悔しかったこと


 先日高校の同窓会があった。私は高校が大嫌いであった。誘いを受けても絶対に行かな
かった高校の同窓会。それでも気持ちの余裕が出来て、懐かしい友人に会いたくてついふら
ふらと出かけていった。今思えばあのときから今に至るまで親しくしている友人もいて、高校
が大嫌いだったなんて言わなくても良いのかもしれない。
 
 その日は朝からいい感じですごし、懐かしい友人に会って、以前とほぼ変わらない人とずい
ぶん老けてしまった人たちを興味深く見回しながら、まんざらでもない時を過ごしていた。とこ
ろが、出席なさった恩師の御挨拶を聞いていた私は、思い出したくもないことを思い出し、と
ても不愉快な気持ちになった。その先生はこんなことをおっしゃった。「皆様に、もしいやな思
いをさせたとしたら、教師であった自分も若かったということでゆるしていただきたい・・・」と。
その先生に対しての悪い思いは記憶がないが、私には許せない教師がいる。何年も何年も
悔しい思いを持ち続け、私の価値観を狂わせたあの教師・・。

 私の卒業の時の担任は音楽の教師。私は勉強にはほぼ興味がなかったが、音楽だけは
大好きで自信もあった。小さい頃からバイオリンやピアノを習わせてもらっていたので音楽の
知識は誰にも負けなかったと思う。歌を唄うことも小さい頃から大好きだったので、音楽では
最高評価以外を受けた事がなかった。小学校1年から高校2年までは・・・。

 そして運命の高校3年生。音楽は選択であったが、全出席さえすれば5段階評価で4という
噂さえあった。そして音楽が大好きだった私は、もちろん休まなかった。ところが担任でもあっ
たその音楽教師は控え室でコーヒーを飲むばかりで授業をしてくださらない。何度もそんな事
が重なり私と友人は立ち上がった。「授業をしていただけませんか?」
 「どうも御忠告ありがとう・・。」 それが曇った顔になった教師の答えであったがそれは彼の
気持ちを怒らせたらしい。その後授業があったかどうか忘れてしまったが、その時は別に何
を思うこともなかった。ピアノが1台ある小部屋での最後の実技テスト。その時の意地悪そうな
顔はなんとも私を不安にさせた。

 偏差値と受験。その中で重かったのが内申書。内申書は当時、生徒が開けてはいけないも
のであった。固く閉ざされた茶封筒。ところが私はどこからか変な知識を授かっていた 。「湯
気を当てるとひらくのよ・・・」 私はそれを実行した。そして見て唖然とした。音楽の5段階評
価が3であった。それはどう考えてもありえないことであった。「他の優秀な人に私の5を上げ
たの?」私は4年制大学に進むつもりはなかったので、そういう人のために、私の5をあげた
のだと思うことで自分を納得させた。私が進みたかった学校は、その時の内申書で充分なこ
とも知っていた。
 
 ところがそれを母に言うと、母が怒った。「先生に言ってあげようか?」 私にとってそんな恥
ずかしいことは出来ず、その時は母をなだめる側にまわった。それでもなんとも許せない気
持ちをその時、私が信頼していたたったひとりの先生に打ち明けた。するとその大好きだっ
た先生は、困ったお顔でおっしゃった。「そうですか・・・。でも君がやったことは悪いことだ
よ。」 その言葉に私がどれだけがっかりしたか。でもその先生には今でも悪い感情は無い。

 その時以来、私は自分より立場の強いものに逆らっては損することを思い知らされ、多少
世渡りがうまくなったかと思えばそれを伝えてくださったあの教師に感謝しても良いのかと今
なら思える。

 どんなことにもほとんど悔しさを感じない私が、何故にこれほど悔しさが残り、あの教師を恨
んだかというと・・。それ以来私が音楽に興味を失ってしまったから・・・。それ以来私の正義
感が、打算的になってしまったから・・・。それが私を育ててくれたと言えないことはないが、そ
んなことで生徒を傷つけないで欲しい。すごく悲しかった。それを今教育者に伝えたいと思う。

                    (平成14年10月7日記)

PS・・保母になり子供たちが私の音楽好きを復帰させてくれました。気を取り直し子守唄も手
   遊びもほぼ自作で伝えました。わずかな時間でも保母をしてよかったです。
 

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