旧軽井沢で店をしていた頃、私の店の斜め前で写真館をはじめたMさん。様々な衣装を揃えお客さんを撮影、
プリントして渡すという商売。
木造の古い民家で老夫婦が木曽漆器の店をしていたその店舗。もうすでにぼろぼろな店を改築して始めた。
何故か骨董家具も同じ場所で販売していた彼は見事なまでの自由人。
店を開けたままどこかに行ってしまう。 携帯電話など無い時代で、お客さんが来ても連絡することもできなかった。
夜遅くまで店を開ける私に付き合って、私が終わるのを待って店を閉めていた。
働き詰めの私に時折コーヒーを入れて持ってきてくれたり、絡まった私の店の電話コードを笑いながら直してくれることもあった。
犬好きで、近所の2匹の犬を毎日散歩に連れて行ったりもしていた。
昔一緒に暮らしていた女性の話をにこにこと笑って話してくれたこともあったが
その後はずっと気ままな一人暮らし。
16年続けたその場所での店を私がやめたあとでも10年以上はその店を続けていたようだ。
姉と母親が、横浜にいて年老いた母親を気にかける彼、私の夫と同じ年なので、今生きていれば75歳。
3~4年前のこと、藍染めの服を着て近所のプールに行くと、知らないおじさんが声をかけてきた。
「和子さんじゃない?」 しばらくしてMさんだと気づいたがびっくり!
彼はプールの監視員兼受付のアルバイトでそこにいるという。
長年会うことがなかった彼はその後の様子を話してくれたが彼らしい面白い話がこうだ。
店の床も抜けてしまったし直してまでやるほどはお客さんもいないし、店はやめた。
そして棺桶代わりにヨットを買い夏はどこかでアルバイト、そのあとは瀬戸内海でヨット生活
海外でカメラマンをしたり、横浜で沖仲仕をしたり・・・。器用で多才な彼は日本の社会制度に合わせることに関しては
とても不器用だった。
瀬戸内海でのヨット生活がどのようなものか残念ながら想像すらできないが
もういいや、と思ったときに沖に向かってヨットを動かしそのまま人生を終えたいと言った。
そんな彼は今どこで何をしているだろうか?
そのうちひょっこりと我が家に顔をだすかもしれない。
2021年8月9日 記
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