■ 2_June -the 2nd mission ■ (3)
「すみません…」
翌日の夕方、会社のビルから出てきた野坂に、俺は直接声を掛けた。
野坂は不審げに俺をじろっと見た。
「ホシマルの野坂専務さんでいらっしゃいますよね。」
「…そうですが、あなたは?」
「私はこういう者です。」
俺は胸ポケットから、こないだミナに作ってもらった名刺を取り出した。
「公星フィナンシャル…?聞いたことない会社だな。」
野坂は名刺をじっと見てから、俺の顔を見返した。
「宣伝とかしてないんです。特定のお客様としか取引しませんので。」
なんか胡散臭いよな。そりゃそうだ。わざと胡散臭くしてんだから。
「で、私に何かご用ですか。」
野坂は名刺を胸ポケットにしまいながら訊いた。
「今、株取引をご検討されてますよね?」
俺は上目遣いに野坂の顔をのぞき込んだ。一瞬、奴の表情が動く。
「その、お手伝いをさせて頂きたいんです。」
「別に今のところ、株取引なんて考えていませんよ。」
野坂はちょっとだけ口元を歪めて言った。でも目が泳いでる。
「来週末までに…何とかしなくちゃならないんじゃないんですか?」
野坂の目をじっと見たままにっこり笑ってみせると、奴は急に慌てたような顔をして、
「ちょっと君…」
と、俺の肘を取ると、会社のビルに背を向けるように俺を連れ出した。
「どこでその話を?」
…もう、半分堕ちた。俺は腹の中でほくそ笑んだ。
「ふたりだけで、ゆっくりお話ししたいんです。」
俺はまた野坂の目をじっとのぞき込んだ。それから柔らかく微笑ってみせる。なんの下心もありませんよ、とでも言いたげに。
「でも…」
うろたえる野坂に、
「これは、私の仕事とは何の関係もありません。ただ…あなたのお手伝いがしたいんです。」
俺の肘を掴んでいる野坂の手の甲に、俺はそっと手を添えた。
「何を…言っているんだ…」
混乱してるな。もっとしろ。
俺は瞳をうるませて、野坂の目を見つめたまま逸らさない。
「あなたのお役に立ちたいんです。」
たたみかける。野坂はむやみと瞬きを繰り返している。
「ふたりだけで、お話ししたいんです。」
もう一度俺が言うと、野坂は、
「分かった。」
と、駐車場に停めていた自分の車に俺を招き入れた。そのまま奴は車を走らせ、郊外にあるレストランに入った。ちょっと高級めな、個室のある店だ。架かってる絵や調度品も品がよく、低く静かなクラシック音楽も流れている。その、いちばん奥の個室に入ると、野坂は俺にメニューを渡して、何でもすきなものを注文するように言った。正直、こういう店のメニューってよく分かんねえんだけど、俺は値段的に中間くらいのオードブルと肉を注文した。
「で、どういうことなのかな。」
野坂はテーブルに肘をついて指を組むと、用心深そうに俺を見た。
「先日、偶然、そちらの会社の近くの弁当屋で、あなたが部下の方と話されてるのを聞いてしまったんです。」
俺も、奴の目をじっと見て、静かに話した。
「仕事柄、株取引の話をされてるんだな、とすぐ分かりました。でも、それ以上に…」
俺は手を伸ばして、野坂の手にそっと触れた。
「なんとかあなたに近付きたいと思ってしまって。」
これ、嘘じゃないよな。意図は別として。
「こんな、つけ込むような話ですみません。でも僕は…」
すっと目を伏せて、それからもう一度上目遣いに奴の目をじっと見て、
「変な奴だと思うでしょうけど。」
「そうだね。」
野坂はちょっと困ったような顔で、でも一応誠実そうに俺をしげしげと見た。
「君の言っていることは、ちょっと都合がいいように聞こえるね。」
「僕は別に、あなたとどうにかなろうとかいうんじゃないんです。…男だし…ただ、あなたが他人や…家族にも言えないことをしようと思うとき、傍にいてお手伝いしたいんです。そういう意味で、特別に思ってもらえたら、それで満足なんです。」
俺は熱っぽく語りながら、奴の手の甲を指先でそっとなぞった。それから、ハッとしたように、さっと手を離した。
「すみません…」
恥ずかしそうにうつむく。野坂はそんな俺をじっと見ていたけど、はあっと溜息を吐いた。
「君の言うことは分かったよ。」
「じゃあ…?」
「手伝ってもらおうかな。」
「あっ…ありがとうございます…」
俺はちょっと涙ぐんでみせながら、にっこり笑った。…へっ、今きゅんとしただろ。お望みならいっくらでもときめかせてやるからな。
ちょうどそのとき料理が運ばれてきて、野坂も俺に勧めてきたのをいいことに、俺はたらふく飲んだり食ったりしてやった。『僕は元来、無邪気な人間なんです。』
野坂は、次第に愉快そうな顔になり、俺と一緒に食事を楽しんでいた。
その日は駅まで車で送ってもらい、また明日会うということで別れた。
はー、満腹ぅ。タダで高級料理を食わせてもらって、また明日会う約束もできて、俺は上機嫌だった。
あ、そうだ。ミナに知らせとかなきゃ。明日以降、奴と会うときはいろんな話をさせるんだから、ちゃんと記録しとかなきゃなんないんだろう。
俺はホテルの部屋に戻ると、上着だけ脱いでベッドの上に放り、ネクタイもゆるめた。それからベッドの縁に腰を下ろすと、ミナに電話した。
2〜3回呼び出し音が鳴って、ミナの声がした。
「どうした?」
「ん。野坂と親密になれそうだから、テメーにもご報告だよ。」
電話の向こうで、ミナが一瞬黙り込んだ。
「何?どうかしたのか?」
俺は煙草に火を点けながら言った。外に出てるときは喫わないから、ヤニ切れなんだよ。ぷはーと煙を吐き出すのと同時に、ミナが話し出す。
「おまえ…ホントに、奴を惚れさせたのか。」
「んー、まだ完全にじゃねえけど。まあ、俺をそういう相手として意識させるくらいには。まだこれから詰めるけど。」
「へぇ…」
「1回寝ちまえばなー。俺にメロメロになると思うんだけど。明日はキスくらいしてくるよ。」
ミナはまた黙り込んだ。…あれ?なんだ、もしかして、2月のときのことがまだ尾を引いてんのか。
「…仕事だから。」
俺は確認するようにミナに言った。なんで俺がそんなことでコイツに気を遣わなきゃなんないんだよ。
「あのさ、テメーも、俺と野坂の話を拾わなきゃなんだろ、いつどこで会うかとか、その都度知らせるからさ。」
「分かった。」
ミナは短く言うと、そのまま電話を切った。