ハハコグサ



 昔はどこにでも生えていたハハコグサ
特に魅力のある花でもなく気にすることもなかったが、ここ何年かは目にしたことがなかった。

2021年3月に母を自宅で看取った後、母に頂いた香典などを元に
手つかずだった我が家の小高い小さな山を手入れして皆の憩いの場所を作ることにした。
 兄も姉も賛成し、それぞれ金銭的補助もしてくれたが、この工事は意外なほど大がかり。
何しろ40年ほど前から置いてあった崩れかかった国鉄のコンテナを、大きなクレーンで建物の上を吊り上げて
処分してもらうことから始まった。

 その後、森のようだった山の木を切りほぼ坊主にし、そこに私好みの木を植えて植物を育てることにした。
皆から預かったお金を無駄にできず、
したことがないほどの手入れに毎日時間を費やすが、ほぼ草取りと、切った切り株から生えてくる小枝の切り取り。
花を植えるといってもこの土地に何が合うかもわからず衝動植えはできない。調べに調べまくり、なるべく我慢の庭造り。

 しばらくすると、坊主だった山には次から次から色々な植物が芽吹き、山一面スミレ畑のようになった。
しかし、外来種のスミレの強さは相当なもので、場所によってはそれも抜き取る。
不思議なことにそのスミレたちが秋になって花を咲かせ始めた。

それに加え、野菊やシオン、フジバカマなどが自分に合った場所を選ぶように咲き始めた。
種をまいたコスモス、根を頂いたシュウカイドウなども順調に育ち花をつけ、
思いもかけずに芽を出した消えたと思っていたスミレも花をつけた。
 来年の春、何が芽吹くがを楽しみに手入れをおこたらずにいる。
 

 そして気づけばこのハハコグサ。
葉を見たときはただ懐かしさだけが感じられたが、花が咲き始めると、懐かしさではすまず、
調べてみると、花言葉は無償の愛、いつでも思っています。等々。
この話をすると40歳を過ぎた娘は 「重たいねー。」 家族への私の思いをいつも娘は重たいという言い方をする。

娘を持つ友人とよく話をするが、同居していなくても 「娘には腹が立つ、何でもお互い言えるからだろうね。」 
確かに遠慮せず言いたいことを言えばけんかにもなる。 それでも後を引かずに付き合えるところが救われる。
そしてそんな娘達にどの母親もできる限りの愛情を注ぎできる限りの援助をする。

「可愛い子には旅を。」 という言葉もあるが、余計な困難からは遠ざけようと母は娘を守る。

男の子を育てたことが無いので母と息子に関しては何も言えないが、二人の娘と付き合う私は娘達からは
 「お母さんに何かを指示されたり、反対されたことはない。」 と言われている。子育ての時期は仕事が忙しすぎて
遊びに協力する以外、何の干渉もせず、ただ、危険から必死で守ったことだけを覚えている。

持論だが、家族を亡くした方を見ていて 「親は半年、配偶者は3年、子は一生。」 
少なくともその間は悲しみを引きずるような気がしている。

このハハコグサが母が亡くなり半年たって花を咲かせたのもなんとも不思議な気がする。
ふんわりと優しい毛をまとった葉、強い主張もなくほんわか咲く花。

この花を摘んで母の写真にワレモコウとともに今日供えた。(2021.10.5)




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