■ the second session ■ (2)
コーヒーのカップをふたつ片付けると、江利さんは俺を玄関に呼んだ。
引き戸をカラカラと開ける。外はさっぱりと晴れていた。
「昨日は詳しく話さなかったけど、俺の本業は下宿屋の大家じゃなくて、こっちなの。」
江利さんはそう言って、母屋を出てすぐ右手にある離れを指した。
入口の引き戸には、自作と思しき看板が掛けられている。
「…『江利企画』…?会社ですか?」
驚いた声が出てしまった。江利さんは俺を振り返ってニッと笑った。
「そんな大層なもんじゃないけどな。」
そして入口をがらがらと開けると、俺を招き入れた。
中は12畳ほどの一間で、中央にテーブルと椅子、その他には事務机がひとつと棚があるだけの簡素な空間だった。フローリングの床も白い壁も、ちゃんと掃除されてさっぱりと気持ちいい。
「なんの仕事をしてるんですか?」
たたきで靴を脱いで、勧められたスリッパを履く。ふかふかで清潔だ。
江利さんは棚から新聞の折り込みチラシと地元のフリーペーパーを出してきて、テーブルに広げた。
「このチラシ、この近所の個人商店のなんだけど。」
指されたものを見ると、なるほど品揃えは明らかに中高年向けの衣料品店のチラシだった。ただ、チラシ自体のデザインはぱっと目を引くしゃれたもので、逆に服のモデルはツンツンし過ぎていない、親しみやすい雰囲気の女の子だった。
「こーいうのにモデルさんを紹介したり、店と広告屋の間に入って交渉したりするんだよ。」
江利さんは何枚かのチラシをめくって俺に見せながら言った。
「地元の個人商店なんてさ、もう店の方も年寄りばっかなわけ。だから、新しいお客さんを開拓したくても、若い子のことなんてよく分かんないってさ。で、俺が間に入って、若い子を使ったチラシ作ったり、店側がどういう広告打ってほしいのか広告屋に話したりすんの。」
「へえ…」
そんな仕事もあるんだな…。確かに、それならチラシを見て来店する客も増えるかもしれないし、モデルになった子を介して、その親や友達の間で話題になるかもしれない。
感心していると、江利さんはいかにも楽しそうに活き活きと、それから少し自信ありげに、チラシを何枚も見せてくれた。
「フリーペーパーにも、そういうモデルを紹介したりな。」
手元でぱらぱらとめくったフリーペーパーを、俺ものぞき込んだ。つい前のめりになってしまい、前髪が触れそうなくらい近くに顔を寄せてしまう。はっとして、とっさに顔を引いたとき。
「おい、江利、いたかーい?」
勢いよく引き戸が開いて、作業着姿の背の高い男が入ってきた。日焼けした顔に、無駄に声がでかい。
「おう、どうした?」
江利さんも顔を上げて、持っていたフリーペーパーをテーブルに置いた。
作業着の男は、江利さんに軽く手を上げながらも、傍らにいる俺に目を止める。
「あれ?江利んとこに住んでるひと?」
やっぱり声がでかい。
「いや、昨日泊まってもらっただけ。里崎くんっていって、市役所に勤めてんだよ。」
「ああ、昨夜は会合って言ってたっけ。その関係の?」
「そうそう。」
江利さんは簡潔に説明したけど、目の前の男は「へえ〜」と言いながら俺をじろじろ見てきて、ちょっと気分が悪い。つと眉を寄せると、男はにかっと笑って、
「俺、神津(こうづ)っていうんだけど、江利の友達な。」
と自己紹介してきた。
「…はあ…どうも…」
としか言いようがない。
「神津堂っていうなんでも屋やってるんだ。市役所にもときどき行くんだけど…知らないか。」
「俺、窓口にはいないんで…」
小さく頭を下げると、神津さんは、いーのいーの、と手を振って、今度は江利さんにニヤニヤした笑顔を向けて、
「なあ、江利、おまえ、ほんっと可愛い子見っけてくるよな。」
とからかうように言った。でも江利さんはそれに乗っかることはなく、
「別に、サトはそういうんじゃないから。」
と淡々と応える。その横顔に目を向けた俺は、何故かちょっぴりガッカリしている自分に気付いてギョッとした。
…なに考えてるんだ、俺。昨日会ったばっかの男に、なにを期待してるんだ。
酔っ払ってるのを介抱して泊めてくれて、いつでも遊びに来ていいって言われて、そんなの、このひとが世話焼きで親切だからなだけだ。零細な商店のために、多分そんなに金にもならない仕事を楽しそうにしている男なんだから…
そう、勘違いしちゃいけない。俺はぎゅっと口唇をかんだ。
なのに、神津さんはなおも、
「えっ?そうなの?だって、おまえの好みの感じの子じゃん。」
と言いつのる。すると江利さんは歯切れ悪く、
「…うん、まあ、確かにそうだけど。」
と認めてしまった。途端に俺の鼓動も跳ね上がる。落ち着け。
江利さんはちらっと俺を見ると、情けなさそうに言った。
「ごめんな、サト。こいつ、失礼なことで有名だから。」
「…でしょうね。」
俺も半笑いで応える。そうするしかなかった。
神津さんは口唇を尖らせて、
「なんだよー、サトちゃんまで。」
なんて言う。
「なんですか、サトちゃんて…薬屋のゾウですか。」
言い返した俺に、神津さんは一瞬キョトンとして、それから大声で笑い出した。
「面白い子だなあ。おい、江利、つき合っちゃえよ。」
「おまえ、いいかげんにしろよ…」
江利さんもさすがにムッとしたように神津さんをにらんだ。
「で、なんだよ、用事は。」
「あ、そうそう、綿内寝具の親父がチラシ頼みたいって言ってたんだ。来月、セールやるんだってさ。」
神津さんはまだ笑いの余韻の残る声で江利さんに告げた。そして、また笑いをこらえながら、
「おふたり用に、お布団新調しませんか…っ…」
などとふざける。
「神津!」
ついに大声を上げた江利さんを尻目に、神津さんは笑いながら事務所を出ていった。
「…なんか…強烈なひとですね…」
おそるおそる振り返ると、江利さんは深い溜息を吐いて、ガタンっと椅子に腰を下ろした。
「あいつの相手すんの、ほんっと疲れる…サトも気にしないでいいからな。」
前髪をかき上げながら俺を見上げたその瞳に、また鼓動が速まるのを感じて、俺は小さくうなづき返すことしかできなかった。