車のお話


 私が免許証をとったのは19歳の時。家族に運転する人もいなかったので、車両感覚やス
ピード感などまったく持ち合わせないまま自動車学校に通った。当時東京にいたが、なんとな
く自分は田舎で暮らすような予感がしていて、その時のための準備のつもりでもあった。あの
時は私も若い女の子で教えるはずの教官も実にいいかげん。何もわからぬまま仮免合格。
その代わり本験が受からない受からない。今思えば当たり前だ。結局免許を手にするまで、
運転中サイドミラーを見た事が1度も無かったのだから・・・。サイドミラーは幅寄せの時だけ
見るものだと思っていたのだ。

 そして8年間のペーパードライバーを経て、軽井沢で運転せざるを得なくなった。当時仕事
も無くお金も無いのにお風呂も無く、我が家は赤ん坊2人を連れタクシーで温泉へ行ってい
た。そんな私たちを見かねて母が360CCの箱型中古車を買ってくれた。28万円だった。

 主人は50才を越えるまで免許を持たずにいたので、我が家の運転手は私だけ。「ついてお
いで・・。」 車屋さんに先導されてもエンジンのかけ方も忘れていた私は、どうやってその車
の後を追っていったのであろう。今のようにチャイルドシートも無く、安全ベルト着用の義務も
無く、いつも背中に長女ひざに次女を抱いて運転をしていた。

 当時は暖冬ではなく寒く、道は凍り、泥道はぬかり、どれくらいエンコしたか・・・。そのたび
主人と私は人気の無い田舎道で赤ん坊を乗せたまま後ろを持ち上げ、むしろを敷いたり薪を
踏ませたりしながら脱出したものだ。主人は免許は無くても運転はうまく、私にいろいろ教え
てくれ、あの車でずいぶんいろいろなことを知った。大人3人と赤ん坊2人を乗せ、峰の茶屋
までの長い登り坂の途中で動けなくなり、そのままバックで長い道を戻ったことも懐かしい。
下手な運転で浅草に仕入れに行き、360CCで首都高速に乗りぞっとするほど怖い思いをし
たことも忘れられない。あれ以来主人は、絶対に車で東京へ行こうとは言わない。360CCとい
えば、バイクのようなしろもの。今なら何故あの坂道を登れなかったのかがよくわかる。
 怖いことばかりがおこり、そのたび主人がハンドルを直してくれるので、窮地にたつとハンド
ルを放す癖がついたのもその頃。そしてそれをいつも叱られ、その癖を直したのもその頃。

 そして360CCから1200CC、1600CC、1800CC、2000CCとパワーアップしていった。
それも全て安いワゴン車を乗り換え乗り換え。水が全て漏ってしまい、水を入れ入れ走ったこ
ともあるし、排気管から煙が出まくり、後車に驚かれて注意されたこともあった。「知ってるん
です。」 と笑って応えるほか無かったあの時。そして運転席近くの床が抜けて、板を敷いてし
のいだ車もあったっけ。ぶつけて横がクチャリととへこんだ車は、シートをはがし、中から叩い
てごまかしたし、ぶつかってへこんだままの事故車を買ったこともあったっけ・・
 でも今のサファリはちょっと違う。今までは車屋さんで一番安いワゴン車を買い続けていた
のだが、もう力の無い車はいやになっていた。坂道で発進出来ず、手前の駐車場で信号が
青くなるのを待って発進。そんなことばかりしている事が辛くなっていた。
 
 ある日突然エンジンのかからなくなったボロ車、修理工場までどうにか走らせると、そこでま
たエンジンがかからない。20万で買った車の修理が20万だと聞いて、その場で乗り捨て。
そして言った。「力の強い車にします。なにかある?」そこにあったのがサファリ。横幅が異常
に広いその車を見たとき、旧軽銀座の町に借りている狭い駐車場の枠に入れる自信が持て
ずにためらった。でも、片道2700円のタクシー代を思うと、思わず衝動買い。20〜30万の
車しか知らない私が165万の車を買った。すでに75000キロも走った車だったのに・・・。

 そして、その日から見る夢は駐車場に入れられずにあわてる自分。冷や汗をかく夢ばかり
を続けて見たが、いつも国道でトラックにはさまれるとひやひやと小さくなっていた私が、結構
堂々と走れることを教えてくれたのもこのサファリ。サファリに買い換えた時、高校生だった長
女の態度が変わったことも楽しい思い出だ。それまで、私が迎えに行くときは、さりげなく待ち
合わせ場所に正門を避けていたようだが、「お母さん正門横付けでお願い・・!」
でもこの車がツードアであることも4人しか乗れないことも、買った時点では知らなかった。
4200CCという排気量の割には結構不自由な車である。

 そして何より困ったのが維持費。スノウタイヤ20万?。でも無ければ困る。車検?毎年?
12万?・・・そして次から次からあれやこれやとかかるかかる。お金が無いのに何故か省け
ない。何しろ車のことは何もわからないので、半年点検までまめにしていたものだから。

 そしてある時ふと思った。自分は町の安い健康診断はたまに受けるものの、人間ドックを受
けるのがとても高く思えるという事実。車にあれほどにかけて何故自分自身にかけないので
あろうか。自分がいなくなったら車なんかあっても仕方がないのに・・・。そう思いつつ今回もま
た。

 急な登り坂でギアが入らなくなリ、ずるずるとあとずさりしか出来なくなったサファリの修理が
クラッチ板交換で10万円かかるそうだ。でも買い換えて保険も入りなおすことを考えると10万
では済む訳が無い。またあの車に稼ぎを吸い取られてしまう。まあそれでも良しとしよう。15
万キロ走って、15年乗っている車。(半分は前の持ち主ですが)これにもとことん付き合ってみ
ようと思う。今までの車たちのように・・・。

 そして、私もそのうち泊りがけの人間ドックに行ってみようと思う。それははたしていつにな
ることやら・・・。

                     (平成14年9月26日 記)


トップへ
トップへ
戻る
戻る