開店の頃(1979年)


 その頃の軽井沢は、お客様がいらっしゃるのは七月の末から八月の末までの三十日間で
あとの期間は、あればアルバイトを、なければせっせと物を作ることに専念していた。と言う
のは残念ながら嘘で、材料も買えないため、ほとんど遊んで暮らしていたと言っても良い。職
安に行っても、当時、夏以外は仕事があるはずもなく、借金も返すあてがないのでせず、夏
が終わると、わずかにかつらの植え込みで得る内職のお金で親子四人暮らしていた。

 その時に得たものが、多くの知人と創意工夫の生活。仕事に対する大いなる欲。お金が入
ると糸を買い、大事に大事に使いきる。包装紙も買えず、糸が入っていた袋を再利用。わけ
のわからぬうちに私達を可愛がってくださるお客様が増えていった。その方達をうらぎらない
ようにと、私も必死に勉強し、自信を持てないままいくつもの夏を終えた。

 いつのまにか一人では作りきれなくなり、洋裁、編物の出来る方のお世話になることにもな
る。染は全て天然染料で自ら染める。そして人に手伝っていただいてもどこかで私の手を入
れる。仕入れたものでなく自分で作ったものだけを売る店として成長させていただいた。どう
いうものを作れば良いのか、どういう色を出せば良いのか、全てお客様から学ばせていただ
いた。

 町で営業していた時に、夏だけの軽井沢から、夏、秋の軽井沢にと変わって行った。バブ
ル当時の色々な出来事・・・。何が大切かを知っていった日々。

 そして今・・・。肩の力も抜け、気持ちの上では余裕ができた。ほぼ通年化した軽井沢で、当
時と変わらずに糸を染め、機を織り、物を作っている。
 
 現在は、あととり娘を育てながら、自分の仕事をすることも大事にはしているが、以前多くの
方達が私に伝えてくださったように、ここを訪ねて下さるたくさんの方達に、少しでも大切な何
かをお伝えしたい。そんな気持ちになりました。


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