失った友人



 人生半ばも過ぎ、とくに私のように多くの方たちと接してこられた立場にあると、そして友人
もそれなりにいるとすると、新たな友人を作りたいとは思わなくなる。それが事実であるかどう
かは別として、人とつきあうことがおっくうになってしまう。
 そんな私の店にある時やってきた女性。穏やかな彼女は熱心に藍染を習いにいらした。そ
の彼女が、お昼におにぎりを取り出した事がことの始まりである。軽井沢の良い天気の中、
木の下でおにぎりを取り出す彼女に、我が家の素麺を一緒に食べることをお勧めした。
 そんなことは我が家にとってはいつものこと。何の特別なことでもなく、彼女のおにぎりをひ
とつ私は頂いた。ところが彼女はそのことをとても良い思い出として帰宅なさったようで、その
後我が家のためにいろいろ情報を下さったり、暖かく家に招いてくださったこともあった。
 そんな彼女が私に紹介してくださったかたが今回の主人公。Mさんである。

 Mさんは自らが染色家でありながら、50歳を過ぎて、熟考の末、ネットを利用して作り手に役
に立とうと、一人立ち上がった人である。ホームページで自分の仕事の紹介、ギャラリーの情
報、作り手の紹介。そして自分の主張を少しづつかたちに表そうとしていらした。
 彼女の率直な物の言い方と、正面きっての独特な取材、そして面白い記事は、どんなTV局
よりもどんな雑誌社よりも、取材された者を喜ばせた。こちらのひと言から、深い本質までを
見抜く彼女に私は感動を覚えた。
 同じ時代を生きたから通じる物があったといえばそれまでだが、ボランティアでそれをなさる
彼女に密かに敬意を表していた。
 ところがあることをきっかけに、私は彼女と頻繁にメールの交換をするようになり、気が向
けば電話で話をするようになった。話せば話すほど自分が正直になれる。なかなか得られな
い嬉しい存在の彼女に私は深入りすることも全くなく、暖かな気持ちだけを持っていた。
 「いつか私の気に入る企画をしてくださいね。」そんな私の発言を快諾なさった彼女。私はそ
の企画を長い目で待っていた。

 ところが今から一ヶ月ほど前、5月の連休。実に気持ちのよいある日、前述の彼女から電話
があった。「良い話ではないんだけど、ごめんね。」 それは、Mさんの突然の死の報告であっ
た。私はただ耳を疑い、何日も何日も信じる事が出来ず、毎晩彼女のホームページを開くの
が日課になっていた。「管理人病気のため、しばらく更新が出来ません。」 何度も何度もそ
れをみても、彼女が又更新するのでは、と言う期待を持っていた。
 しかし彼女の御主人からハガキをいただき、その日から彼女のホームページトップの言葉
は変わってしまった。「管理人死亡により・・・・。」 そのページを見て、初めて彼女が亡くなっ
た事を認識した。

 それでもまだ、時々あのページを開けてしまう。「ハンドメーカーズクラブ」 主催者の名は 
長野美智子さん といった。御冥福をお祈りいたします。病名は脳腫瘍だったそうだ・・・。

                    (2002年 6月2日記)]]
 


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