おばさん


 いつごろのことだったかしら?テレビで 「オバタリアン」 が盛んに活躍していたのは・・・。
小気味よいほどずうずうしくて、店では目を覆いたくなるほど品がなくて・・。それでもなんとも憎めない、そんな 「オバタリアン」 を結構遠い目で楽しんでみていた私。でも 「オバタリアン」は誰にもあまり好感はもたれなかったのではないかしら?

 それからしばらくして巣立ったはずの娘が自活の道からまたここに戻ってきてから、彼女とはしつこいほど限りなく話し込んだ。そんなある時彼女が言った。「私ね、おばさんって好きよ。やさしいんだもん。」 朝2時間のスーパーのパートででおばさん達と接することが多い彼女は結構おばさんたちに良くしていただいていたようだ。たしかにおばさんはだいたいやさしい。
私も見知らぬ土地で場所を尋ねるときおばさんを眼でさがす。男の人はいい場合と悪い場合がはっきりで、怖い顔で「オレが知ってるわけないだろ?」 みたいなことを実際に言われてからは敬遠している。おばさんたちは大体丁寧に教えてくださることが多い。やさしいおばさんはほんとうにすてきだと思う。

そしてある時どこからか聞いた情報。 「おばさんはすぐ人にものを聞く。」 確かにそうだ。自分のことをそのままいわれているような気がした。そしてその反対に、知っていることをすぐ教えたがるのもおばさんかもしれない。
 ある時娘にこぼした。「人がものを教えてるのに、ありがとうも言わないのよ。私だったらすぐお礼を言うのに・・。あのね、駅で切符を買うのに困ってる人がいたんで教えてあげたのよ。・・どうやってやるんだろう?っていうから説明したのに・・。」 すると娘が即答。 「それはその人の独り言で お母さんに聞いてたわけじゃないわ。」 なるほどね。そう言われてみればただのおせっかいなおばさんか・・。

 私は充分におばさんですが、店にいらっしゃる常連のお客様に時々惑わされてしまうことがある。「長い付き合いですけどいくつになるんですか?あなたはおばさんっぽくない人ナンバーワンだって家族で話してる・・。」 などと言われるとなんだか嬉しくなるのは何だろう。
 そしておばさんっぽい行動を少し意識して変えてみた。なんでも人に聞くのは、自分が探すのが面倒だから・・。なんでもおせっかいしたくなるのは、やはり余計なことかも・・。という発想からまず行動に出るまでに一呼吸。 (もちろん気のおけない人には甘え放題ですが、それはまた別の話です。)

 私の父が50歳くらいの頃、若かった私は父の行動を見て 「なんと不器用な人だろう。」 と思っていた。少し前の私は全くそのときの父の姿と同じ。財布から小銭を出すのもかったるく、新しいパッケージをどう開いてよいものか解らない。説明書など全く読む気もせず、店に行けばある場所を店員にすぐ聞く。そんな自分を分析すると、脳の働きが鈍くなったのはもちろんですが老眼がひどいことでそうなっていることも原因であることがわかった。無意識のうちにだんだん情報を得ることが難しくなっていたようだ。

 そして、遠近両用コンタクトに挑戦した。眼鏡がいやなのは顔が小さくて鼻が低いから落ちてくるから・・(これは友人が鼻が低くて眼鏡が落ちるの・・。と言った時、自分もそうだったことに今さら気付いて笑ってしまった。) それと、眼鏡をかけた跡がいつまでも顔に残るのがいやだから。
 そのコンタクトが、まだまだレアなもので、地元で3ヶ月調整したがだめ。お客様に紹介され東京のコンタクト屋さんで3ヶ月。ようやく最近自分に合うものに出会えたが、その間嬉しいことがたくさんあった。店で複雑なものも (肥料やPC関係のものなど) 自分で探す気力が戻ったこと。レストランでメニューが読めるようになったこと。携帯メールを目を細めずに操作できるようになったこと。そしてなにより、パチンコ屋さんでデータがクリアに見えるようになったこと。もちろん若いときのようにはいかないけれどそれはしかたがないことで・・。
 もちろん、目の見え方だけのことではなく、仕事に対して、人との接し方に対しても、私自身がこのまま止まってしまわないようにとの無駄な抵抗も忘れない。

すてきなおばさんになりたいような、おばさんを通り越してかわいいおばあさんになりたいようななんか今は不思議な気持ちです。 お姉さんがおばさんになって,おばあさんになるのは当然のことですが、いつでも小さな抵抗をしてゆく自分もしばらく認めてあげたいと思う。

(少し経てばこんな抵抗もやめてこれを読んで苦笑して、どっぷりとかっこいいおばさんになりたいと思うかもしれないです。)

                     (2004・11月19日 記)



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