ダイビング   


ひょんなきっかけで始めたダイビングで思うことは数限りないが、私の理想は海の中で母の胎内にいる自分を感じることだった。
まさにこれぞ浮遊。 しかしこれがなかなかスキルを伴うことで運動音痴の私に味わうことはとても難しかった。

仲間の支えがあり、素敵な担任の先生のおかげで今浮遊らしき感覚を経験できるようになったが
母の胎内だとすればよほど奔放な母の中! ゆったりとした胎児にはなかなかなりきれない私。

それでも海の中層で両手を広げ、ふわりふわりの経験は出来るようになった。
「わこさん、水中で手を広げていることが多いけど、あれでは進み方が遅いよ。」 仲間に言われ、はっとした。
手を広げるのは浮く速度を遅くするときだ、と教えていただいたが確かにそうなんですね。

100本も潜ってもそれすらわからない私がそこにいた。

植物なら華やかなバラより目立たないスミレが好き。海の中ではイルカなどにはほぼ興味がなく、誰も気にかけない生物を
ひたすら探す私。 変わった形の海藻やイソギンチャク、見事に補色したどこにでもいる魚。

そんなものにひっそりときめく私はまだまだ母の胎内は実感できそうもない。

魚の図鑑やネットで名前を調べてもすぐ忘れてしまうし、イメージトレーニングをしてもスキルが思うように上がらない。
機材も勉強しているはずなのに、だれもしない方法で壊してしまう。

そんな自分を認めながら本来の浮遊をいずれ体験したいと思う。

認知症の母とつきあいながらいやなことに本気で向き合わない自分を得た。
ダイビングで、非日常を感じることで、何でも許せるようになった私。

この経験は浮遊すること以上に私を救ってくれ、今まで以上に未来に夢を持つことが出来るようになった。

命がけの遊びで命の洗濯をしている。

(2019年10月15日)


追記

コロナで惑わされた世界中の人々、私も例外に漏れず売り上げ激減の中予定したツアーもキャンセルし おうち時間

それが悪いことばかりでは無いとは思うがなんとも寂しい。ただ、それを救ってくれるのは最後に参加した小笠原ツアー

楽しい仲間と素敵なガイドと担任の先生のおかげで、今までなかった感動が、余韻をそのまま
いつまでも残っている。同じように感動した担任のふみちゃんが、今まで6部に渡っての記録を作ってくださっていて
「まだまだ続きます。」 とのこと。それを拝見すると、年齢層の高い私達のためにどれだけ気を遣ってくださったか、
それにも増して彼女自身がどれだけ感動したかが手にとるように伝わってまるで昨日のことのよう。
こんなに感動したツアーは今までに無かったし、遠のいてしまったダイビングにわずかな光が見えてくる。

しばらくは地味なダイビングになることと思うが(伊豆だけ)その時、ちゃんと潜れるかしら?
ダイビング本数270本を超えた今でも自信のなさは変わらない。以前に比べれば皆が褒めてださるので
自分でもそれを認めて楽しんで続けられることを願っている。

(2021年8月8日)


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