良妻良人

 
 私がその御婦人に会ったのはどのくらい前だろうか?レッドライオン・ルーキーデルタの頃。
たぶん10年以上前になるのだと思う。彼女はぽっちゃりとした体にパッチリとした目。年齢は
私よりは5歳以上は上だと思う。いつもにこにこと羽根物ばかりを打っていた。

 その頃は、今のようなしゃれたパチンコ屋はなく、特別な人気店を除けば若い女の子のお
客さんは皆無。店もお客さんはまばらで、私は疲れを癒すため、特に長時間勝負の時はすい
ているパチンコ屋に好んで行っていた。そんな時、いつも会うのが、彼女だった。
レッドライオンは、羽根物で、常連はおじいさんやおばさんが多く(と言っても数人しかお客さ
んはいなかったが。)その店には、座れる場所とお茶を飲むポットも用意されていた。

 見るからに穏やかそうな彼女は、おじいさん達からの人気もあったようで、時々、おじいさん
に、おいなりさんなどを昼に分けてもらっているのを、私は横目で見ていた。
パチンコ屋さんでお互い声を掛け合うようになるのは長い時を要する。隣で何度かご一緒す
るうちにどちらからともなく話し掛け始めた。パチンコやさんの初会話はほとんどの場合が
「だめだねー。」からはじまる。その時ももちろんそうだった。なかなか増えない玉に、お互い
ため息をつきながら遊んでいたが、私のが入賞すると、彼女はとびきりの笑顔で「よかった」
と声をかけてくれる。そう言う人はめずらしい。自分が出ているときは比較的人にもやさしくな
れるが、彼女は、自分がだめでも私にやさしかった。私にというより、きっとみんなにそうだっ
たのだと思う。

 彼女は、決して無理な打ちかたをせず、3千円ほど使うと必ず帰宅したし、ひと箱になると帰
っていった。私はレッドライオンがだめなら、デジパチのデルタなども打って、灰皿掃除のお
ばさんに「あんた、あんまり損しないように上手にやんなよ。」なんて余計なことを言われてい
たが、当時の私はパチンコは負けるものだと思っていたので、まあ、家族にお土産が持って
帰れる程度に楽しんでいた。

 そして月日が流れ、権利物で大勝ちを覚えた私は、彼女に逢う事はほとんど無くなった。
ところが、しゃれた店が次々オープンし、その中でも大型店ができた時、また彼女と顔を合わ
せることになった。CRモンスターハウスが登場した頃で、私はなんにでも挑戦していたが、彼
女は相変わらず羽根物ばかりを打っていた。並んで羽根物を打つと、やはり彼女は当時と同
様私の入賞を喜んでくれ、笑顔もやさしかった。

 その店にゆっくりとした応接セットが置かれているので、ある日彼女とゆっくり話す機会があ
った。「私ね、羽根物で出すと、それおとうさん(御主人)に休みの日に上げるの。すると、お
父さんCRで1日で使っちゃう。」・・・・・。そういうことだったのか。なんと言う良妻!

 その後、御主人が定年退職をし二人で打つようになったが、御主人が打っているあいだは
奥さんはただ、パチ屋の中をぐるぐると歩いていて、出している私に、やはりやさしい笑顔で
話し掛けてくださった。羽根物を打つ彼女をたまに見かけたが、最近ではほとんど見かけなく
なっていた。

 そして昨日、私は、母親を珍しく、佐久平という駅に送っていった。そこに、軽トラックから降
りてきた彼女の姿を久しぶりに目にした。彼女の父親らしい方を迎えにいらしていたようだが
手荷物を持ってあげて、助手席に老人を誘導する彼女は、やはりやさしい笑顔。

 もちろん、声をかけることもしなかったが、私もやさしい気持ちになり、ひさしぶりにレッドラ
イオンを思い出していた。

                    (平成14年1月3日 記)

トップへ
トップへ
戻る
戻る