□ 1_the first conclusion □ (1)


 バスから降りた瞬間に、潮風が髪を散らした。
「…海…」
 託弥がつぶやく。
 たった今バスが走ってきた高速道路の高架。その眼下は日本海だった。
 細く長く続く階段を下りると、そこは海岸線に沿って拓けた国道で、トラックがひっきりなしに往来している。目の前は海。その中に見たこともないやぐらのようなものが建っていた。
「あれ…何だろ?」
 託弥も知らないみたいだ。首をかしげて、海をじっと見てる。
「さあ…俺も初めて見たから…」
「ひばりは海のそばで暮らしたことある?俺、初めて…」
「俺も。」
 以前、何かで聞いたことがある。観光バスガイドの話。
 『海のない県に住む方々は、海が見えただけでとても喜んで盛り上がってくれます。』
 バカみたいだけど、実際そうなんだよな。何か特別なものを見た気がするから。だから知識もあまりなくて、今目の前にあるやぐらみたいなものも何なのか分からないんだけど。
「まあ…それはともかく何か食おうぜ。すっげえ腹減った。」
 8月半ばの海沿いの町。
 ここから、俺たちふたりの新しい生活が始まる。


 海水浴の時季は終わったばかりだけど、海岸近くにある観光客向けの店は賑わっていた。
 土産物や魚を売る店、民宿と食堂が一緒になったような店、若い奴向けのカフェもある。まだ朝の9時過ぎなのに、たいていの店は扉を開けていた。
 俺たちはぷらぷらと歩きながら、いかにも地元の人がやっているという感じの食堂に入った。
 定食を注文して、席に落ち着く。店の中を見回すと、壁には地元の観光PRのポスターやらイベント案内やらが貼り付けられていた。レジの横にはパンフレットみたいなものも置いてある。俺はそれを1部持ってきて、テーブルの上に広げた。市内の地図、名所案内も載ってる。
「海の辺りって、市街地からは外れてるんだな。」
 地図を見ながら託弥が言った。ここが高速、こっちに国道があって、市街地は…って、さすが元タクドラだな。俺は地図を指さす託弥の指先をぼんやり見ていた。と、急に託弥が小さく叫んだ。
「あっ!これって…」
 託弥の指先を見ると、海の中にも何か案内が書いてある。
「これ、さっき見たやつだよ。海の中にあったやつ。」
 そこには石油会社の名前と、『天然ガス掘削』と書いてあった。
「天然ガス掘ってるんだ…」
 託弥が感心したように言う。こいつ、今まで自分の地元からあまり出たことないんだよな。何を見ても物珍しく、驚いているんだろう。そんな姿が可愛くて、微笑ましくて、俺もつい微笑ってしまう。
 ほどなく注文していた定食が運ばれてきた。焼き魚に煮物と漬物。味噌汁に白飯。どこにでもあるような定食なのに、目の前に出てきた途端、腹がぐぅ、と鳴った。
「食おうぜ。」
「うん。いただきます。」
 託弥は行儀よくとなえると、味噌汁を一口飲んだ。
「はあ…やっぱあったかいものを食わなきゃダメだよな。」
 ほわっとした表情(かお)で息を吐いてる。それだけで、俺の胸の中はきゅっとなってしまう。
 向かい合わせに座ったテーブルの下、俺はつま先を託弥の足にくっつけた。託弥は一瞬、ん?って顔したけど、また少し微笑って足をぎゅっと押し付けてきた。
 そのまま、足をくっつけ合ったまま、俺たちは定食をたいらげた。

 腹がいっぱいになると、今度は眠くなってくる。
 昨夜は徹夜だったし(俺はその前の夜も寝てない)、長時間バスに乗ってたから、少し横になって身体を休めたい。
 俺たちは食堂を出て、また海沿いの道を歩いて行った。
「どっか…休めるとこないかな。」
 辺りを見回してみると、土産物屋や食堂が途切れた道の向こう、見るからにラブホです!という建物が見えた。
「とりあえず寝るだけだから、あそこでもいいよな?」
 振り返ると、託弥はちょっと複雑そうな顔をしていた。
「休憩だよ。きゅうけい。」
「…うん。」
「一眠りしたら、市街地の方へ行ってみようぜ。」
 託弥の肩をぽんぽんっとたたいて、俺は、託弥ががらがらとひいていたスーツケースの取っ手を引っぱって、先に立って歩いた。

 途中、コンビニで飲み食いするものを買って、ホテルまでは20分くらいかかった。
 入口に、部屋の内部を写したパネルがあって、部屋を選べるようになってる。
「いちばん安い部屋…」
 午前10時から夕方6時まではフリータイム。ちょうど10時すぎだから、夕方までゆっくり休める。俺は『休憩4500円』と表示された部屋のパネルのボタンを押した。
 廊下に入ると、矢印の灯りが点いていて、部屋まで案内してくれるようになってる。
「迷路みたいだな。」
 ちょっと笑いながら託弥を振り返ると、託弥はちょっと思いつめたような顔をして、俺からふっと目をそらした。

 部屋に入った途端、託弥は荷物を俺の手からひったくってその場に置くと、俺の腕を掴んだ。
「…なに?」
 問いかけには答えず、ぐいぐい腕を引っぱる。その向かう先は風呂場だ。
「脱いで。」
 自分でも脱ぎながら、託弥は俺の顔をじっと見た。
「そんな慌てて風呂入んなくても…」
「いいから。」
 もどかしげにジーパンを足首から抜き取って、全裸になった託弥が俺のパーカに手を掛ける。そのままばっと前をはだけたと思うと、強引に腕を袖から抜き取った。それから、その下に着ていたTシャツの裾をめくりあげる。子どものお着替えみたいに、
「ホラ、ばんざい。」
と、俺の腕を上げさせてTシャツも脱がせる。
 この勢いじゃ、下も脱がされそうだな…俺は思わず一歩後ずさった。
「分かったよ、あとは自分でやるから。」
 言ってるのに、託弥は俺の腰に腕を回して身体を固定すると、カーゴパンツのベルトに手を掛けた。そのまま下着ごとズボンを下ろされる。
「早く来い。」
 託弥は俺の手を引いて風呂場のドアを開けた。
「待てって。まだ靴下脱いでないっ。」
 俺はドアの前で急いで靴下を脱いで放ると、託弥に引かれるまま風呂場に入った。
 託弥は俺の手首を掴んだまま、シャワーのコックをひねった。一瞬冷水が肩にかかって、俺は、
「ひゃっ!」
と、ヘンな声を上げてしまう。でもすぐ適温の湯が出てきた…と思ったら、託弥はシャワーヘッドを俺に向けた。湯がまともに顔にかかって、俺は思わずげほげほとむせた。
「テッメー…なにすんだよ…っ!」
「あ…わりぃ…」
とは口ばかりで、託弥はそのまま俺の頭のてっぺんから湯をじゃんじゃん浴びせる。どんどん顔に湯が流れてきて息ができない。掴まれたままの手首を振り払って、俺は顔を拭った。
 シャワーの水圧から逃れるように身体をずらすと、託弥はやっと湯を止めて、今度は備え付けのシャンプーを手のひらいっぱいにたらした。
「そこ座れよ。洗うから。」
 浴槽の縁に俺を腰掛けさせて、託弥は手にしたシャンプーを俺の髪にこすりつけた。そうしてがしがしと泡立てて、俺の頭を洗い始めた。顔にぼたぼた泡が落ちてきて、目が開けられない。抗議しようにも、口の中にも泡が入りそうで、俺は目も口もぎゅっと閉じたまま、されるがままになっていた。
 しばらく熱心に俺の頭を洗っていた託弥は次にまたシャワーを手にすると、さっきと同じように俺の頭のてっぺんから湯を浴びせた。泡を流してしまうと、やっと湯の雨から解放される。俺は両手で顔を拭って、洗われたばかりの髪をかき上げた。
「おい、テメーなんのつもりなんだよ。」
 にらんでも託弥は知らんふりで、これも備え付けてあったボディスポンジの袋をばりばり破くと、少し湿らせてからボディソープをこれでもかと盛り付けた。おい、それ、もしかしなくても、今から俺の身体を洗ってやるとかいう…
「もういいって。自分でやるから。」
 俺は立ち上がりながら言った。でも託弥は俺の腕を掴んで離さない。やっぱり思いつめたみたいな表情(かお)でじっと俺を見てる。
「なんなんだよ、もう…」
 溜息を吐くと、託弥は苦しそうに言った。
「昨夜から…風呂入ってない…」
「だからって…」
 言いかけて、俺はハッとした。
 昨夜…そうか。
 昨夜俺は、俺の過去を知ってる男に犯された。託弥の目の前で。
 自分の恋人が他の男に無理矢理手を掛けられたら…そんなの、どんな気持ちかなんて考えなくても分かる。託弥の辛そうな表情の意味も。
「…そうだよな。俺、穢いよな…」
 思わず目をそらして出た言葉。でも、
「ひばりは穢くなんかない。」
 託弥はきっぱり言い切った。
「穢い奴に触られた痕を、俺が洗い流したいだけだ。」
 そうして、きゅっと口を結ぶと、スポンジで俺の身体をこすり始めた。首から順に、丁寧にすみずみまで。足の指の間まで、真剣な顔で。
 それからスポンジを脇に置くと、点検するみたいに、手のひらで俺の身体をなでた。柔らかく優しく、身体の輪郭をたどっていく指先に、思わず声がもれてしまう。
「…あ…や…っ、」
「…気持ちいい?ひばり…」
「そんなの…見りゃ分かんだろ…」
 すでに立ち上がりかけてる俺のモノを託弥はそっとさすった。
「…んっ…」
 俺は思わず託弥に抱きついた。石鹸の泡がつるつるして、くっつけた俺たちの身体をすべらす。そっと背中に手を回すと、託弥はちょっと顔をしかめた。
「…しみる?」
 託弥の背中は蹴られたか何かで打たれたかして傷だらけになってる。滑らかで柔らかい背中だったのに…
「ごめんな…」
「なんでひばりが謝るんだよ。」
 託弥も俺をぎゅうっと抱きしめると、耳元でささやいた。
「全部、俺が上書きしてやる。俺だけのひばりにする。」
 抱き合ったまま、ふたり一緒にシャワーの湯を浴びる。託弥は、俺の後ろにも指を差し入れて洗ってくれた。すっかり洗い流すと、俺たちはもつれるように風呂場を出た。
 そして、脱衣所に置いてあったバスタオルをひったくったそのまま、ベッドに倒れ込んだ。


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