恩返し

 私が小さかった頃、6畳間に蚊帳を吊り家族5人が一緒に寝ていました。そんな時私はい
つも父母にお話をしてくれるようにせがんでいました。「7匹のこやぎ」や「バカ婿のはなし」「と
んち彦一」や 母がその場で考える話。聞いてる私は内容はたぶん何でもよかったのだと思
います。そばに誰かがいてくれる安心感が欲しかったのだと思います。
 
 そんななかで、恩返しの話は子供の私にもせつないほどの美談として残りました。自分で童
話を読むようになってからも「傘地蔵」や「ごんきつね」。「鶴の恩返し」などにいたっては、私
の人生を方向付けるものにさえなってしまいました。自分の体を痛めてまで織った布がどんな
ものだか私には知りたかったし、そんなものに挑戦しようといまだに思っている自分がなんと
もいとおしく思えます。もちろん、それほど一途にいまさらなれるわけもありませんが、みた事
のない色を染め、みた事のない物を作ろうとする意欲だけはどうにか保っています。

 さて、ふと自分の人生を振り返り、それと同時にたくさんのかた達の顔が浮かびます。嫌な
人の顔も浮かびますが、だいたいが今まで私を育ててくださった先生やお客様の顔。先生と
言っても染め織りに関してではなく、どんなささいなことでも、私に自信を与えてくださった先生
たちのこと。お客様、と言えばもちろん、新聞代も払えなかった頃、私の自信の無いそれでも
高価な作品を毎年買ってくださったかた達。そして買ってくださらなくても私の心に刺激を与え
てくださったかた達のこと。今でこそそれなりに食べて行ける安心感はありますが、始めてか
ら15年は不安といつも一緒でした。

 当時、いらしてくださるかた達は 「あなたたちから元気をもらう。」 とおっしゃっていました
がその意味も理解できずありがたい気持ちを、心を込めてのお礼で表すことしか出来ません
でした。お茶をお出ししたり、あいさつの賀状を出したり、せめて私の生活の報告を、と思い
書き始めたのがこの文章でした。小さなエッセイ集にして手渡しでお渡ししていました。

 でも今なら、もっと違う形の恩返しが出来るのではないかと考える事があるのです。そんな
ある日、(昨年のことですが) 年配の男性と話をする機会がありました。そのかたはサラリー
マンでいらしたようですが、私のその思いをとても理解してくださり、こうおっしゃいました。「私
も先輩によく御馳走してもらい、飲みに連れて行ってもらい恐縮してその思いをある時伝えた
ら、『それは、おまえが出来る時が来たら自分の後輩にしてあげればよいことだ。』たしかに
そうなんですよね。恩返しはその人にしなくてもいいんですよ。」 「でも、私が後輩におごろう
にも、最近の若いもんは『仕事後まで上司につきあいたくない。』なんていって、帰っちゃうん
ですよね。」 と現代の事実の話をおまけにしてくださいました。

 その話を聞いたときに、恩になったその人に返すという童話とは少し違うのですが、人間の
歴史を思えばそれがどれほど大事なことかわかった気がしました。確かに、そのようにして次
の世代や周りの人とかかわってゆく事が互いを育てあうことにもなるし、心穏やかに過ごすこ
とになるようにも思えます。

 人間には感情がつきもので、誰にでも優しく誰にでも穏やかに接することは私にはとても出
来ませんが、私を大事にしてくださったかたたちを思い、私もここに来て下さるかたや、私と
好意的に接してくださるかた達をなるべく大事にし、作品作りにはこれからもずっと当時得た
一生懸命さを無くさずにかかわっていこうと思っています。

 思いがけぬ時にそのかた達に出会う事があるのです。しばらくぶりに訪ねてくださる事があ
るのです。そんな時に、恥ずかしい店でないように・・・。恥ずかしい私でないように・・・・。

 そのかた達に改まった恩返しなどどう考えても出来るわけがないですものね。

                     (2004・4・3記)


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