■ 3_November -the 3rd mission ■ (1)
姫のオフィスは会社のビルの14階にある。
夜10時。社員のほとんどが仕事を終えて帰ったのを見計らって、俺は姫のオフィスに入った。
ここ2ヶ月かけた仕事の報告だ。今回は、製品のリサーチと称して、他社の似たような製品の評判を貶める、という、またもやゲスい仕事だった。
いつもの、口先だけで喋る話と、あとは一応、相手の会社の営業所長とも寝ておいた。
実際に結果が出るのはもう少し経ってからだろうけど、俺の仕事はここまでだ。
オフィスのドアをノックすると、一瞬間があって、姫のすました声がした。
「どうぞ。」
俺が顔を出すと、姫は一瞬ぎくっとした顔をして、でもすぐ取り繕うと、
「ああ、如月。どうしたの?」
と、いつもの調子で言った。
「一応報告な。あと返却。」
俺は胸ポケットから、ボールペン型のカメラやら嘘っぱちの名刺やらを出して、姫のデスクに置いた。
「どうだった?」
「ま、いーんじゃね?俺のやることは終わった。」
「そんな報告ないわよ。」
姫はちょっと笑った。でもすぐ真顔になって、何か言おうとしている。またちょっと迷って、やっぱり口をつぐんだ。
「なんだよ、何か言いたいことでもあんのかよ。」
姫がこんな困ったような顔するのは珍しい。
「うん…」
椅子から立ち上がって、俺の隣まで来ると、小さな声で姫は言った。
「水無月のことなんだけど。」
ドキッとした。前回、一緒に組んで仕事して以来、ミナには会ってないけど。
「困ったことになった…」
姫は目を伏せると、うめくように言った。
姫のオフィス、奥の壁の向こうにもう一部屋ある。小さなバーが付いた、プライベートルームみたいなものだ。
そっちの部屋で、姫はソファにどかっと腰を下ろすと頭を抱えた。
「水無月がミスった。」
俺はソファのすぐ脇に立ったまま、姫の話を聞いていた。
ミナに、某企業の内部ネットワークに侵入させたこと。欲しい情報を引き出せたはいいが、侵入った跡を相手に辿られてしまい、会社に内密に連絡が来たこと。相手の会社からミナを差し出すように脅されたこと…
目の前が真っ暗になった。なにやってんだ、アイツ…
「で、どうするつもりなんだよ。」
俺は姫に訊いた。
「まさか本当に水無月を…」
「そんなことするわけないでしょ。」
姫はかぶりを振って、でもまた頭を抱えて髪をくしゃくしゃかき上げた。
「でも、会社としては水無月を庇うことはできないの。」
「どういうことだよ。」
「水無月はこの会社とは無関係な人になってもらう。」
姫は苦しそうに言った。
「会社としてはシラを切りとおすつもりなの。不正アクセスなんかしてないし、もしこの会社の痕跡があるなら、それは外部の人間がこの会社のネットワークを勝手に使ったんだろう、って。」
「なんだよ…それ…」
「水無月には、今ちょっと隠れててもらってる。もう少ししたら…出てってもらう。」
姫の、無責任としか思えない言葉に、俺は怒りを通り越して寒気を覚えた。
「…仕方ないでしょう?このままじゃ、会社本体が泥を被ることになるのよ。」
姫もやりきれないだろうけど、だからってこんなことは許せない。
「で、水無月はどこにいるんだ。」
「アンタには言えないわ。」
「どうしてだよ!」
遂に我慢できず、俺も声を荒らげてしまう。
「アイツが今までやってきたことを考えろよ!」
「そりゃ、今までよくやってきてくれた。水無月のおかげで持ち直した事業もあるのよ。でもね、たった1回でも失敗しちゃダメなのよ。」
「だから切り捨てるのか。」
怒りで手が震える。
「当面の生活の面倒はあたしが見るわ。」
「姫には任せらんねえな。」
姫は驚いたように俺を見た。
「だから俺に奴の居場所を教えろ。奴のことは俺が…」
守ってやる。
自分が言おうとした言葉に、俺自身がいちばん驚いていた。
「如月…アンタやっぱり水無月と…」
「そんなんじゃねえよ。」
ミナはあんなにも俺を求めてくれた。俺を必要としてくれた。
ミナの声を、俺をじっと見てる目を、その体温を、今でもハッキリ思い出せる。
俺にもミナが必要なんだ。そのことが、今ちゃんと認識できただけだ。
姫はじっと俺の表情を読み取ろうとしているようだった。でも、すぐ溜息を吐くと、薄く微笑った。
「分かった。今ね、地下の会議室にいてもらってる。」
俺が初めて姫やミナに会った会議室。
「偽造パスポートが出来次第、出国させるつもりだった。」
姫は胸ポケットからカードキーを出して、俺に渡した。
「でも無茶しないで。できれば、しばらくアンタも一緒にそこにいてほしい。」
「そりゃ無理なお願いだろ。」
俺はカードキーを掲げて、でも姫に言った。
「姫には感謝してるよ。」
「それイヤミ?」
姫の顔が歪んで、泣きそうに見えた。
「だって、テメーのおかげで水無月と会えたんだからな。」
エレベーターで1階まで。そこから階段で地下3階まで下りる。
この会議室のことを知ってるのは、会社の中でもほんのわずかしかいないはずだ。ほとんどの社員は、会社の奥深いところ、闇の中に俺たちがいることなんて知らない。でも、自分の仕事を全うしようと、毎日必死で働いてるのは、陽の当たるところにいる社員も俺たちも同じだ。
会議室に一歩一歩近付く。ドアにカードキーを入れる。
カチ…
解錠されたドアをゆっくり開いた。中は真っ暗で何も見えない。
ふと、暗闇の中で何か動く気配を感じた。俺は後ろ手にドアを閉めた。
「…ミナ?」
声を掛けたのと、闇の中の気配が近付いてきたのと同時くらい。
「キサラ…?」
かすれた声。でも確かにミナの声だ。
「どこだ、ミナ。」
闇に、必死に目をこらす。
「バカな奴だぜ。ホラ、迎えに来た。」
手を伸ばした先にミナがいた。
「嘘だろ…なんで俺なんかのために…」
俺はミナの腕を掴んで引き寄せた。
「俺なんかとか言うな。」
手探りでミナの顔を探る。指先が奴の涙で濡れた。
「なんだ、泣いてやがったのか。」
「…だって…」
「ホント、テメーはバカな野郎だぜ。」
両手のひらでミナの顔を包む。
「キスしてやるから泣きやめ。」
「…そういうことは言わないもんなんじゃねえの?」
「黙れよ。」
俺はそのまま顔を寄せた。唇で奴の唇を探る。舌で唇をなぞる。口をこじ開けて舌を絡ませた。久しぶりの感触に、俺は何もかも忘れてしまいそうになっていた。
ミナは俺に身体を預けて座り込んだ。俺はそのままミナを抱きしめた。
「もう一生…キサラには会えないと思ってた。」
ミナも、言いながら、しがみつくように俺に抱きついた。
「そんなこと…俺が許さねえ。」
ミナは驚いたように腕の力をゆるめた。
「テメーが俺をどう思ってるかじゃねえんだ。俺が、テメーと一緒にいたいんだ。」
手のひらでミナの顔を探る。頬にかかった髪を払う。耳元で、奴にだけ聞こえる小さな声で。
「なあ、託弥。」
奴が息を呑むのが分かる。
「俺の…本当の名前、知りたいか?」
相当驚いてるな、これは。ピクリとも動かない。ホント…可愛い奴。
「俺の本当の名前な…陽晴(ひばり)っていうんだ。」
「ひばり?」
俺はうなずいて、
「守居陽晴(かみいひばり)。女みてぇな名前だろ。」
「いい名前だよ。」
水無月―託弥は腕を広げた。
「高い空の上まで飛んで行けそうな名前だ。」
「そのわりに、今いるのは地下3階だけどな。」
ふたりして額をくっつけてくすくす笑う。
「テメーのことは俺が守る。今、ここから出してやる。」
「キサラ…」
「本名教えたんだから、本名で呼べばいいだろ。」
託弥はぎゅうっと俺を抱きしめて、消えそうな小さな声で俺を呼んだ。
「ひばり。」
「ん?なんだ?」
「…愛してる。」
「バカ。そんなこと、今言うな。」
「言いたくなっちまったんだから仕方ねえだろっ。」
照れてんのかよ。自分で言っといて。なんで、こんな可愛いんだ。
「そんなこと言われたら、俺、テメーを一生離さないぜ?」
髪を撫でながら言ったら、託弥はまた、ぎゅうっと俺にしがみついた。
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