子育て


 今まで生きてきて、私が一番うれしかったのは、娘たちを産んだ時だと思う。もともと子供
(というより人間)が好きだったので、期待せずして出来た娘たちが、本当にかわいかった。
私が、保母学という学校で、先生たちから学んだことは多く、その中でも、決定的だったの
が、「君たちが子供たちに教えて欲しいのは技術でなく作る喜び・描く喜びだ。」 「君たちは
自分のものさしをしっかり持って、自己実現のできる人を育ててほしい。」 美術や体育の
先生がたが、私に、そんなことを伝えてくださった。
 
 その後、たった2年ではあったが、児童相談所の一時保護所で、保母として働いた私は、
子供の生命力の強さと、子供だからといって、みんながかわいいわけでもなく、保母だから
といって、みんなが望んでやっているわけでもないことを知った。それと同時に,かわいくな
い子であってもしっかり自分が向き合えば、どんな子でも 自分にとって大事な子になること
も知った。

 そんなわけで、女の子をふたり授かった私は、育てるにあたって、「自分のやりたいことが
出来る子に・・・。」「人を好きになることが出来る子に・・・。」 そのふたつのポリシーをもっ
てつきあってきた。子育てとはいっても、育つのは子でなく親の方であることに気づくのも結
構早かったため比較的リラックスして向かい合うことが出来た。

 娘たちが小さかったころ、学校の先生が 「この子はもっと勉強すればのびますよ。」 と
おっしゃってくださっても、「勉強はできなくてもいいんです。劣等感さえない程度で・・。」と、
平然と答える私に、不思議そうな顔をなさる先生もいらしたが、そんな私も、さすがに、高校
受験のころになると、少し落ち着かなくなったきた。考え抜いた末、心中で私は、娘たちに
大学進学が必要ない、と結論を出し、どれだけ気が楽になったことか・・・。一応、その時期
には、私も、苦手な数学の教科書をながめてみたり、娘とともに、英検を受けてみたり、勉
強する親の姿も見せておいた。
 もちろん本人が望めば大学進学も良かったが、結果としては、ふたりとも、専門学校へ進
んだ。専門学校も親子で歩き回り捜したもので、結果はどうあれ、本人も納得はしていたこ
とと思う。

 娘たちは、自分の好きなことをして、自分が好きだ、といえる人間になった。そんなあると
き、友人との集いで私の言った一言に非難ごうごう・・・・。
「子供って、思ったように育つね。」 「そんなの嘘だ・・・。」 まだ受験生を持つ母親たちは
よくよく話せば、もっと良い成績を自分の子供達に望んでいた。自分がどれだけ優秀であっ
たのかをたずねてみれば、みな一応に苦笑する。勉強より大事なことあるでしょうに。

 私の娘たちは、それぞれ、私と主人に似ていて、間抜けだったり、馬鹿だったり・・・。
とても理想の人間などではなく、ほんとに親の顔が見たい、と思える行動をすることもある。
それでもその馬鹿な部分がなんともいとおしい。

 家に帰って靴をそろえることも、食事のマナーも、何も教えなかった私だが、娘たちには
それなりに母親として認めてもらっている。そして成人をとうに超えた今でも、お互い育てあ
っている。

 「どんぐりの木にはどんぐりが・・・。栗の木には栗がなる。あなたたち御夫婦の子が、変に
なるわけがない。」
 娘たちが幼児であったころ、子育てで悩んだときの私にそう伝えてくださった、お客さんの
伊藤さん。生活苦で、食事もする気になれず、ひたすら機をおり続けたあのころにかけてい
ただいた、そんな言葉が今もありがたい。
 同時に私の仕事をずっと見続けてくださっている精神科医のI先生。今、私が娘たちの異
常さのぐちをこぼすと、「あなたたちを親に持って普通に育つわけがない。」 と言い切る言
葉にも今なら素直にうなずける。

 子育てで悩んだらリラックスして、子供といっしょに遊びましょう!
子供に育ててもらいましょう!

                  (平成14年2月4日 記)

トップへ
トップへ
戻る
戻る