お客様第1号


  帯を買ってくださったお客様は、私に大変大きな勉強をさせてくださったが、正直なとこ
ろ、私のやる気を奮い立たせてはくださらなかった。その意味で、第一号の私のお客様は、
伊藤夫人。貸し別荘を利用なさり、長年にわたって軽井沢を楽しんでおられるご婦人はたぶ
ん当時五十代前半にあられたことと思う。「私ね、今回軽井沢に来て色々な店を見たけど、一
番感動したのがおたくのムッシュが着ていたセーターよ。すごくステキ!そしてムッシュによく
似合う!」 高校時代から編物が好きで、多くのセーター編んでいた私。結婚後は新しい糸も
買えず、残り毛糸をつなぎ合わせて編んだ、すごく派手なもの。わが夫ならでは着こなせる色
調。思いもかけなかったものを誉められて、嬉しいやら恥ずかしいやら・・。「ムッシュという言
葉がポンポンでてくる。フランス帰りの方かな?ご主人もなんかとても偉そうな方・・。」その時
伊藤婦人は私が初めて試作した、手織りの茶系のコート(四万円だったように記憶してる。)
を買ってさった。その時の嬉しさは本物!

 その後伊藤さんは、私に手織りの洋服を度々注文してくださった。当時軽井沢のお客様は
夏の何日かを過ごされ、「また来年ね。」とお帰りになる。一年越しの宿題を、私に渡されるこ
とになる。一言で「手織りの洋服」といっても、綿糸を、摘んできたよもぎで染め、織って仕立て
る。充分な機材もなく洋裁の知識もない。仕入れのお金もままならぬ中、幼児二人を育てな
がら大切なお客様の期待を裏切らないよう、寒い軽井沢で作りつづけた。
 
 それなりの努力を認めてくださった伊藤さんは、「ミシンで手織りのものを縫う自信が無い。」
と、白状すれば、「あら、かずこさん、フランスでも高級品は皆手縫いよ。」と励ましてくださり、
「なんか変なふうになっちゃった。」と、おどおどと洋服をお見せすれば、「いいじゃない、すて
きよ。気になったら私がなおすから。 私ってへそ曲がりだからきちんと出来あがったものよ
り、自分で勝手に手を加えられるくらいの方が好き。」そうおっしゃって、決して安くはない代金
をいつも気持ちよく渡してくださった。朝から晩まで休み無く織りつづける私を心配してくださ
り、「かずこさん、ジャマしにきたわよ。そうでもしなくちゃあなた休まないんだから。」
 
 確かに、その頃の私は病気を抱え、食欲増進剤の注射を打ちながら食事をすることも忘
れ、仕事ばかりしていた。自転車で、おみやげを持って訪ねてくださる伊藤さんに、育児の悩
みの相談にのっていただいたり、伊藤さん御自身の人生について、興味深いお話を色々聞
かせていただいたり・・・。小さな娘達のことで相談すると、自らの子育てを振りかえられなが
ら、「子どもはね、雲のようなもの。どんどん見てる間に形が変わるのよ。心配しなくても大丈
夫!」独特な元気さで、いつも私を励ましてくださった。

 長い長いあいだ、そんな伊藤さんに見守られ、「霧下織工房」は多くのお客様が来てくださる
様になり、私と店を育ててくださった。

 今、時代が変わり、当時の風の中にいることはできないが、今までの大切なたくさんの宝物
を時折ひっぱりだしてみたくなる。


                       (昭和54年の回想)
                      平成12年4月25日 記

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