■ the 5th session ■ (1)
里崎とふたりで暮らすようになって、2ヶ月が経った。
毎日の生活は相変わらずで、むしろその方が俺としては安心できていいような気もする。
そろそろ肌寒くなってきたころの夕方。仕事を終えて事務所を出ようとしていたところに、なんの連絡もなく、神津がやってきた。
「おう、もう店じまいかい?」
ちょっとびっくりしたように、神津は声を掛けてくる。
「うん。もうじきサトも帰って来るしな。」
事務所の引き戸に鍵をかけながら俺は言った。
「なに?仕事?急ぎじゃないなら明日にしてくんねえかな。」
振り返って言うと、神津は腕組みをして考え込む顔になった。そして、
「いや、ここんちに越して来たいって奴がいてさ。」
親指で母屋を指して、神津は口を尖らせた。
「今、サトちゃんだけなんだろ。人、入れねえの?」
まっすぐ俺を見据える神津に対して、俺は目を逸らせた。
「まあ、そのうち。」
「そのうちって…」
と、そこにタイミング悪く、里崎がこっちに入ってくるのが見えた。里崎は俺と神津をちらちらと交互に見て、居心地悪そうな顔をした。
「おかえり。」
声を掛けると、
「ただいま…」
小さな声でそう言って、神津に会釈すると、里崎はそのまま家に入っていった。
その後ろ姿を見送って、神津が口を開く。
「なあ、おまえ、やっぱりサトちゃんと…」
「うるせえな。」
決してからかわれているのではないと分かってはいるけど、そこに触れてほしくなくて、俺は神津をにらんだ。
「そういうんじゃないって言ってんだろ。」
「…おまえさ、今、サトちゃんが帰ってきたとき、自分がどんな顔してたか解かってる?」
呆れたような神津の言い方に、ぐっと言葉が詰まる。
「安心したみたいな、ほんわりした顔しちゃってさ。」
神津はそう言って、お手上げ、とばかりに両手を小さく上げてみせた。
「店子のことは、今回は断っとくけど。家をこのままにしとくつもりではないんだよな?」
念を押されて、目でうなづいてみせると、神津はそのまま帰っていった。
「さっき、ちょっと聞こえちゃったんだけど。」
夕飯を食べ終えてコーヒーを淹れていると、テーブルにいる里崎が遠慮がちに声を掛けてきた。
「店子、入れないんですか。」
コーヒーのカップを里崎の前に置いて、俺も椅子に腰を下ろした。自分のカップを両手で包んで、ふうっと息を吹き掛ける。熱いものは飲めないけど、こうしてカップを持っている感触がすきだ。里崎は、そんな俺をじっと見つめた。
「ずっと入れないってつもりじゃないけど。今は…いいかなって。」
カップの中で揺れるコーヒーの表面を見ながら俺は言った。
「…俺が、迷惑掛けてるからですか。」
予想外の方向からの発言に、俺はびっくりして里崎を見た。
「この家って、江利さんの親御さんか親族かに、江利さんが管理を任されてるってことですよね、なら、店子をたくさん入れた方がいいんじゃないんですか。」
あ…そんなふうに思ってたのか。俺はカップをテーブルに置いて、頬杖をついて里崎に目をやった。ちゃんと説明してなかったことを少しだけ後悔しながら。
「この家はさ、元々は俺のじいちゃんの家なんだよ。」
里崎は小さく首を傾げて、俺の話を聞いている。
「俺の親は離婚して、それぞれ再婚して、俺はじいちゃんの家に預けられたわけ。親とは完全に縁が切れてて、今じゃもう、電話番号くらいしか分からない。」
里崎がわずかに目をすがめたのを見て、俺は努めて明るく言った。
「別に、それはどうでもいいんだ。俺もなんとも思ってない。で、じいちゃんが亡くなって、この家をどうするんだってなったとき、俺が家の面倒見るからって、周りのひとたちに啖呵切っちゃってさ。」
おどけて言うと、里崎は小さくうなづいた。
「ここって繁華街に近いわりに、昔からの住人が多くて下町みたいな感じじゃん。じいちゃんが亡くなってからも、近所のひととか良くしてくれてさ。でも年寄りばっかだから、この家に若い奴らに住んでもらえば、町も少しは賑やかになると思ったんだ。それで、間貸しを始めたんだよ。」
俺の説明に、里崎はやっと腑に落ちたように、
「じゃあ、ここは江利さん名義の江利さんの家ってこと…」
とつぶやいた。
「そう。だから、店子を入れるも入れないも、ただ俺の判断だけ。今はサトの他には店子がいなくてもいいから。」
俺はまっすぐ里崎を見て言った。
里崎はちょっと顔を赤らめて、そわそわした様子になる。
…可愛い。
俺の言うことに対する反応が、いつだって。
それは、ほんのわずかでも、俺に心を開いてくれてるからなんだろうか。
ほんのわずかでも、俺に対してなんらかの感情を抱いていてくれてるからなんだろうか。
確かめたい。
俺は立ち上がると、里崎の腕を掴んで椅子から立たせた。抵抗されるかと思いきや、意外なほど素直に、俺のされるがままになっている。
「サト、こっち。」
腕を引いたままDKを出て、そのまま俺の部屋まで引き入れる。
部屋に入ると、里崎はさらに居心地悪そうにうつむいた。
常夜灯だけの薄暗い部屋の中で、里崎の白いシャツがその存在を主張しているようだった。
いいかげん、俺も腹を決めなきゃいけないのかもしれない。
だって、こいつが、こんなにも可愛くて仕方ない。
「なあ。」
俺の声に、里崎はびくん、と肩を震わせた。
「おまえさ、俺のことすきなの。」
里崎の目が潤んでいるのが、灯りの反射で判かる。
「…だったらどうだって言うんです。俺を、この家から追い出しますか。」
わずかにうわずった声で里崎は言った。
「でも、そしたら俺は宿無しですよ。ホームレスですよ。市役所に勤めてんのに。」
「脅してんの?」
こいつの思考って、なんでこうなんだろ。ある意味、面白いけど。
「ってゆっか、なんでそうなるんだよ。」
俺は、掴んでいた里崎の腕を引っぱった。呆気なく、里崎は俺の腕の中に収まった。
「…なんの、つもりですか…」
身体を硬くして、でも逃げようとする気配はない。里崎の背中に腕を回してきゅっと抱きしめると、その身体はますます硬くなった。
「だってさぁ、サト、可愛いんだもん。」
肩越しに、その耳元にささやく。
「だもん、って…」
「ずっと一緒に暮らしたいって思ったんだもん。店子と大家じゃなくてさ、もっと近くて、対等な立場で。」
里崎は「は?」と小さく叫ぶと、俺の肩を両手で押し返した。
「あんた…なに言ってんの?」
本当に意味が解からないという表情で、里崎は俺を見た。
「それって、プロポーズと同じだって、解かってて言ってる?」
里崎の言葉に、逆に俺は呆気にとられた。
「あ…そうなるのか?うん、そんならそういうことで。」
思わず首を傾げてしまったけど、でもそれならそれで一向に構わない。むしろ、自分が誰かに対してプロポーズする日が来るとは、我がことながら意外過ぎて、そっちの方が驚く。
「なんで、そんな…」
「…おまえだから、だろうな。」
俺は里崎の頭を撫でた。大して身長も変わらない男の頭を撫でるなんて、これまた初めてのことだけど。
しばらく、お互いなにも言わずにそうしていた。ずっと頭を撫で続ける俺に、里崎は諦めたように顎を上げると、
「本当に?」
と、ハッキリした声で言った。
「俺、こんなだから、なんでもズケズケ言いますよ。」
「うん。」
「家事とかもできないし。」
「知ってる。」
「あんたの周りにいるひとたちに嫉妬したりするかも。」
「それは、」
俺はもう一度、里崎を抱き寄せた。さっきより、ずっと強く抱きとめる。
「そんな必要ないんだって、だんだんに覚えていけばいい。」
耳元でささやく。
「俺が、おまえをどんなふうに思ってるのか、実感してくれれば、そんなのなくなるはずだから。」
「…自信家?」
里崎がくすっと笑った気配がした。やっと、笑ってくれた。
「…すきだよ。」
もう一度、耳元で、言葉を流し込むようにささやく。里崎は俺の背中に腕を回して、服をきゅっと掴むと、
「俺も、すきです。」
と、小さな小さな声で応えた。