石田さん


その御夫婦が私の店に来てくださったのは、開業二年目。昭和五十五年。背の高いご主人
と、とても品の良い奥様。六十代半ばにおみうけした。当時私の店では、科学染料で自ら染
めた糸と並行して、デパートや専門店で買った様々な糸を利用して、マフラーやショールを織
っていた。良いと思えば見境無く糸を買い使っていたが、その中でも、紫とピンクが程よく混ざ
った変わり糸で織ったマフラーを、御夫婦で買ってくださった。今時なかなかいらっしゃらない
凛としたご主人。180センチほどの身長で、背筋をきれいに伸ばしていらっしゃる。奥様はゆ
っくりと、穏やかな笑顔で中肉中背。 「これ、きれいね。」 当時の奥様はそうおっしゃると。
そのまま買ってくださった。石田さん御夫婦も、その後毎年私の店に来てくださった。

 「軽井沢にきて私が寄るのは、おたくと、M店と、F店だけ。」 いらっしゃるたびにそうおっし
ゃって、いつも私の作るものを買ってくださった。奥様が、紫をお好きだということを私が知る
までに時間はかからなかった。私にとって縁の無い紫。色としてすてきでも、私には無理。紫
の衣類など考えもつかなかった。しかしその奥様の品の良いお顔と美しい白髪に、紫色は見
事であった。その時から私は、美しい紫、品の良いピンクを染める努力をはじめた。きれいな
ものができると、とても嬉しかったし、それをすてきに着こなしてくださるお客様に恵まれたこと
も幸せでだった。

 その後すぐ、市販の糸を使わず、天然染料で自ら染めたものだけで織るようになったが、
石田さんに似合う紫を、コチニールで染め、色々なものを作り、ご来店をお待ちした。店に並
んだそれらのものを他の方がご覧になって、買ってくださることも多く、石田さんに早く見てい
ただきたいという気持ちは、はやる一方であった。なにしろ一人で染めて、織って、編む。数
ができないため、めあてのお客様に一番気に入ったものを早く選んでいただきたかった。そ
れでもその前に買ってくださるお客様は、それもまた大切なお客様。そして増えた私の技術。

 毎年、晴天の八月、ゆっくりと歩いて、すてきにおしゃれをしていらっしゃる石田さん御夫
婦。私の作ったちょっとユニークな洋服も、ご主人がさりげなく指差すと、奥様は笑顔で頷く。
そして、お買い上げになる。
 
 明治生まれの、魚の骨も未だに奥様がとって差し上げているとおっしゃる、古典的な御夫
婦。口数の少ないそのご主人が、奥様が席を外したわずかな間に私におっしゃったことがあ
る。「あれにはずーっと世話になってるから、いま、あれの喜ぶ顔を見るのが嬉しいんだよ。」
奥様には決して、そんな意思表示をなさったことはなかっただろう。

 そして十年ほど経ち、私は洋裁を習うようになり、編物を手伝ってくださる方もでき、縫い物
をしてくださる方にもめぐり合い、私の工房には本格的なアイロン、ミシンがどんどん増えて行
った。

 石田さんの好みを熟知したつもりになった私は、紫根染も覚え、のりにのっていた。
ある時、勇気を持って、東京の石田さんにお電話をした。 「紫根で染めたシルクを織って、ス
ーツを作ろうと思うんですけど。十万円で作って良いでしょうか。」 そんなことをしたのは。後
にも先にもその時が初めてである。奥様は電話口でご主人と相談なさり、すぐにゴーサインを
いただいた。サイズを伺い、染め方が非常に特殊な紫根でシルクを染め、布を織り、洋裁の
先生に四万円で仕立てていただいた。

 夏が来て、ボディにその年最高の手間をかけたそのスーツを着せ、石田さんをお待ちした。
店に入られると同時に 「これね。」 顔を曇らせた御主人をよそに、奥様が手を通された。
瞬間、「これはダメだよ。この人の丸い背中がなお丸く見える。」 ご主人の一言で奥様は納
得なさり、その時はショールを買ってくださった。今までにもたくさんショールを買ってくださって
いるのに・・・。その時のショックとありがたさは大きなものであった。その時の石田さんのお
言葉。 「あなた、洋裁しないほうがいい。あなたらしいのがいいんだから。今までのままが、
いいんだから。」  とても大切な事を教えてくださったのだが、そのスーツは、見ているのも
辛くて捨ててしまった。その後も、御夫婦は、私が今の場所に移店するまで毎年来て買ってく
ださった。私が移店して不便になったため、店にいらっしゃらなくなっても、電話をくださった
り、ハガキをくださったり・・・。

 その時から洋裁はやめ、また新たな挑戦の日々だが、無から有の世界に入った私にとって
昔のように無我夢中になることが正直いって、今とても難しい。

 私のお客様の中で、最も品の良い御夫婦、石田さん。石田さんの教えは強く私の中で生き
ている。金婚式を終えたというご主人は、パソコンが趣味とおっしゃり、たしかもう、九十歳を
こえられた。

                   平成12年7月8日 記
                  

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