初めて売れた大作


 店を開いた時、私の作品といえば数枚のテーブルセンター、マフラーとショール、そして
十九歳の時、織の教室に通いながら三ヶ月かかって織った綴れ模様のシルクの帯。
その朱色の帯を店の天井から下げた時のことは、今でも脳裏から離れないでいる。今から
三十年も前、材料費が三万五千円。その帯に、当時高いのでは・・・という不安を抱きなが
ら、七万円の値をつけた。

 次の日、スポンサーが連れてきてくださった若いご婦人が、その帯を手に取られた。
それと同時に、スポンサー氏が私を見ておっしゃった。「知り合いだから、安くしてあげてね。」
値切られることなど考えてもいなかった私だったが、それをお断りするすべも知らず、六万円
で帯を手放した。

 当時、一万円札などほとんど見る機会もなかった私にとってその六枚は、とても重いもので
はあったが、お札をにぎりしめながら、なんとも悲しい脱力感でいっぱいになったことが忘れ
られない。不思議な気持ちで家に戻った時、「すごいね!」と単純に喜んでくれた夫の笑顔に
救われた。

 軽井沢で店を持ったことによって、今まで想像もできなかった様々な分野の方が私達に興
味を持ってくださり、誉めていただき、批判していただき・・・。刺激的な日々の扉があの時に
開いたのだろう。そして二年目、スポンサーから独立した。

 あれから二十年余りたった今、そのご婦人のホテルがテレビのコマーシャルで流れること
がある。それを見ながら私は、写真のように焼きついたご夫人の美しいお顔と、朱色の帯を
なつかしく思い出している。

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