特集バックナンバー01
Special Backnumbers

 頭の上の方に、原爆かなにかのきのこ雲をふき上げている。頭にベールをかぶった得体の知れない巨大な怪物。足元にいるのは、怪物の正体が見えなくて右往左往している人間。

ボタン(B) (1988)より先立つこと21年前の作品だが、指先や空の迫力ある細部が写真では伝えきれないのがもどかしい。


           
  
プロフィール        1917年、熊本県生まれ。50年代から「初年兵 哀歌」シリーズなど銅版画制作を展開。53年、サンパウロ・ビエンナーレ出品。64年〜65年、滞欧。79年、ウイーン、アルベルティーナ美術館個展。89年、仏政府シュバリエ章。93年、大英博物館日本館個展。96年、浜田 知明の全容展。


この一点

風景
浜田 知明

   1967年   
エッチング
363×461


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人間の愚かさ暴く戯画

 戦後六年目に初めて発表された「初年兵哀歌」シリーズの救いのない人間風景に、人々は、戦争体験の深化をはかろうとする一人の画家の頑強な姿勢を見た。

 そこには、自分が正義の側に属しているという意味での楽天主義はない。つまり浜田知明の絵は告発ではない。そのことに気づいた人はわずかだった。

 やがて作品は人間社会の理不尽で滑稽な現実に及んだ。容赦のない戯画的世界が展開した。海外でも高い評価を得たが、彼自身は国際的などと呼ばれることを嫌った。コンクールへの出品は早々とやめ、団体もさっさと退会した。東京芸大教授への就任も断わった。

 およそ人の欲しがるものを欲せず、作品を作る本質と無縁のことは断ち、自分一人の等身大の感覚に生きた。一切の名声も地位も差し置いて、すなわち戦後も一兵卒の感覚に徹しきったのだ。人間の風景が限度にまで明晰に見えていたのは、むろんそのおかげである。

(読売新聞2001年3月11日付「絵は風景」芥川喜好氏の文より抜粋)

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