■ 9_August -the last mission ■ (2)


 姫は、相手の電話番号を別のメモ用紙に書き直して俺に渡した。
「何かあったらすぐ連絡しなさい。」
「ああ。」
 サツキが不安そうな顔で俺を見ている。姫も、俺からふっと目をそらした。
「ふたりとも、そんなツラしてんじゃねえよ。」
 俺はなんでもないことのように言った。
「死にに行く奴を見送るみてえなツラじゃねえか。」
 姫の視線が揺れてる。この女のこんな顔見るの、最初で最後だな。俺は姫の頬を手のひらで包んで、親指の腹で眼鏡の下の目尻をぐりぐりこすった。
「らしくねぇな。」
 姫は一瞬びっくりした顔になったけど、すぐ俺をにらみつけた。
「やめてよ。水無月に怒られるから。」
「テメーのそういう強気な顔、キライじゃなかったよ。」
 言い終わらないうちに、手をたたき落とされる。
「バカなこと言ってないでっ。」
 サツキはサツキで、ポカーンと俺たちを見ていた。
「なぁ、サツキ、姫のこと頼むな。」
 声を掛けると、サツキはハッとして、強い目で深くうなずいた。
「じゃあ、行ってくる。」
 もう多分戻ってくることはない、姫のオフィス。
 俺は部屋を出て、繁華街に向かって歩き出した。

 夕方まで映画館に入って時間を潰した。
 画面を見ていても、内容なんてまったく頭に入ってこない。
 同じ映画4回分の時間をそこで過ごして、俺は薄暗くなった街に出た。
 ポケットに姫から渡された電話番号のメモ。まったく見覚えもない、どこの誰かも分からない。
 俺は繁華街近くの雑居ビルの外階段に腰を下ろして、電話をかけた。3〜4回呼出音が鳴って、相手が電話に出た。
「…誰だ。」
 男の声。どこかで聞いたような…?
「テメーが拉致った男の相方だよ。」
「…その声…おまえ、亮か?」
 男が、むかしの俺の偽名を呼んだ。思わず言葉に詰まる。
「俺が誰だか分かんねえのか、亮?」
 男はふんっと鼻を鳴らすと、
「俺だよ、重浦(しげうら)だよ。」
と名乗った。…なんで…なんで?!
「しげ、うらさん…」
「なんだ、アイツ、おまえの相方なの?」
 あまりの衝撃に言葉が出てこない。
「とにかく、どっかで会おうぜ。おまえもそういうつもりで電話してきたんだろ。」
「それは…そうなんだけど、その前に、」
 俺は慌ててるのを向こうに覚られないよう、冷静を装って訊いた。
「奴は無事なんだろうな?」
「ああ…俺はなーにもしてないぜ。ただ、裸に剥いて倉庫に転がっててもらってるだけで。」
 全身の血が逆流したように、俺は総毛だった。
「テメー…」
「あ?なんだ、亮。おまえ、俺にそんな口きけるくらい偉くなったんか。」
「俺は、今は亮じゃねえ。」
「また別の名前使ってんのか。まあどうでもいいや。俺は亮って呼ばせてもらいますよ、便宜上。」
 鼻で笑ってやがる。
「ともかく、ちょっとツラ見せろや。」
 重浦は、呑み屋が入ってるビルの名前を言った。
「そこの5階にピーチって店があるからそこで。俺の舎弟の女(バシタ)がやってる店だから。」
「分かった。」
「今から行くから、おまえも来い。」
 俺は電話を切って…でも、今の衝撃でしばらくの間、座ってた階段から動くことができなかった。

 言われた店は、華やかな感じのスナックだった。まだ開店前らしく、入口の灯りは消えている。それでも一応ドアを押してみると、内側にゆっくり開いた。
 店内は薄暗く、女がひとりカウンターの中で酒の支度をしているところだった。俺に気付いて顔を上げると、
「重浦さんのお連れさん?」
と訊いてきた。俺がうなずくと、女は奥のボックス席を手で指した。見ると、重浦が煙草をふかしながらスポーツ新聞をめくっていた。
 俺はテーブルの横に立って、重浦を見た。緊張…する。
「おう、亮、来たか。」
 俺を見上げた重浦の顔は、やっぱり、俺のよく知っている重浦のままだった。
「まあ座れよ。」
 向かいの席を顎で指す。俺は言われるまま、重浦の向かいに座った。
「6年ぶりだな。」
 重浦はスポーツ新聞をおおざっぱにたたんで脇に置くと、テーブルに肘をついて、俺の顔をじっと見た。
「おまえ、全然変わらねえな。可愛いツラしやがって。」
 俺は視線をそらした。
「6年前、おまえが急にいなくなって、俺がどんなにショックだったか。」
 ニヤニヤしながら俺を見てる。重浦の吐いた煙草の煙が俺の鼻先を漂った。
「利用できる奴がいなくなったってだけのことじゃねえか。」
 視線をそらしたまま、俺は言い捨てた。
「俺、結構おまえの面倒見てやってたつもりだったぜ?いなくなったときは、飼い犬に逃げられたみたいな気分だったし。」
「あんなの…面倒見てたって言わねえだろ。」
 俺は重浦をにらんだ。
「毎日抱いてやったじゃねえか。」
 それが面倒見てたってことになるのかよ。俺はまた重浦から目をそらした。
「むかしの思い出話をしに来たんじゃねえんだよ。」
 俺はそう言ったけど、声が震えそうになるのをこらえるので精一杯だった。
「そうだな。で、何?」
 重浦はソファにどっかりと寄りかかった。
「アイツ、おまえの相方だって言ってたな。」
 俺を見下ろすように見ながら、吐き捨てるように。
「ウルダスの子飼いの工作員なんだろ。あんな堅気の野郎とつるんで。」
「奴をどうするつもりなんだよ。」
「さーて、どうするかな。」
 重浦は、新しい煙草に火を点けながら言った。
「アイツと引き換えに、おまえんとこの女常務からちっと支払ってもらうかな。」
 またニヤニヤと俺を見下ろしながら、
「ああ、あと一筆書いてもらわなきゃなんねえよなあ。」
と、面白そうに言った。
「この度はご迷惑をお掛けして申し訳ありません。お詫びとして、今後毎月金100万円をお支払い致します。みたいな?」
 重浦はさぐるように俺の目をのぞき込んだ。
「そんなこと言っても、あの女は聞かないと思うぜ。」
「それはどうかな。」
 煙草を消すと、重浦は席を立った。
「行こうか。」
 顎をしゃくって俺を促す。
「奴に会いに来たんだろ。会わせてやるよ。」


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