心して山歩きをたのしみ、山菜とりをしている私たちのごく当たり前の暮しが、一瞬にして取りあげられたとしたら、どうでしょう。
チェルノブイリの原発事故、不幸にして風しもに位置していたベラルーシ近郊の村の人たちは、行政からの有無を云わせない強制退去にあい、全面的に立入禁止、それ以後村は埋葬の村と呼ばれ、すべての生活をなくしてしまったのです。賑やかに笑いあい、子や孫をいつくしんで暮してきたそのすべてを。
村の人たちの失ったものがどれほどの宝ものであったか、貝原浩は現地に通いつめて描きました。
息のつまるような仮設の暮しから、老人たちが少しずつ戻りはじめました。そして土を耕し種をまいたのです。それは日々「死」を吸いこむような状況でしたが、彼等にとってはかけがえのない故郷でしたから。
同じことが福島でおこりました。
この狭い日本で54基もの原発をつくりつづけた日本を、まちがっても埋葬の国にしてはならないのです。
貝原浩が命がけで描き遺した絵をみて下さい。何という美しい絵でしょう。何という悲しい絵でしょう。胸にせまります。
2014年5月
松村 英