昨日のこと。私は埼玉まで作品の搬出に出かけた。13万キロをとうにオーバーした私の愛
車ツードアのサファリに乗って。横には主人が乗っていた。この車を運転できるのは我が家で
私だけ。もちろん、マニュアル車で、渋滞時はクラッッチの操作で足が変になる。
碓氷峠も無事越えて高速も終え、もう少しで目的地に着こうというとき、両側3車線の交差点
に差し掛かった。運転歴は25年ほど。事故は1度。今では優良運転手のはずの私は、主人に
言われていた。「年末だから気をつけて運転しろよ。」と。普段でも、慎重過ぎる運転の私を
驚く人がいるが、この都会に来て、皆のまねをした。黄色信号が赤になったその時、そのまま
大交差点を通過した。「行っちゃえ。」直前に主人のそんな声も聞こえてたと思う。
そうしたら『ピーポーピーポーウーーーー』まるでドラマのワンシーンのような光景。それも、
主役は私?まあしょうがない。立派な信号無視だから・・・。ついて来るようにマイクで言われ
そのままついていったが、あんなに混んだ道でも誰も邪魔をするものはなく。スイスイと進む。
覆面パトカーに誘導された私は、結構その場は楽しんでしまった。
マイナス2点と罰金9千円。期日までに払わねば、埼玉県警まで来ないといけないむね、せ
つせつと聞かされ、「ご苦労様。」と相手をねぎらうゆとりまで私にはあったが、本題はここか
ら。これはほんの序文に過ぎない。
今年の正月に、私に義理の息子が出来た。娘が東京から連れてきた彼を、私は、本当の
息子のつもりで今のところ接しているが、その息子から、10月のとある真夜中、我が家に電
話が入った。事故を起こしたという。
主人とふたりでかけつけると、彼の車はくの字に曲がり、歩道には彼の姿が、ぽそっとあっ
た。相手はたぶん10トントラック。トラックは無傷に等しく中には2名乗っていた。
「車の持ち主ですが、このたびは申し訳ありません。だいじょうぶですか?」中のふたりは怒っ
てはいたが、まあそれをうまくなだめ、様子を聞いてみると「あいつ相当飲んでるよ。信号青
になったで発進したらいきなり飛びこんできやがった。」 100%こちらが悪い。
次の言葉を失い、車がぺしゃんこにはなったが相手も息子も、ほとんど無傷なのが何より
の救いであった。息子のおでこにはたんこぶがひとつ。
そのまま相手は救急車で病院に運ばれ、私達は、2時間半ほど現場検証に立ち会った。
息子はその日が就職して1ヶ月にもならない会社の慰安運動会の2次会の帰り。
もともと、飲まない彼に飲酒反応も出ず、スピードもさほど出ていないということで、警察の
方から普通の事故としての処理で終わるとの説明を受けた。その後、私達は息子を乗せて
病院へ。警察の方は、乗り捨てられたトラックを運転して病院へ。
相手は2週間の診断を受けたそうだがそのまま運転して帰っていった。家に連れて帰った
息子の靴下は、ガラスの破片でいっぱい。足にも少し刺さってはいたが、まあそれほどのこと
もなく、次の日を迎えた。
そして次の日警察へ出頭。車を失った彼を乗せていった私。それとなく様子をうかがってい
たが、「あれで、もし助手席に人がいたら即死。奥さんいるのにあんなことをしてはいけな
い。」などの厳重注意の後、私もそれとなくその中の知り合いに、今後の始末についての助
言を受け、娘夫婦を運送会社に謝りにも行かせておいた。
私の管理下にあったその車はもちろん保険にもはいっていたわけで、後は保険屋さんに全
てお任せすることになった。
そして2ヶ月が過ぎた先日、先方の運送会社からの電話を主人が受けた。「ふたりとも未だ
仕事に出ない。トラックが空いてて損害がある。なんとかしてくれ。」という。信じられない言い
分ではあったが保険会社に電話をしてみた。保険会社でも、相手の車を見ており、そんなに
重症をおったとは思えない、という。それもふたり揃って・・・。でも相手が粘るので、時間が掛
かりそうとの説明を受けた
もちろん、ムチウチは、外からではわからないのだが、ちょっとふにおちない保険会社の社
員と私達。
その後すぐ、息子に検察庁から呼び出しが来た。「相手から2ヶ月という診断書が届いたの
で重症ということで、行政処分。50万以下の罰金。」・・・・・・・・免停?。
トラックとタクシーには気をつけろと聞いてはいたが、なるほど、そういうことか。
もちろん、こちらが悪いのは認めるし、相手には本当に申し訳無かったと思っていた。しかし
今は違う。どう違ったかは、是非察して欲しい。
ちょっとした油断で事故を起こし、滅茶苦茶になった車の中からたんこぶひとつで出て来れ
た息子。血の1滴も見ることが無く、相手もすこぶる元気に思えて、なんと運の良いことかと慰
めたあの日。今もまた同じように慰めている。
「まあいいよ、相手が死んだとかじゃもっと、気分が大変だったし、入院でもしてれば病院に
お見舞いにも行かなければならなかったんだから。自分が悪かったんだから、まあ、これから
元気で働きなさい。罰金は、できれば分割にしてもらいなさいね。」
はたして、彼は運が良かったのだろうか、悪かったのだろうか?
次の日、我が家に訪れた彼らの屈託の無い笑顔を見て、やはり息子は運が良かったのだと
私は思うことにした。
(平成13年12月24日 記)
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