自分達の作ったものを買ってくださるお客様がいらっしゃるということに少しづつ実感が持て
るようになってきたある日のこと。三十代とおぼしき御夫婦と少し年配のご婦人が、三人で店
に入っていらした
とてもいきいきとしたその方達は、私達の作品に興味津々のご様子。ていねいに見てくださ
り、その中でも個性的な作品を何点か買ってくださった。当時、我夫はなんといっても世間で
言う、「売れそうなもの」を作るのが苦手で、「エー!誰がこんなもの持つの?」と、ひそかに私
に思わせるような変わったものを多く作っていた。ビラビラが、これでもか、これでもか、と付
いたグレーの皮製のリュック。迷わず手に取り、堂々と身に付けるその奥様に、ピタリとはま
る。私はその時、個性的なものを自分のものとして、スマートに見につけられる方に初めてお
会いすることができた。
その後もその三人の方は、毎年欠かさず我店を訪ねてくださり、三人がそれぞれ、いつも
たくさんのものを買ってくださった。いつのまにか私達の中に、いつもその方達のお顔があ
り、人のいなくなった軽井沢で、その方達を思い出すことで、売れるかどうかわからない次の
年に向けての作品作りの手を動かす力を得ることができた。
当時、五月の連休と八月以外、店を訪ねてくださる方はほとんど居なかった。それゆえ旧軽
井沢の商店街でも、シーズン外は店を閉める方がほとんどであった。私達も、そんな状態で
は食べてもいけず、主人は肉体労働のバイト、私も喫茶店やペンションの手伝い、ピアノの
先生など、できることは全てして生活をつないでいた。雪が降り道路が凍り、誰もいない店に
通い続け、心細くなっても、その方達に似合うものを作ろうとする事で、なんとかやる気を保つ
事ができた。その方達はブランドものも、たくさんお持ちだったが、私達の店を訪ねてくださる
ときは、いつも私達の作品で身を包み、娘達や私にたくさんのお土産を持ってきてくださり、
娘達の小さな手を引いて町の本屋さんで、絵本を買ってくださるのも毎年のことだった。
私達が東京に仕入れに行くと、それに合わせてお食事に招待してくださったり・・・。
どうしてこれほどまでに親切にしてくださるのか不思議であったが、ある日、そのご主人が娘
に話しているのを小耳にはさんだ。「おじさんはね、まおちゃんのパパやママに逢うと元気が
出るんだよ。だから来るのが楽しみなんだよ。」 そうか・・・。そういうこともあるんか。ごまか
すことも、へつらうこともできぬ、ある種不器用な私達は決して世渡りが上手、商売が上手、
とは言えなかったが、ありのままの自分でいることを、その時まるごと認めていただいたよう
な気がした。
その後ずっとそのままの気持ちで店を続け、たくさんのお客様が私達を支持してくださるよ
うになった。
親戚よりも親しくなったその方達は、旧軽井沢から、不便な林の中に移店しても二十一年
経った今でもそのまま、私達の店を訪ねてくださる。ただ変わったのは、一歳と二歳だった娘
達が二十二才と二十三歳になったこと。そしてあの時、少し年配の・・・と書いた、いつもとび
きり穏やかで、娘達の誕生日とクリスマスには必ずプレゼントを贈りつづけてくださったご婦
人が九十歳を越え、ここ何年かお見えにならなくなったこと。
この三人のお客様が、どれだけ私達に勇気を持たせてくれ、どれだけ私達をリッチな気持
ちにさせてくれ、どれほど暖かいものを伝えてくださったか、言葉にするのは難しい。
(昭和54年の回想)
平成12年5月14日
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