パソコン

 
 電気に非常に弱いのに、電化製品が大好きな主人は知人に影響されて結構早い時期にパ
ソコンを買った。それもその知人の影響で買ったのはマック。私は、部屋のいくつもある電気
のスイッチの順番も自分の店の電気の位置も今だにあてずっぽう。テレビの局の数字の番
号も東京からこちらに来て変わったとたんにわからなくなってしまった。それほどの電気音
痴。ウインドウズなどと言われても知る由も無かった。

 そんな私は、主人が買ったままあまり使わないパソコンを見て、なんとももったいない気がし
ていた。今思うと使わないのではなく、使えなかったようなのだが・・・。そして私が思いたった
のが帳簿をパソコンで管理すること。その頃、帳簿は私の仕事であったため、初めてその時
パソコンに触れてみた。今は不思議とその時のことを何も覚えていない。ただ、主人は左利
き私は右利きでどちらかが触ったあとはマウスの位置から変えなくてはいけない。なんでもな
いようでもこれが毎回だと意外とストレスになる。相手のために位置を戻そうというゆとりはお
互い当時持ち合わせてはいなかった。もちろん帳簿も挑戦したものの失敗に終わった。

 私はその前の年パチンコで勝ったお金で主人に普通免許をとらせてあげた。そのお礼にと
買ってくれたのがウインドウズのノート型のパソコン。つぶれる寸前の電気屋で展示品を買っ
てもらった。パソコンが欲しいなどと思ったこともなかったが、主人は自分のパソコンは自分
だけでいじりたかったようである。手にしてしまえば本気になるのが私。商工会のパソコン教
室にも何度か通い、本は買いまくり・・。少しずつホームページ作りにとりかかった。

 狙いはホームページで店を宣伝し、経費で関連費用を落とすため。ところがホームページ
作りはそんなに甘いものではなかった。何からどう手をつけてよいかわからず、購入時につ
いていたフロントページがそれを作るソフトだとわかるまでが先ず第一歩。その手引書を買っ
たのが第二歩。その手引書が違っていたのに気付いたのが第三歩。そんな具合だから進む
わけも無い。主人の友人を頼ってみてもあてにならない面々が勝手に私のパソコンをいじり
まくり、私は蚊帳の外。挙句の果てに買ったパソコンもどうもはずれで、半年でハードディスク
が壊れてしまい全てのデータを瞬時に失った。もちろん保障期間で無料で直ったものの、パ
ソコンの不調か自分の操作ミスかもわからないままのつまずきで、私の体重は減り、眠れぬ
日々が続いた。

 それでも諦めないで、どうにか自力でホームページを完成させた。三年経って、これを見て
下さる方がお店に訪ねてくれれば・・・。そんな思いであった。完成はしたものの、プロバイダ
ーとの接続も出来ず、それが出来ても、アップロードが出来ず、いろいろなところに電話をし
まくりどうにか公表できるようになった。それでも問題ばかり起こったことはいうまでもない。

 店に来る若いお客さんに聞いては助けてもらい、めったに行かない同窓会にも出席し、でき
そうな人をつかまえては訪ね、藁をもつかむ思いとはまさにあの頃のことを言うのだと思う。
尋ねればみんな優しく教えてくれるのだけれど、説明される言葉もわからず、どう聞いてよい
のかもわからないのもあの頃のこと。

 そんな私を助けてくれたのが、ネットで知り合った方たち。彼らは私の救世主ともいえる存
在になってくれた。今こうしてノイローゼにもならず笑っていられるのも、彼らのおかげだと心
から感謝している。そして今、公言している。「私ってね、ネット中毒なの・・・」 今でもパソコン
の知識は微々たるもの。それなのによくもここまできたものだ・・・・・。

                       (平成14年9月28日 記)

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