■ the 4th session ■


 2階に住んでいた下宿人の女の子が急に引っ越すことになったのは、里崎が越してくるのが決まった翌日だった。
「本当に急でごめんなさい。予定より早く向こうに戻らなきゃならなくなって。」
 申し訳なさそうに言う彼女に、
「仕方ないよ、大事な就職のことだもんな。」
と返すと、
「…江利さん、ひとりになっちゃいますね。」
 言外に「寂しいんじゃないですか?」と言われているようで、思わず苦笑が洩れる。
「大丈夫だよ。近々ひとり入ることになったから。」
 気を遣わせないようにそう言うと、彼女はちょっと目をみはった。そして、その次にはからかうような笑顔になって、
「なんか嬉しそうですね。」
と、興味深げに言った。
 そんな浮かれたように見えたのかと内心あわてながら、
「いや、男だし。そんなんじゃないから。」
と首を振ると、彼女は
「どんなひとだか見てみたかったな。」
と、残念そうにつぶやいた。

 彼女が出ていったのと入れ違いに、里崎が引っ越してきた。
 荷物を運ぶのを手伝おうかと言う俺に、里崎は、大きな荷物はないからとやんわり断った。
「家具家電付きのアパートだったんで。荷物は、着替えと細々したものとノパソだけなんです。」
 その言葉どおり、スーツケースと大きなボストンバックひとつだけの引っ越しは、数時間で片付けまで終えてしまった。
 一息ついて、夕飯はささやかな宴会になる。
 近所の店で買ってきた刺身と缶ビールでゆっくり呑んでいると、なんだかふたりでこうしているのがしっくりくるような気がして、穏やかな気持ちになってくる。
 里崎は刺身が好物なようで、まぐろを食べてはうなづき、えんがわを食べては目を細め、満足げにビールを呑む。
 これから毎日こうやって食卓に着けるんだな。そんなことを、何故かどうしようもなく嬉しく感じる自分が不思議だった。

 一緒に暮らして判かったのは、里崎のちょっと変わった思考だった。
 ヘンに気を回し過ぎたり、なのに口調は横柄だったり。
 それから、やっぱり、夜に急に外出することもときどきあった。
 ちらっと訊いてみると、専用の出会い系のようなアプリがあって、それを通じて連絡が来るのだという。
「そういうのって、サクラとかじゃねえの?」
と訊く俺に、里崎は
「俺が使ってるアプリでは、そういう噂は聞かないですけど…」
と、言いにくそうに応えた。
「売春してる奴とかもいそうだけど。」
 なんとなく面白くなくて、こっちも否定口調になってしまう。
「女でいう風俗嬢みたいのは売り専っていうんですけどね。」
 里崎は苦笑して、うつむいてしまい俺とは目を合わせない。
「この街でも何年か前にはいたらしいですよ。でも、そいつはアプリとかじゃなくてガチな奴だったみたいで、裏にヤクザがいたとか…」
「マジかよ…」
 絶句しかけた俺をちらっと見て、
「俺はそういうとこには近付かないようにしてるんで大丈夫です。」
 里崎は不服そうに言った。
「そんなの、アプリのプロフィールだけじゃ分かんないじゃん…」
 思いの外、心配そうな声が出てしまって、自分が恥ずかしくなる。
「あ…遊ぶのはいいけど、気を付けろよ。」
 取り繕うように言うと、里崎はちょっと意外そうな顔をして、
「大丈夫です。」
と繰り返した。

 そんな話をしたからか、里崎はその日以降、夜の外出をほとんどしなくなった。
 仕事を終えて帰ってくると、毎日ふたりで夕飯を食べる。他愛のない話をして、10時過ぎにはお互いの部屋に戻る。そのあとは風呂に入って、さっさと寝てしまうようだ。
 なんの変哲もない日々。でも、それが俺にとっては大切なことになっていた。
 そんなある日のことだった。
『今日は夕飯要りません。帰宅は9時過ぎになります。』
 里崎からLINEが入ったのは昼過ぎだった。
 いつもなら6時過ぎには帰ってくるのに(残業する気はゼロらしい)、なんだか気になる。
 そして、夜10時近くになって帰ってきた里崎は疲れきった顔をしていた。
「おかえり。お疲れ。」
 里崎を待ちながらDKでビールを呑んでいた俺は、わざと素っ気なく言って、冷蔵庫から缶ビールを1本取り出す。
「呑む?」
 テーブルに缶を置くと、里崎は
「いただきます。」
と言うが早いか乱暴にプルタブを開け、立ったまま一気にビールをあおった。
「ま、座れば。」
 隣の椅子を指すと、どすんと音を立てて腰を下ろして、大きな溜息を吐いている。
 仕事でなにかあったんだろうか。それとも…また別の男?なんだかこっちも落ち着かない気分になる。
 里崎はさらにビールをぐびぐびと呑んで、缶を机に置くと、俺に向き直って小さく首を傾げた。
「聞きたい?」
 なにを、とは言わず、ちょっと高飛車な口調で俺を見つめる。
 試されてる。
「おまえが話したいなら聞く。」
 俺は席を立つそぶりで、やっぱり素っ気なく言った。里崎は俺をじっと見たまま、
「江利さんさ、俺がまた別の男となんかあったとか思ってる?」
と訊いてきた。
「別に。でも、そんならそれで俺が干渉することでもないし。」
 本当は聞きたい気持ちをスルーして、なんでもないことのように応える。
 聞きたい…でも聞きたくない。このごろやっと落ち着いてきたと思ってたのに。
 黙ってしまった俺に、里崎は小さく笑い声を洩らした。
「なにがおかしいんだよ。」
「違うんだって。そうじゃなくて…」
 でもまた真顔になると、
「母親と飯食ってきたんです。」
と、吐き捨てるように言った。
「へえ?珍しい。久しぶりに会えてよかったな。」
 ちょっとホッとしてそう言うと、里崎は小さく舌を打って、
「よかったな?…全然。」
と憎々しげに言った。
「要は、俺が世間様に対して恥ずかしいことをしてないか、偵察に来たんですよ。」
「そんな言い方ないだろ。」
 俺は椅子に座り直して、まっすぐに里崎を見た。
「あんたは俺の家のこと知らないから…」
 里崎もにらみ返すように俺を見る。
「ウチの親父は昭和の田舎ジジイですからね。俺がゲイだって分かったら、もうそのツラ見せんなって蹴り出されたんですよ。それ以来、家には帰ってないんです。」
 …あぁ〜…そういうことって、現実にあるんだな…
「母親も親父には逆らえないし、呆然としてるだけで、俺にはなにも言いませんでした。でも時々、…多分親父に言われてでしょうけど、俺の様子を見に来るんですよ。」
 まあ、適当にごまかしてますけどね、と里崎はつぶやいて、
「だから、俺はもう、帰る家とか場所とかはないんです。」
 すべてを切り捨ててサッパリしたような声でそう言うと、里崎は残っていたビールを呑み干した。そして椅子を立つと、
「ビール、ごちそうさまでした。風呂入って寝ます。」
と、缶を流し台でゆすいで片付け始めた。
「じゃあ、ずっとここに住んだらいいじゃん。」
 思わず、その後ろ姿に声を掛ける。里崎がゆっくり振り返った。
「ウチ、特に契約年数とか決めてないし。」
「…店子のヌシみたくなって?」
 苦笑した里崎に、俺は真面目に語り掛ける。
「俺は、サトがここにいてくれたら嬉しいし、毎日楽しい。一緒に飯食ったり、いろいろ話したり、そういうの、サトとできるの、すごくいいと思ってる。」
 里崎は一瞬ポカンとした顔になり、でも次にはぱっと顔を赤くして、うろうろと視線を泳がせた。
「俺、今のこの状態、サトとふたりで生活してるの、すごい気に入ってるもん。」
「アラサーの男が、もん、とか言うのやめろよ…」
 悪態を吐きながらも、その声はうわずっていた。
「…まあ…考えておきます。」
 うつむきがちにそう言うと、里崎は足早に俺の脇をすり抜けて自室に戻った。



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