■ 9_August -the last mission ■ (1)
いつもと同じ朝だった。
起きて、シャワー浴びて、託弥にコーヒー淹れてやって、俺は野菜ジュース飲んで。託弥がパンを温めてくれて、ふたりで食べて。今は私服でターゲットを尾けてるから、託弥が服を出してきてくれて、その間に歯磨きして髪を直して。着替えたら部屋を出る。
「行ってくる。」
ドアの前で振り返ると、託弥は俺をきゅっと抱きしめて、耳元で
「忘れもの。」
と言うと、そのまま頬にちゅっとキスした。
「あんまり出歩くなよ。」
「分かってる。ひばりも気を付けてな。」
託弥は笑顔でひらひらと手を振って、俺を送り出した。
でも、いつもよりちょっと帰るのが遅くなった。
今、俺が尾けてるのはフリーのデザイナー。コイツが毎日誰と会ってるのかをチェックする。今日は珍しく、コイツが夕食を女と一緒にホテルのレストランで食っていた。多分、恋人なんだろう。いちゃいちゃしやがって。俺だって早く帰りてえよっ。結局、奴らは同じホテルの部屋に入っていった。
今日はここまで。明朝は奴の会社の前からの尾行でいいか。
早く帰りたい。もう、夜11時半。俺は急いで自分たちの部屋に戻った。
「ただいまっ。」
ドアを開けると、部屋の中は暗かった。
「…託弥?」
灯りをつけて、呼んでも返事はない。部屋の中は片付いていて、食器は洗ってカウンターの上に並んでいる。テーブルの上には託弥のノーパソと携帯がきちんと置いてある。クローゼットにはちゃんとスーツがかかってるから、仕事で出たんじゃなさそうだ。
「…どこ行ったんだ、アイツ…」
冷蔵庫からビールを出してきて、その場で立ったまま一口呑んだ。ここからだと部屋全体が見渡せる。なんか…ひとりでいると妙に広くて寒々しい。
早く帰ってこいよ。腹減った。託弥とふたりで飯食いたいよ。
結局そのまま朝になった。
俺はベッドの上で、膝を抱えたまま託弥を待っていた。
小さい子どもだったころを思い出す。帰ってこない母親を待って、布団の上で膝を抱えてた。でも今はあのころとは違う。状況はなんとなく分かってる。
何か、あった。託弥の意思ではない、何かが。
窓の外が白みはじめた。俺は枕元に置いておいた携帯を取って、姫に電話した。
1コール終わらないうちに姫が出た。
「俺。」
「うん…。今から来れる?」
姫の声もせっぱつまっている。
「すぐ行く。」
俺はそのまま部屋を出た。
「何があった?」
姫はデスクに肘をついて頭を抱えていた。
「水無月が…奴らに持ってかれた。」
やっぱりか。俺は来客用のソファにどかっと腰を下ろした。
最近ちょっと気がゆるんでたのかもしれない。託弥も以前よりは外に出ることが多くなってきてたし、俺も目を離しがちだった。今の生活に慣れて、託弥に対する奴らの手出しを甘く見てたのかもしれない。
膝に肘をついて頭を抱えた俺を、姫はじっと見ていた。そして椅子から立つと、俺のすぐ横に来て、苦しそうに言った。
「アンタが悪いわけじゃない。」
声が暗い。去年の11月のときと同じだ。
「アンタが仕事で外に出てるとき、あの子、ぷらぷらと出掛けてたみたいね。」
「そりゃ…多少は外出もすんだろ。」
「多少…ねぇ…」
姫は溜息を吐いて、
「あの子、不動産屋に行ってたみたいだけど、アンタ知ってた?」
と言った。俺は思わず顔を上げて姫を見た。頭を後ろから殴られたみたいな酷い衝撃を受けていた。
アイツ…まさか、以前(まえ)話してたことを実行しようとしてたのか。あんな夢物語みたいなことを。
俺が黙り込むと、姫はまた溜息を吐いて、
「とにかくどうするか考えましょ。」
向かいのソファに腰を下ろした。
「向こうは何て言ってきてるんだ?」
俺は姫をじっと見つめながら訊いた。
「実際に連絡を寄こしたのは相手の会社じゃなくて別の人間なの。それも、あたし個人に直接ね。」
姫はポケットから走り書きのメモを出した。携帯の電話番号が書いてある。
「『おたくの水無月さんをお預かりしてますよ』って言われたわ。今後のことは、この番号に連絡くださればご相談に応じます、って。」
「ふざけやがって…」
思わずこぶしを握ってしまう。奥歯がぎりぎりと音を立てた。
「…アンタたちは、あたしが個人的に雇ってるんだからね、会社はノータッチ。あたしたちで何とかしなきゃなんない。」
「あたしたち?」
俺は姫をにらんだ。
「俺ひとりで充分だよ。」
「ちょっと、如月。」
姫が焦ったような声を上げた。
「勘違いしないでよ。あくまでも、奴らの交渉相手はあたしなのよ?」
「でも、水無月を取り返すのは、俺ひとりで充分だって言ってんだよ。」
俺は立ち上がると、姫を見下ろした。
「待って、如月。」
姫も立ち上がる。
「多分、奴らは金を要求してくるわ。水無月の身柄と引き換えにってね。でもそれだけで済むはずがない。それだけで水無月を返すかも分からないし、その場でそれ以上の要求をしてくる可能性が高い。」
一気にまくし立てる。声がだんだん大きくなってきた。
「相手はもう、会社じゃないのよ。多分、会社と繋がりのある暴力団関係者なのよ。」
「だからどうだって言うんだよ。」
逆に、俺は声が低くなった。
「相手が暴力団関係者だって俺には関係ねえ。それに…」
頭の中には、過去に自分がしてきたことが浮かんでいた。
「奴らのやり方は分かってる。自分がそうだったからな。」
姫は、すっと目を伏せてしまった。
「テメーも知ってんだろ。俺がむかし何してきたか。」
「…多少はね。」
ソファに力なく腰を下ろした姫に、俺は努めて穏やかに言った。
「そのメモ、寄こせよ。俺が電話してみるから。」
「ねえ…ちょっと待ってよ。今、皐月を呼ぶから。」
姫は急いで電話をすると、
「とりあえず座りなさい。お茶、淹れてくるわ。」
一応、口調は命令だけど、いつもの高圧的な強制力がない。
「俺はいいよ。」
俺は一応ソファに腰を下ろした。
「朝は、野菜ジュースを飲むって決めてるから。」
10分ほどで、サツキが部屋に駆け込んできた。
「水無月さんが拉致られたって…?」
息が弾んでる。
「…如月が相手と接触することになったわ。」
姫が沈んだ声でサツキに言った。
「どうして?なんでそんなこと如月先輩にさせるんですか?」
サツキは姫にくってかかろうとしている。
「姫は関係ねえんだよ。俺が行くって決めたんだから。」
俺は立ち上がってサツキに向き直った。
「せっかく来てもらってわりいけど、サツキに何かしてもらおうとかも思ってねえから。」
「ちょっと待ってくださいよ、如月先輩。」
「何を要求されたとかはまた連絡するよ。とにかく水無月を取り返さないと。」
「無茶ですって!」
サツキが俺の腕を掴んだ。
「無茶でも何でも、俺が行かなきゃどうしようもねえんだよ!!」
俺は掴まれた腕を大きく振り払った。サツキは呆然としたまま俺を見ている。
「サツキ。」
言っておいても…いいかな。姫にも、ちゃんと聞かせておきたい。
「以前(まえ)言ってた奴な、水無月のことなんだよ。」
「…え?」
「俺がマジで惚れてる奴、って。」
サツキは絶句した。姫もうつむいてしまった。
「男同士で…気持ちわりい?」
「いえ…」
皐月の声が震えている。
「そうじゃないかな…って思ってました。」
俺は驚いてサツキを見た。サツキは俺から目をそらしながら、
「初めに気付いたのは、水無月さんじゃなくて、如月先輩の方なんです。」
と、小さい声で言った。
「俺や姫と話してるときと、水無月さんと話してるときじゃ、目が優しくて…声も全然違うから。」
…自分じゃフツウにしてるつもりだったけど…
「でも如月先輩には言えなくて、水無月さんにカマかけてみたっていうか。」
サツキは俺をちらっと見て、またうつむくと、
「あのときはすみませんでした。」
と頭を下げた。
「いいよ、もう。」
俺はもう一度サツキに向き直った。
「アイツさ…俺が、子どものころからずっと欲しくて、でも俺なんかじゃ絶対手に入れらんないって諦めてたものを、全部くれたんだ。」
言いながら、頭の中には託弥の顔が浮かんでいた。真剣にパソコンの画面を見てる顔。車を運転してる横顔。ベソかいてる顔。呆れてる顔。怒ってる顔。俺を、腕の中にすっぽり包んで笑ってる顔。俺だけをまっすぐ見つめる目。俺を呼ぶ優しい声。
「だから、絶対、アイツのことは俺が守るって決めてたのに。」
目の前がかすんで、声が震えてしまう。
「絶対離さないで守るって…」
「如月…」
姫が俺を見上げてる。姫の目も揺れてる。
俺は自分の手のひらを見た。この手で、絶対…
「アイツを取り返す。」
ぎゅうっと手を握って、俺は誓いを立てるようにつぶやいた。
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