博打


 「博打」という言葉に、喜びを感じる人はほとんどいないと思う。わくわくする人がいるとする
と、その人は、博打が好きなので、軽蔑する人がある意味正常な暮しを維持できているのか
もしれない。家族の博打で苦しむ方を知っているだけに博打を絶対私は推奨しない。 

 で、私の場合はと言うと、根っからの遊び好き。物心ついたころから、遊んでばかりいた。
東京で暑い夏、我が家ではお昼寝が習慣であったが、私だけは寝ている家族に隠れて、遊
びに夢中であった。帽子も嫌いで、母の言うことも聞かず、虫捕りやママゴトに興じていた。友
人を誘って遊び相手がいなければ、ひとりでも、思いのままいつまでも遊んだ。石ころのコレ
クション・蟻の観察・蜂集め・泥んこ遊び・自転車乗り、。数え上げればきりがないが、そんな
私に小学生の頃、父が麻雀を教えてくれた。教育熱心だった両親は私達に百人一首も教え
たがそれを取ったのは兄と姉。麻雀に燃えたのが私。家族で百人一首が始まると、邪魔しか
しなかった私である。

 だから私は、すんなりと麻雀を覚え、その後花札も覚えた。でも花札よりも麻雀の方がずっ
と好きだった。そして、パチンコ。パチンコは家族の誰もしなかったが、私はj神社のお祭りで
出会い、大好きになってしまった。

 その後、大人になって出会った阿佐田哲也氏の本。この本はなぜかお客様から「霧下織工
房」に持ちこまれたものである。そして、私は博打に興味津々。彼の本はほぼ読破した。あの
世界の緊張感は正直言って貧乏な私を心地よくわくわくさせてくれたし、知らない世界に引き
入れられてとても新鮮であった。麻雀やサイコロ振りで多額なお金が動くとなど知りもしなかっ
た私であった。

 軽井沢に来てテニス仲間の友人達と、私の定休日に10年ほど終日麻雀を続けもしたが、
友人とのお金のやり取りや、それぞれの性格の露骨ないやらしさが、鼻につき始め、私はメ
ンバーから抜けた。36時間ぶっとうし麻雀も、楽しかった思い出であるが、彼女たちと言い合
う自分の姿が悲しく、最後にはストレスにさえなっていった。
 だから、麻雀は今後ずっとあまりお金の絡まない楽しい遊びとしてゆきたい。

 最近面白い話しを母から聞いた。「あんたが生まれた時ね、叔父ちゃんがお祝いに来た
の。『お祝い増やそうとと思ってパチンコ行ったら全部無くなった。』って言って、家で交通費借
り帰って行ったの。」 笑顔で言う母は、私のパチンコを、非難したことも無く、私はそんな母を
感心する。そして、ちょっとだけ格式のある私の先祖たちが、博打で借金を残したことも教え
てくれた。

 最近主人に言う。「私のパチンコ、止めさせたかったら、血を抜いて。」と・・・・・・。
それは冗談としても、パチンコと麻雀は、嫌いでは絶対に続かないものである。私の家族全
員を引きこもうとしてみたが、誰も私については来なかった。
 娘達がそれぞれ18歳になった時、当たりそうな台で遊ばせたが、長女は 「こんなことして
いるなら、いい女といい男が出る映画を見てた方がよっぽど良い。」と言い、次女は 「こんな
ことにお金を使うならCD買ったほうが好い」といい、何年か私に付き合い、自腹でパチンコを
いていた主人も 「俺、あのお金で何回飛行機乗れたかな?。」と、今では全く触らない。
 麻雀も、無理に教えてみたものの、好きでない人といくらやってもこちらがつまらない。

 博打といえば商売も同じようなものかと思う。というのも、私が以前お世話になった骨董屋さ
んを見ていて、そう思えたからである。彼は、色々なことを私に伝えてくれた。「店をする場合
その店にある一番高額なもの、それが鍵を握る。それが、小額ならば、たとえだめになっても
しれている。それが高額だったらば、その分苦労を背負い込む。」 彼が言ったことは本当で
あった。仕事を博打化させないため私はその後5万円を超えるものは作らなかったし、決して
店を広げようともしなかった。おかげで、今も貧しくも平和な日々が続いている。バブルの時、
お世話になっていた地上げで大もうけした不動産屋はその後留置所に入ってしまった。

 パチンコで今、博打を体験する私。10万勝てば、次の3万負けは怖く無くなる。5万勝てば
次の4万負けはどうってことはない。7万勝てば、5万負けも同様。ところが。5万負けが三日
続けば、女性の一ヶ月分の給料にも値する。そこが、博打の怖いところである。正直な話し、
10万以上勝つことも何度も経験しているが、7万負けも3度ある。3万負けは日常茶飯事。
金銭感覚が、ことパチンコに関してはおかしくなったことを自覚している。

 それでもパチンコが好きな私は、健全なパチンカーを目指し、日々努力中である。
遊び好きで、人間好きな私は、麻雀を楽しいものとして残したいので、今ネット麻雀に興じて
いる。

                    (平成13年11月25日 記)


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