休養中に


 昨年の11月から今年の1月まで、なにやらやけになって働いた。平成14年という年は不可
思議な年であった人が多いようだが、私も今までにないほどいろいろな事があった。難題とも
いえそうな様々なことを乗り越えるために無理を承知で3個もの作品展の仕事を請け、それ
にむけて必死になりベッドで編み物をしながらいびきをかいていた・・・・と家人に言われるほ
どめちゃくちゃに働いた。普段肩こりのほとんどない私の肩がキンキンと痛み、悪い病気にか
かったのでは・・と疑うほど。
 それでその仕事を終えたら私は自分に充分な休暇を与えようと決めていた。車にパソコン
を積んでネットで遊びながらのホテル住まい。そして大好きなパチンコのやり放題。そんなイ
メージをもっての1週間ほどを今過ごしている。ホテルに着くとまずは、作品展に来て下さった
方たちにはがきを書いた。それぞれの方たちの顔を浮かべながら、ゆっくりと書いた。ところ
がネットで遊ぶのはなかなかままならない。つなげられるホテルを見つけるのが難しく、設定
にも自信がない。私が出かける範囲と言えば結局半径30キロくらい。都会ではネットが繋が
るホテルが多いと思うがこの辺では未だわずか・・。 
 
 それでパチンコ屋さんで過ごすのが最も多くなった。若い頃は朝早くからよくパチンコ屋さん
の前に並んだが最近はそんなこともほとんど無くなった。ところが新規オープンした大型店の
近くのホテルをとったものだから、朝から並ばずにはいられない。
 雪の積もった寒い時期なのに、どこからともなく集まるたくさんの人の列の一員になってい
る自分がなんとも懐かしく嬉しかった。そこで長い間並ぶ間に、いろいろな人たちと話がはず
む。
 今朝は特に楽しかった。くじで早い順番を引き当ててしまった私は、並ぶのも最初。その近
辺には見たことのあるような叔父さんが一人。60代後半だと思われるその人とは、以前、長
時間隣同士のバカボン(パチンコの機種)で並んで打った事がある。バカボンが好きだったそ
の叔父さんは8万円でバカボンに白ウナギをつけたジャンバーを注文制作で新調し、東京ま
でバカボンをやりに行ったそうな・・。思わず大笑いしてしまった。

 「新しいことに挑戦しないと頭ぼけるよ。」 家人にそういわれてスロットに挑戦し始めた私。
 最近師匠を得て、スロットが少しだけ出来るようになった私は、その叔父さんがスロットが出
来ないだろうと決めつけ自慢げに話した。「もう私はパチンコはやらないの。最近パチンコひ
どすぎてつまんない。」 するとその叔父さんは左手を出してこう言った。「昔名古屋でスロット
やりすぎて指が曲がった・・。」と。終日の回転数などマニアックな話が多くなり私にはついて
ゆけなくなった。隣の少し若い叔父さんも、手をひろげてみせてくれ、「身障者になったから、
メダルが手からこぼれるんでスロが出来なくなった・・・。」 彼の手は右手の指が第一間接か
ら4本とも無かった。
 私よりもっともっと遊び人の中に混じってなんかとても楽しい気分になってしまった。顔見知
りの人たちがなにやらかにやら話しかけてくる。全く氏素性も知らないのに、その時限りの
不思議な連帯感に楽しいひと時を過ごすのだが、いざ開店となると誰も、他人の動きは関知
しない。自分だけの世界にそれぞれが入ってゆく。

 誰が勝ったか負けたかも知らず自分の遊びに没頭する。そして私は今日は長時間勝負で
3日分の宿代が出た。でも、昨日までにたくさん負けているので、あまり自慢をすることは出
来ないのだ。

 遊び終えて帰ってからネットにはつなげなくてもホテルの一室でパソコンと向き合い、独りで
こうしていることこそ、私のイメージした私の至福の休養である。明日は家に帰る。
 休養が始まった頃は新しい作品のイメージが膨らんでいたが、休養が長くなると、このらくち
んさにはまってしまいそうになる。これから良い感じで仕事が出来るのか、怠け癖がついたの
か今の私にはわからない。軽井沢で店を始め、24年間で初めてとった気ままな休暇が今終
わろうとしている。

 またいつかこういう休暇をとりたいと思う。これからは自分を楽にさせてあげたいと心から思
っている。今まであまりに頑張りすぎたから・・・。

                  (平成15年1月27日 記)
 

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