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コラム 2003年8月25日
★個人としてこの状況にどう向き合うのか (2) 前回のコラムもそうですが、いつもながら読みにくい内容になっています。 コラムというよりも、内容未定のまま書きすすめる日記のようなものと思っていただいた方がいいか もしれません。書きながら考え、考えながら書きすすめています。その考えが時として捩れ、行きつ戻 りつします。 前回のコラムと同様、『個人としてこの状況にどう向き合うのか』というタイトルのもとに、思いつくま ま書きすすめていますが、今回は、現在読んでいる加藤典洋の『敗戦後論』をとおして考えた事柄を 書いてみたいと思います。 (この本の初出自体は1997年と、もうだいぶ古いものですが、なんとなく読むことに反発を感じて、ま た2500円と高価なため、ブックオフででも見つけたら買って読もうかと考えていたところです。それ が、市立図書館に蔵書があったので家人に借り出してきてもらって読んでいるという次第です) なんとなく反発を感じていたというところは、かつて湾岸戦争時に、文学者の反戦声明というのがあり (田中康夫もその中心メンバーの一人でした)、その一連のくだりを辛辣に批判していたというイメージ があったからです。今でもそういう気持ちがあって、2500円も出して定価で買ってまで読んでやるも のかという思いがあります。 本の内容は簡単に説明すると、敗戦を機にアメリカによってもたらされた日本国憲法をはじめとした もろもろの社会的アイデンティティ(天皇問題や靖国問題なども含まれる)について、それが日本人自 らの手によって成されたものではないというところからくる葛藤(ネジレと分裂)が、その後の戦後日本 のありかたを、いかに不自然な(肩身の狭い)ものに歪めてきたかということの検証を主題として書か れたものです その内容を私風(ダジャレで政治にアンガ-ジュマン的)にいわせてもらえば、『確信』と『革新』とい う、まさに「寒いオヤジギャグそのまんま」のまるっきりの駄洒落のようなものの相克になると考えてい ます。 この場合の『確信』とは、いわゆる確信犯(ここでは、本来の辞書的な用法である「良いと思って迷 いなく事をおこなう者」という意味とは逆に、あえて慣習的に一般的に使用されている「悪意をもって 悪事をなす者」という意味で使用しています)の確信です。憲法にかんしても、現行憲法をアメリカに よって押し付けられたものとして認めず、あくまでも日本人の手による自主憲法の制定を目指す、天 皇、靖国へと続く、いわゆる改憲派的ナショナリズムのことです。 そしてもうひとつの『革新』は、これは文字どおり、マルキシズムからなる、反天皇や戦争責任の自 覚・謝罪へと続く、いわゆる護憲派的インターナショナリズムのことです。 この相反する二つのアイデンティティが解消しえぬ背中あわせのネジレと分裂となって、戦後ずっと 日本と日本人の思考を覆ってきているというというのが加藤典洋の論旨です。そして、そのネジレの 基として挙げられているのが、主に、憲法の問題であり、天皇の問題であり、靖国の問題であり、ま た文学の問題ということになります。 ここではその中から、象徴的な問題として憲法の問題をかんがえてみることにします。 現在の日本国憲法の問題で最も論議となるところのものが、憲法が誕生・制定されたときの、いわ ゆる憲法の生い立ちの問題です。ナショナリストを中心とした改憲派は、現行憲法は戦勝国(アメリ カ)によって一方的にもたらされ無理やりおしつけられたものとしてその無効を主張し、一方の護憲派 は、アメリカによってもたらされたものではあるが、それを日本人自らのものとして受け入れ、その理 想とする条文をあくまでも死守していこうという姿勢をしめしています。 前述した文学者による湾岸戦争時の反戦声明も、この日本国憲法の条文(九条)を基盤として反戦 の意志がうたわれていました。そして、そのこと、つまり文学者たちが何の葛藤(ネジレや分裂の意 識)も持たないで(加藤典洋からみれば極めてノーテンキに)、日本国憲法というオールマイティなカ ードを掲げて反戦を主張したことに、大きく反発したのです。 加藤典洋にしてみれば、敗戦という転回点(終戦という切断し反転するアイデンティティのネジレと分 裂)を通過しながら、あたかもそれ以後(戦勝国によるに戦後支配)がなかったかのように振舞う『確 信』(ナショナリズム)と、それとは逆に、あたかもそれ以前(忌まわしき過去としての戦前)が無かった ものとして振舞う『革新』(マルキシズム)の、その双方に、限りない単細胞性を見出しているということ です。 もちろん、敗戦という転回点によってアイデンティティが捩れ、葛藤を抱え込んでいることを意識して いる人、あるいはアイデンティティの分裂を抱え込みそれを自覚しつつ生きてきた人も数多いはずで す。そして、むしろそうしたアイデンティティの葛藤や分裂を抱え込みながら生きてきた多くの人たち の方が、社会的に、また文学的、倫理的に貴重で重要なのはいうまでもありません。 しかしながら、同時に、そうしたアイデンティティとしてのトラウマ(敗戦による葛藤と分裂)を抱え込ん で生きてきた人たちは、その後ろめたさ(戦前における反戦への意志の不徹底さと、戦後一方的に 与えられた自由社会の受け入れへの戸惑い)を意識するという、至極真っ当な人間なら必ずや持っ ているはずの‘ためらい’という社会的には消極的な生理(自意識)からか、なかなか声高に自らの考 えを外に向かって表明・表現しようとはしません。 くだんの、文学者による湾岸戦争反対声明にしても、私自身が当時、加藤典洋と同じように、ある 種の戸惑いとともに大きな違和感を感じていたのも事実です。その違和感と戸惑ういは、やはり反対 声明の背後に横たわる、平和憲法への無防備かつ丸ごと依存の感覚でした。なぜ、憲法という抽象 的な言葉を拠り所としなければ、各人が反戦表明をなしえなかったのかという疑問です。 憲法は、理想とする理念であるとともに、やはり大きな物語(私は以前このコラムで、あれこれ考え るのは面倒くさいから、憲法を宗教として、形而上学としてとらえてしまえばどんなにか楽だろうと書い たことがあります)でもあります。文学者、とりわけ小説家には、やはり微細なディティ-ルにおいて、 極私的なフィールドにおいて、最後まで戦って欲しかったという気がしていました。(今もその考えに変 わりはありませんが) しかしながら、そうした‘ためらい’ともいうべきナイーブな葛藤や自己分裂の意識、微細なディティ -ルをもってして戦う(あるいは沈黙する)という手法が、昨今の内外情勢をみるもでもなく、今日では もはや限界にきているというのも事実です。それほどまでに現状は、身もふたも無くえげつなくなって きています。露骨な力と権威による圧力と恫喝が、剥き出しの状況になってきています。 ナイーブで誠実で繊細なものが、どんどん蹂躙されてきている感じがしています。もはや、加藤典洋 のように、分裂や捩れを意識するという曖昧な(それゆえ大切な)段階を踏み越えて、暴力的に白か 黒かといった、二項対立的な世界感にすべてのものが引きずり込まれていっています。 それ故に、現在から省みると、往時の湾岸戦争反対声明において、唐突に憲法(第九条)が持ち出 されたことも、今日のアメリカによる、強圧的な(問答無用な)アフガニスタン侵攻やイラク戦争に照ら し合わせて鑑みると、それなりに大きな意義があったと考えてみることも最近はあります。 今日の、内外を支配する強権的・反動的な力を目の当たりにした場合、それに対抗するにために は、とりあえず、内省的な意識を括弧に入れて、抽象的ながらも普遍的でラディカルな、日本国憲法 を前面に押し出さざるを得ないと考えています。 (先の県会議員選挙において、私があえて抽象的な憲法を基にして、イラク戦争や有事法制、個人 情報保護法に反対の意思を示したのも、こうした身も蓋もない状況に対抗するためでした) 加藤典洋をはじめ、アメリカが起草した日本憲法においては、多くの人たちがネジレを感じているの は事実だと思います。これは最初からアメリカによっておしつけられたものだから、日本人のものでは ないという意見もあります。また反対に、その起源性はさておき、平和に対する理念と半世紀以上に わたって改憲なく用いられたてきた実績を重視して、あくまでも護憲を貫くという意見もあります。 それは、どちらがどちらとしても、容易にかたがつく問題ではないともいえます。 しかし、私は、この問題については、最近次ぎのようにも考えています。 「それは、確かに、憲法の原文はアメリカによってつくられた。しかし、それ(英文による原文)が、日 本語に《翻訳》されたその時点で、憲法は紛れもなく日本のもの、日本国民のもにのなった」 というものです。 《翻訳》という概念の導入です。 翻訳という行為が、共同体(この場合は国)と共同体を、言語という表象の置き換え(意識・心の置き 換え)をもってなされるものであるとすれば、憲法が日本語に翻訳された『その時点』で、それは紛れ もなく私たちの国の憲法、つまり日本国民の手による日本国憲法になったのではないでしょうか。 『翻訳』という‘命がけの飛躍’によって、それは自らの共同体の中において、その正当な使用価値 を獲得・生成したということになるものと思われます。
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