■ 2_June -the 2nd mission ■ (1)
久し振りに姫のオフィスに呼ばれて行くと、デスクの前には水無月が立っていた。
「あら如月。遅かったのね。」
姫が机に頬杖をついたまま、俺をちらっと見た。
「遅い方がいいって言ったの、テメーじゃねえか。」
夜10時過ぎ。社員の大半が帰った後の時間を、姫は指定してきていた。
「水無月は10時ぴったりに来たわよ。」
ミナは姫の前に立ったまま、俺の方を見ようともしない。2月以来だから…4ヶ月振りなのに。…なんだよ、そんな態度じゃ、こっちの方が気まずいじゃねえか。
「さ、ふたり揃ったところで仕事の話だけど。」
姫は机の引き出しから、パソコンで刷り出したみたいな紙を出してきた。
「今回はふたりでやってほしいの。」
いつも、仕事の命令はメールや電話なのに、わざわざ呼び出したのはそういう訳か。
「この男、ホシマルの専務の野坂由二(のさかゆうじ)。こいつの、社内での発言権を落としたいの。」
紙には、中年の男の写真と、プロフィールが結構細かく書いてある。
「ホシマルって、最近伸びてきたゲームのメーカーですよね?」
ミナが資料を見ながら言った。
「そうね。で、問題なのは、業界団体内でのホシマルの位置なのよね。」
姫は机を指先でとんとんたたきながら言った。
「ホシマルが会合とかで発言する内容って、野坂が仕切ってるみたいなの。だから、社内での地位をちょこっと低下させてあげて…」
おい、ちょこっとって…
「発言権をちょこっと…ね。」
姫はにやーっと笑った。いやホント、この女の笑顔見るたび寒気がすんだけど。
「やり方はふたりで考えて。あ、あと、如月。」
俺の方に向き直って、
「アンタ、ヤサ替えるから荷物まとめといて。引越は明日ね。」
「ああ、分かったよ。」
うなずくと、姫は立ち上がって、
「じゃっ、そういうことで。」
と、奥の部屋に戻って行った。
ミナは車で来ていたので、帰りは送ってもらいがてら車の中で仕事のやり方を相談することにした。ミナはちょっと緊張した顔してたけど、仕事の話なんだから仕方ない。
市内をぐるぐる回りながら、結局はいつものとおり、俺がターゲットをたらし込んで、ミナが出てきた証拠を拾う、ってパターンになりそうだ、ってことになった。
車の助手席で、俺はひと息吐いて、煙草を喫おうとスーツのポケットを探った。…あ、ライターがない。またなくした。
「なあ、ライターねえ?」
何気なくダッシュボードを開けると、薄い革の名刺入れみたいなケースが入っていた。また何気なくそれを開いてみると、ミナの運転免許証が入っていた。
「これ…本物?」
思わず訊くと、ミナはそこで初めて気付いたようで、
「…って、おまえ、勝手に見るなよっ。」
と、俺の手からケースを取り上げようとした。その拍子にハンドルがブレて車がよろける。
「おい、ちゃんと前見て運転しろよ。危ねえだろ。」
俺はミナの手を叩き落として、免許証をもう一度見た。
「これ、名前、何て読むんだ?」
「…沖託弥(おきたくや)。」
「へぇ、テメー、託弥っていうのかぁ。」
ミナはぷうっとふくれた顔で無視を決め込んでる。生年月日…
「あ、俺の方が年上なんじゃねえか。」
「…え?!」
心底驚いたみたいな声出しやがって。
「ま、1歳しか違わねえけど。それより、何これ…」
免許の種類の欄、こんなの初めて見たぞ。
「大型、中型、大特、大型二輪…って、何これ、免許マニア?うわ、二種免許まで持ってんのかよっ。」
「別にいーだろ、そんなの。」
機嫌悪い顔して、もくもくと運転してる。
「いや、二種免許なんて、持ってる奴そんないないって。」
「だって俺、タクドラやってたんだもん。」
「え?そうなの?」
今度は俺の方が驚いた声を出してしまった。
「たまたま客で姫を乗せたんだよ。そしたらいつの間にか姫のところで働くことになって…」
コイツが自分のこと話すのなんて初めてだな。
「姫の運転手する、って言われてたのに。」
「ああ〜、あの女に騙されたんだな。」
でも、なんかすごい納得した。本当に堅気なんだ。騙されやすかったり、嘘吐けなかったり、駆け引きできなかったり。…で、大丈夫なのか、コイツ。
「おい、それ、ちゃんとそっちに入れとけよ。」
「え?ああ…」
俺は免許証のケースを元あった場所に入れた。
「で…おまえは?」
信号待ちで停まって、ミナは俺の方を見た。
「俺?」
「本名とか、今まで何やってたとか。」
信号が青に変わって、車はまた走り出す。
「俺のこと聞いたってしょうがないだろ。」
「歳は俺よりひとつ上だって、今言ってたよな。」
なんで俺のことなんて知りたいんだ、コイツは。俺の過去のことなんて…自分でもあまり思い出したくないのに。
「…せめて、本名くらい教えろよ。」
ミナの声が小さくなった。俺は窓に肘を当てて頬杖をついて、流れていく街の灯りを見ていた。
「俺の本名なんて…自分でも忘れたよ。」
翌日。午前中に姫に言われた別のホテルに移って、部屋でぼうっとしてたら、昼過ぎにミナから電話がかかってきた。
「野坂についてちょっと調べたんだけど、結構お固い奴みたいだな。」
「呑み歩いたり、女にちょっかい出したり、そういうことはねえのか…」
電話の向こうで、パソコンのキーを打つかちゃかちゃした音がしてる。
「家庭的っていうか…唯一の趣味は、小学生の息子とゲーセンでゲームすることらしい。」
「ガキと一緒に、か…」
「入り込めそうなのはそこなんだけど、おまえゲームとかできる?」
「いや。」
俺はぼんやり自分の右手の指先を見た。
「ゲームうんぬんじゃなくて、ガキは巻き込みたくねえんだよ。」
「…キサラ?」
意外そうな声でミナが俺を呼んだ。
「これはあくまでも奴の仕事上のことだろ。ガキは関係ねえじゃん。」
「それはそうだけど…」
「まあ、もうちょっと考えてみる。奴のツラもまだ直接見てねえし。」
「…わかった。」
ミナはそのまま電話を切った。
俺は携帯をベッドの上に放り投げて、自分も横になった。
家庭的で…ガキと遊ぶのが趣味かぁ。それが本当なら…たらし込むのは難しそうかなぁ。っていうより、俺自身があまり乗れねえんだよな。
別にガキがすきだとか可哀想だとかいうんじゃないけど。でも、ガキをダシに使ったことが後々ガキ本人に分かってしまったら、後味悪い気がして。
今さら…さんざんこんな仕事してきて、俺、何言ってんだかな。
夕方深い時間になって、またミナから電話がかかってきた。
「昼間言ってた話だけど。」
今度はパラパラと紙をめくる音がする。
「奴がゲーセンでやってるゲームって、ホシマルとは違うメーカーが出してるのなんだけど、家庭用のゲームソフトで発売するのにホシマルが噛んでるらしいんだよな。」
ん?どういうことだ?
「つまり、そのゲームに野坂本人がハマって、これを家庭用でソフト化しようってことになったらしい。で、実際にはホシマルの関連会社で発売することになったんだけど。」
ミナは少し声を落として、
「その取引がかなり強引だったらしくて。」
「それに野坂が関係してるんだな?」
「ああ。相手の会社はアーケードゲーム専門に作ってんだけど、業績はイマイチらしくてさ。多分金も、表向きよりは多く動いてる。」
「分かった。」
俺はベッドから立ち上がった。
「明日、野坂のツラ見に行ってくる。」
「…分かった。俺、何かしとくことあるか?」
ミナはちょっと緊張した声で訊いてきた。
「名刺、また作ってくれ。さわやかげな奴。金融系っぽい会社名で。」
「会社のホームページも作っとく?」
「いや、それはいい。」
俺は思わず首を振った。電話の向こうには見えてないのにな。
「金融系っても闇金ギリギリな奴だから。」
見えてないけど、多分ミナはポカーンとした顔してる。それが想像できて、俺は込み上げてくる笑いを噛み殺すのに苦労した。アイツ、そーいうとこ可愛いよなぁ。
「明日の昼、また電話くれ。」
電話を切って、俺は頭の中であれこれ仕込みを考えていた。