私達の軽井沢での歴史を写真で

古い写真が多く、それをデジカメで自分で撮ったので技術が悪いので
いろいろ変なところもありますが、そのへんはお許しください。



夫が憧れて東京から脱都会をするきっかけになった建物は
こんなに風光明媚な家でした。

赤ん坊だった娘たちと、坊主だった夫。
この家に住みたいがゆえに、夫は東京で
長髪を坊主にして私を説得したのです。
場所によっては浅間山が家の後にどーん
と見えて、紅葉の時期には、この家を描き
にくるかたがたくさんいました。
冬は見事に寒く、家の中でガス湯沸かし器
は凍り、卵もこんにゃくも皆凍りました。
トイレは外で、水道は1本だけ。
薪でたくお風呂は4時間かかったことも・・
雪が多くなると畑も道もわからず
私は家の中から雪に見入っていた記憶が
あります。家の中でギターを引くのが好き
だった時期です。友人ともよく話した頃。
これが記念すべきお店。
第1号は旧軽井沢銀座からわき道に入って
だいぶ行った所。すだれは自分でヨシを
刈ってきて織りました。内装ももちろん自分
達で、お金をかけずにすませました。
赤い生地のあるところに織り機をおいて、
道路に面したところで織っていました。
その横の閉じた店の前で、娘たちはいつも
新聞紙を敷いておままごとをしていました。
「あのこたちどうなさった?」今でもたまに
そういって訪ねてくださるお客様がいます。
あの当時にしても、珍しいい光景だったよ
うです。皆さんがずいぶん可愛がってくださ
いました。長女は美容師になりました。
よろしかったら行ってみてください。
http://www.happy-vita.jp/04.html
ゴールデンウィークにはまだ開いてない
銀座通りの店の前を借りて、こんな風に
お店をしたこともありました。わくわく楽し
い時でした。娘たちはいつも回りで遊んで
いました。
2年目に外で機織をする私を見て「うちを
使わないかい?」そう声をかけてくださった
大家さんがいました。銀座通りに近くなり、
家賃も安くしていただき、とてもありがたか
ったです。この頃から私のお客様が増えて
きました。作っても作っても間に合わない
で、信号待ちでもお葬式でも、とにかく時間
があれば編み物をしていました。


東京の実家に車で帰り、帰宅中にお金が無くて山田うどんのすうどんを
2杯4人で食べた事が忘れられないのです。そんなときに限って車が碓氷峠手前で故障!
50円しかなくてすごく困りましたが、ああいう貧乏な時でもみんなニコニコ暮らしていたような
気がします。都会での恵まれた生活の余韻が残っていたのか、家族の反対を押し切って出て
きた私の意地もあったし、なんと言っても、いつも助けてくれる人たちが周りにいてくれました。
娘たちは貧乏だとは思っていなかった、と今言います。
シーズン中はいつもやむなくレストランで外食、お客様は皆豊かな方たちで、そういう方たちに
御招待されることも多かったからかしら?

とうの私は・・というと?あまりの貧乏がおかしくて、悲しいと思うことはあまり無かったです。
あの時辛かったと思ったのはだいぶ経ってからのことでした。


そしてかやぶき屋根の家に別れを告げて友人から土地を譲っていただき
100万円の家を建てました。あちこち回り1番安くプレハブを作ってくださる店を見つけました。
もちろん18坪の本体だけの話で、水周りなどは別ですが・・。

これが初めて作った我が家です。
思いがけず知り合ったばかりの友人が
お祝いに来てくださいました。
周りに木を張って、あたかも木造のようです


そしてバブルの波の異常さが不安になり、自宅敷地内に工房を建てることにしました。

(私の借りていた店が次から次から人の手に渡りついには役場が差し押さえ、
訳のわからぬまま弁護士さんに相談し、私たちはもっと混乱してしまい、
結果的に、思い立って旧軽井沢から撤退しました。)

これが八角形のログ。
仲間がみんなで助けに来てくれて
立派に出来上がりました。
あの当時の仲間はもうほとんど
お付き合いがありませんが
みんなどうしているかしら?
電動機具も全て揃え、私も全て
使いこなしました。
今じゃ恐くて触れません。
朝から晩まで工事でした。
朝は先ず、床の雪かき。ログは
最後に屋根が上がるのです。
そして出来上がった工房。
「革の子工房に」 なりました。
羊を飼ってみたり・・・

(この羊は野犬に殺されて
しまいました)
藍を育ててみたり・・・

軽井沢できることを
何でも試してみたかった時期です
当時作っていた作品は
見るからに
草木染らしいものが多かった。


そして 「霧下織工房」 も敷地内に建てました。
鋭角ばかりでおっかない建物で、怪我をしたら
大変なので、知人のお手伝いはお断りしました。
このように完成しましたが
数年たってお互い自分の店に飽きて2002年店交換



そして年月がたち、今では私の作品はとても明るい色が多く
反対に今回建てた住まいは単純で、私の部屋は無機質な感じで徹底。
仕事場はむんむんと自分の個性がにおい
それを求めていらっしゃる方たちと熱心におつきあいをする。
それも大好きなのですがあまりにも濃い(?)自分の周辺に少しまいっているのです。

夜はこんなところで過ごしたいのです。

現在の霧下織工房店内
出来上がったばかりの住まいは
専門家にお任せしました
自分らしくない家を
あえて選びました。

今度ばかりは
周囲の期待を裏切る家を
建てました。

ユニークに徹するエネルギーが
もうないのです。
出来上がり
私の部屋
4畳も無いようなこの中に
立派な収納スペースがあるので
全て収まっています。
この部屋に、テレビもPCも完備
こんなに狭いのに電気に
リモコン付いてたりします。



こんな周囲の自然が私のイメージをかり立ててくれています




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