美しい人


 彼女が私の店を訪れたのはもう15年ほど前かもしれない。旧軽井沢でひっそりと織りなが
ら店をしていた私の元に、とても美しい人が気持ちの良い笑顔と共に入っていらした。 「本で
見て是非来たいと思っていたの。」 人懐っこい話し方で私を安心させてくれ、糸をたくさん買
ってくださった。彼女は東京に住むニッター(編み物をする人)であった。自分の欲しい糸の為
なら日本中どこへでも行く,とおっしゃった彼女は、私より2歳位年上であったようである。
 たびたびいらしてくださるあいだに、心の奥までさらけだし、実に様々な話をかわしあった。
彼女の製品の売り方、作り方、材料の選び方の私からの助言にはじまって、編み手の彼女
から私への貴重な意見。何故にそれほどセンスが良いのか何故にそれほど美しいのか尋ね
る私に、非常につらかった幼少期がもとになって自分の理想を探しながら今にたどりついた。
と答えてくださったこともあった。

 あるとき、旧軽井沢の店から、彼女を我が家に案内をした事があった。自宅工房で仕事を
する私の主人に 「ねえ、きれいなかたでしょ!」 私がそんなふうに初対面の人同士を引き
合わせたのはあとにもさきにも、その時がはじめてである。
 いつものように自作のエレガントな手編みのセーターにロングスカート。つばのある帽子を
優雅にかぶり、長い髪をなびかせたエキゾチックな顔立ちの彼女を見た主人が、その時なん
と言ったかは思い出すことが出来ない。彼女も主人を気に入ってくれ、いつもうきうきとした顔
で主人に挨拶をしてくださっていた。
 その後、私の店が旧軽銀座から不便な林の中に移ってもたびたび来て下さった。彼女の丁
寧な仕事にファンも多く、私の糸で仕事が軌道に乗った彼女の存在は、私の励みでもあっ
た。 「どんな色が染まった?」 「きれいねー。」 彼女はいつも2時間ほど私の糸に見入って
店の一角に買ってくださる糸を山にして、どんなにたくさんでも、必ず自分の手で持って帰ら
れた。宅配を手配する、と言う私の申し出も聞かず、「帰りの電車の中で、見てニコニコして
いたいの。」 そう、言いながら大事そうに抱えて帰られた。

 健康法にもいろいろ気を使い、腰痛の私に腰痛体操を教えてくださったのも彼女であった。

 それなのになぜ? あるとき彼女がいらして私に言った。「あのね、末期癌なの。」皮膚が壊
れるまでに放っておいたと言う彼女がどんな思いでそうなさったのか理解は出来ないが、手
術を終えた彼女は以前にもまして明るく変身なさっていた。
 少しずつ編みたくなったから・・。と最後に糸を買いに来てくださったのは、去年の冬。
「見て見て。こんなに毛が生えたのよ。」 帽子をさっととられた彼女といつものように、おそば
を食べに行った。そしていつものように軽井沢駅まで車でお送りした。

 その後、電話と手紙のやり取りを何度かしたが、「私を励まして・・。」 と言う訴えに私はき
れいな花を撮って、ハガキにして送ることしか出来なかった。それもほんの少しだけだった。
 長い電話で話した時は療養中の温泉にいらしたとき。痛みがひどくて自宅に戻られたと言う
手紙を受けてから、なぜか私ははがきを書くこともしなくなってしまった。気になっていたのに
ハガキがかけなくなった私自身の気持ちが今自分でもよくわからない。

 そして今日彼女から手紙が届いた。いつものように大きく書かれた彼女独特の自体で。

 「私旅立ちました。あちらで又、いつの日か会いできるのを楽しみにしております。・・・・・・・・
(中略)・・・・・・。つらい時、嬉しい時、それぞれに、ちょっとだけでも私の笑顔でも思い出して
くれるといいな! それじゃあ バイバイ!。」  
 
 彼女の最愛の姉に託された手紙が、今日今年最も暑い日、私の工房ににぎやかな撮影隊
がいるなか届けられた。たくさんの彼女の知人に届けられたであろうこの手紙は5月に書か
れている。彼女が亡くなったのは6月の末。
 覚悟はしていたけれども悲しかった。彼女の作品作りのためにどれだけ私が奮起できた
か、私にエネルギーを与え続けてくれていたことに感謝したい。

 「ありがとね。いままで・・。あなたはもう来てくれないけど、私、仕事ちゃんと続けてゆきます
ね。やっと痛みから解放されて・・。お疲れさまでした・・・。でも 淋しいよ・・・・。」

                    (2002年7月8日記)

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