■ the third session ■ (1)
次に里崎を見掛けたのは、1週間ほど経った夜更けの繁華街だった。
その日はフリーペーパーの編集部に顔を出すだけのつもりが、流れで呑みになり、さんざん呑まされての帰り道だった。家までの近道によく通る路地に入ると、目の前にスーツ姿の男がふたり立っていた。
呑み帰りのリーマンか、と、あまり気にもせず通り過ぎようとした瞬間、そのうちのひとりが、
「あっ…」
と声を上げた。ついつられてそちらを見ると、バツの悪そうな顔の里崎が伏し目がちに立ちつくしていた。
「…サト?」
思わず呼び掛けると、里崎は
「…こんばんは。」
と、状況には不釣合いなあいさつを返す。苦笑を洩らすと、連れの男は小さく咳払いをして、
「じゃ、俺、帰るから。」
と、振り向きもせず、そそくさと立ち去ってしまった。里崎も、小さく頭を下げただけでそれを見送る。…なんか、変な感じだ。
「職場のひと?」
路地を曲がってその後姿が見えなくなってから、俺はなんの気なしに訊いた。里崎はびっくりしたような顔で俺を見つめ、それから、そんな反応をしてしまった自分を恥じるようにうつむきながら小さく首を振った。…やっぱり様子がおかしい。
「…あのさ…」
迷いながらも声を掛けた俺に、里崎は
「江利さんは呑みの帰り?」
と、小さな声で訊いてきた。
「うん。サトも?」
自然に返したつもりだったけど、里崎は必要以上にぶんぶんと首を振って、
「俺も帰ります。」
と、俺の横をすり抜けて行った。
その身体から甘い香りがして、思わず振り返る。それは、よくありがちな、ラブホに置いてあるボディソープの香りに似ていた。
そして、よくよく考えてみれば、この裏路地は…その脇に建っているラブホの裏口に通じているんだった…。
その翌日の夕方。
俺は、家の離れの事務所で書類を片付けていた。整理整頓はあまり得意じゃない。すぐに書類が溜まってしまう。とりあえず種類別に分けようと悪戦苦闘していると、入口の引き戸がほとほととノックされた。
「どうぞー。」
声だけで応えると、そろりそろりと開いた戸の隙間から、里崎が顔をのぞかせた。
「こんにちは…今、いいですか?」
遠慮がちに言う里崎に、俺はあわてて手元の書類をひとまとめにして脇に寄せ、
「おう、入って。」
と席を立った。里崎は机の上をちらっと見ると、申し訳なさそうに言った。
「仕事中…?ですよね…」
「ん?違う違う、書類片付けてただけ。」
くしゃくしゃの書類をそのまま棚に突っ込んでいると、里崎はくすくす笑った。
「江利さんって…片付け苦手?」
ちょっとからかうよう言う、その声が何故か妙に可愛く聞こえて、ドキッとする。
そんな心中を隠そうと、俺はわざと素っ気なく言った。
「そっちは仕事帰り?なんかあったの?」
と、里崎は瞬時に顔をこわばらせ、きょときょとと目を泳がせた。
「…ん…あの…」
思い当たることはひとつしかない。俺は椅子に座りなおして、里崎にも椅子を勧めた。
「昨夜のこと?なら、別に誰にも言わねえよ。」
いきなり切り出すと、里崎は一瞬ぐっと息を詰まらせた。でも次には、安心したようにふにゃっと笑う。そんな姿を目の当たりにして、ほんの少し、胸の中がチリッと焦げた。
里崎にとって、昨夜の相手は大切な人物なんだろうか。…どんなふうに?
気になるけど、これ以上訊いてはいけないことなんだろうな。
俺は気を取り直して、さてと、と声を上げながら立ち上がる。そして、
「この後、なにも用事ないなら、ウチで夕飯食っていかねぇ?どうせ俺ひとりだしさ。」
なるべく気がねさせないように、さりげなく話を向ける。里崎は目をぱちくりさせて、
「江利さんが作るんですか?」
と訊いてきた。
「うん。大家さんだもん。」
笑いながら応えると、里崎はちょっと思案顔になって、
「俺、手伝えませんけど。」
と困ったように言った。
「いいよ、そんなこと。」
手伝わそうなんて考えてない。ただ…もうちょっと話したりしたいだけ。
俺は先に立って事務所を出ると、母屋に里崎を招きいれた。
その日のうちに携帯の番号とメアドを交換し、俺は里崎に、本当にいつでも来ていいから連絡をくれるように言った。
どうして?と首を傾げる里崎に、
「だってせっかく友達になったのに。」
と笑い掛けると、里崎は「友達?!」とびっくりした声を上げた。
「あれ、そう思ってたの、俺だけかよ…」
口を尖らせてみせると、里崎はあわてたように、
「いえ、あの…ありがとうございます…」
と、ぺこりと頭を下げた。