■ naked desire ■ (1)
下げた頭を上げるより先に、相手が俺の前から立ち去ったのが分かった。
小さなことからコツコツと。
マネージャーはそう言うけど、そのコツコツが実る気配はまるでない。
若手俳優なんて、掃いて捨てるほどいる。その中で成功をおさめるのはほんの一握りだ。
現にこの俺…月岡羽弓(つきおかはゆみ)、2年前に子ども向け特撮番組の映画版に端役で出たのを最後に、映像の仕事はまったくしてない。
その映画に、俺と同じような役で一緒に出ていた斉藤旬耶(さいとうじゅんや)は、今や引く手あまたな人気者だ。
あいつと俺のどこが違うのかな、と思う。確かにあいつは演技が上手い。素は天然なくせに、演技に入ると別人のように堂々としている。映画のときも、目立ってしまうからという理由で出番を外されたカットもあるくらいだ。
でもそれ以外は…大手事務所にいる訳でもないし、歌やダンスなら俺だって負けない自信があるし、見た目?…まあそれはしょうがないか…
「羽弓、今日はもう帰っていいわよ。」
テレビ局の廊下でプロデューサーに挨拶した、その後ろ姿を見送って、マネージャーが言う。
「仕事も入ってないし…」
ばかでかいショルダーバッグの中をごそごそ探して、映画のDVDを一枚、俺に渡した。
「映画でも見てゆっくり休んで。」
…つまり、これ見て演技の勉強しろってことかよ。
俺は黙ってDVDを受け取ると、
「おつかれっス。」
とだけ言って、テレビ局を後にした。
コンビニで飲み物を買って、店を出たところでスマフォが鳴った。…あぁ、旬耶からだ。
「おう、何?」
歩きながら電話に出る。
「あ、羽弓?さっきテレビ局で見掛けたからさ…」
「うん、挨拶しただけ。もう帰る。」
「あ、そうなんだ…」
「おまえは?」
旬耶の電話からはざわざわした雰囲気が聞いて取れる。
「今からバラエティの収録…」
「ふーん。おまえ、バラエティなんて大丈夫なの?そんな天然なのにさ。」
ちょっとからかうように言うと、旬耶は、
「大丈夫だと思うよ。今日は瑠(るい)さんと一緒だし…」
と笑いながら答えた。
「瑠さんと一緒じゃ、全然大丈夫じゃないじゃん。」
瑠さん…芳川瑠(よしかわるい)は、美形な顔立ちで、若い女性に人気な俳優だ。俺は数回しか一緒になったことないけど、優しくて、俺にもよく声を掛けてくれた。ただ、旬耶と瑠さんじゃ、単なる「天然小ボケコンビ」になってしまう。
「俺がそこにいたらツッコミ役になるのになぁ。」
思わず言うと、旬耶はふふふっと笑った。
「あ、始まるみたいだ。また電話するよ。」
「おう。頑張れよ。」
電話を切って、思わず溜め息が出た。
”俺がそこにいたら…”
言ってて虚しいよ。
毎日レッスン、挨拶回り、時々オーディション、たまにある仕事は女性向けファッション誌や通販カタログのモデル。そんな日々が、もう2年以上続いてる。
「羽弓はもっと演技が上手くなってくれなきゃね…」
マネージャーが口を尖らす。久し振りに事務所に顔を出せば、すぐこれだ。
「それとも売る方向を変えた方がいいのかな。例えばバラエティで毒舌キャラとか…」
「それはちょっと…」
こんな俺でも、自分は俳優だって自負がある。演技の仕事がしたい。
「羽弓の演技って、決して悪くはないんだけど、印象に残るものがないのよね…」
マネージャーはずけずけと言う。
「もっとレッスンを増やそうかしら…」
「これ以上?」
俺はマネージャーの顔を睨んだ。
「事務所としてもね、いろいろあるのよ。」
溜め息を吐きながら、
「羽弓、あんたこのままじゃ、」
「分かってるよ。」
俺も立ち上がると、ドアに向かった。
「レッスン行ってきまーす。」
俺が何とも思ってないとでも思ってんのかよ。いちばん焦ってんのは俺自身に決まってるじゃねぇか。いちばん悔しい思いしてるのは…
あぁ、ダメだ。ネガティヴな考えになると、ヘンな顔になって元に戻らなくなる、って、以前瑠さんも言ってたじゃん。無理にでも笑顔、って。
俺は自分の頬を両手でぱしぱし叩いて、無理矢理気分を変えた。
家に帰れば、風呂は沸いてるし、飯も出てくる。実家に住んでるとホント楽だ。
両親は、俺の仕事については何も言わない。多分、俺が自主的に俳優を辞めて、ちゃんと勤めに出ることを望んでるんだろうけど。姉はもう結婚して、実家にはいないし。
以前、旬耶がまだ今ほど売れてなかったころ、一度だけ家に来たことがある。母は今でもそれを自慢にしていて、旬耶が出てるCMがテレビで流れると嬉しそうに見ている。
俺だって、みんなが見てるようなテレビに、出れるもんなら出たいよ。
旬耶は本当にいいやつだし、友達だけど、それさえも恨めしく思えてくる自分が情けなくなってくる…
「あれ?羽弓?」
たまには服でも買おうかと入った店で声を掛けられた。
建物は古いけど、ディスプレイがいつもかっこよくて、前を通るたび気になってた店。初めて入ってみたから、知り合いなんている筈ないんだけど。
見ると、背の高い男が、にこにこしながらこっちに向かってきた。
「え?瑠さん?」
「どうしたの、こんなとこで。」
「こんなとこって、ひでーなぁ。」
店の人が笑ってる。わ、この人もかっこいいなぁ。
瑠さんは俺の隣まで来ると、俺が手に取っていたTシャツを見て、
「ああ〜、羽弓はね、もっと濃い色の方がいいと思うよ?」
と、棚を物色し始めた。
「え?あの…」
「大丈夫、大丈夫。俺ね、ここの店長と幼なじみなんだ。」
言いながら瑠さんは、濃いブルーのシンプルなTシャツを手にした。
「これ、パッと見はシンプルなTシャツだけど、切替とか入ってて、ちょっとかっこいいよ。」
バッとTシャツを広げて、俺の胸に当てる。完全に瑠さんのペースだ…
「ホラ、似合う。」
にっこにこのまま、瑠さんが言った。俺は思わず瑠さんを見返した。…あぁ、やっぱりこの人キレイだ。女がキャーキャー言うのも分かるな。
「おっ、いいんじゃない?」
店長も、俺の姿を見て言った。
「じゃあ、これ買おうかな。」
「やったぁ、お買い上げっ。なあ、これ、俺が売ったんだからバイト代くれよ。」
瑠さんが笑いながら店長に言う。
「ふざけんなよ、なんでおまえにバイト代出さなきゃなんねーんだよ。」
「じゃあさ、代わりに羽弓にサービスしてやってよ。」
あれよあれよという間に、Tシャツは3割引き、おまけにベルトのバックルまでもらえることになった。
「よかったね、羽弓。」
瑠さんは俺の肩をぽんぽん叩いた。
「えっ…本当にいいんですか?」
店長に訊くと、
「まあ、瑠の知り合いだし、また店に来てくれるならいいよ。」
と、あっさり答えた。
「もちろん、また寄らせてもらいます。」
「常連さんゲットだ。」
瑠さんが嬉しそうに言った。そして、俺の肩に腕を回すと、
「なあ、羽弓、この後って時間ある?」
と訊いてきた。…え、あの、ちょっと、顔が近い…
「ちょうど昼だし、飯行こうよ。」
「俺は構いませんけど…」
「近くにうまい和食屋があるんだよー。」
瑠さんはまた嬉しそうに、俺の先に立って歩き出した。
その背中を追いながら、
「あっ、ありがとうございました。」
振り返ってお辞儀をすると、店長も軽く手を上げて応えてくれた。