物を生み出す

 
 物を作っての生活が長くなり、それなりに何かを人に伝えたくなってきた。学生時代絵画制
作の先生に伝えらたことがある。「上手じゃなくていい。作る事が好きになればいい。」 
 私はもともと絵が下手で不器用で学校の成績でよい点を取るお手本のような作業は特に苦
手であった。それでも遊ぶ事が好きだったため、写生とか、ごっこ遊びで物を作ることは大好
きであった。そんな私が19歳の時、絵画の先生は正直におっしゃった。下手だけど面白い絵
だね・・。その先生の笑顔に愛情を感じ、私は物を作る事が大好きになった。

 霧下織工房を始めた頃、目のこえたお客様がおっしゃった。「あなたの作ったものが着たい
の。下手でもいいから、私はへそ曲がりだから、自分で直して着るから・・・。」
「あなたが上手になったらあなたの作品の魅力はなくなる。」 若かった私にはその意味があ
まりわからずにいたが、手で物を作りお金を稼ぎ、子育てもどうにか出来た私には、今はっき
りと若い物づくりのかたたちに言う事が出来る。「上手に作るなら機械がすればいいの。あな
たを感じさせる物を作り続ければいい。」 と・・・。
 もちろん、プロならば、作品にその値段の価値が無いものをつくるのはいただけない。しか
し、手作業を感じさせないほどきちんとしたものを作ったのではあまり意味がない。どこかしら
遊びごごろのある、空気の入る隙間のあるようなものが出来上がれば望ましいと思う。
 ただ、付け加えないといけないのは、私はあくまでも物作りであって、職人ではない。同じも
のを精魂込めて作り続ける職人さんは尊敬しますが、私はそれにはなれなかった人間であ
る。どこか抜けたような物でも、自分なりに出来るだけの努力はして作品を作り続け、ここを
訪れる方たちにもなるべく正直に接してきたつもりである。

 体験教室を指導していてよく感じる事がある。「私不器用なんです。」 そうおっしゃる方ほど
良い物を作る。ここではあくまでも体験なので、理屈よりも私や弟子の説明をよく聞いて下さ
るかたほどよいものが出来上がる。私たちは仕事なので、見本作りはいくつも並行して作業
を進めるが、体験教室ではそれ一作に精魂を込める。だから見本よりもずっとよいものが出
来上がることも多いのだ。
 逆に作ることに自信があるかたは、私達の説明をあまり聞かず、自分の思い込みで作業を
進めてしまう。私もそういう場合無理に自分の世界にひっぱりこまないでいる。そうなると狙っ
た柄がぼやけてしまったり、絞りが絞れていなかったり・・。
 それでも、自分の作ったものに皆が満足なさる姿が嬉しくてこの仕事も大好きだ。

 初心者で糸を買ってくださり、編み物に挑戦なさるかたにもいつも伝える。「めが揃わなくて
もいいから、必ず仕上げてね。いつでも聞いてくだされば説明はしますから・・」 そして、編み
物が好きになった人の作品も、みなそれぞれ立派な物! その人らしさがどこかに出ている
のが本当に不思議で、また感動でもある。

 私がよもやま話のトップページで下手な絵を描き続けているのも、上手じゃなくてもやってい
て楽しい、ということを伝えてゆきたいから・・。私の友人で絵の専門家がおっしゃる。「あなた
のトンボはトンボじゃない・・」 って。「それでもあなたがトンボって言うなら、それでいいじゃ
ん。」 厳しい言葉の中に彼女の愛情を感じるから私はパソコンの練習も兼ねて、書き続けた
いと思う。パソコンを丁寧に教えてくださったかたの好意を無駄にしたくないと言う思いも強い
し、やらなければきっと忘れてしまうから。

 ここまで綴って気が付いた事がある。やはり物を作ることはその人の生きてきた背景をどこ
かにそのまま映し出す。器用不器用ということと関係なく、作りたいと思う気持ちが何より大事
で、それを実行さえすれば、必ず自分らしい物が生まれてくる。
 なにしろ、作ったものは自分の目の前に存在感を持って現れるのだから・・・・。

                   (2003・7月1日 記)



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