『<私の>シベリア、そして<私の>の地球』と題して、<シベリア・シリーズ>で有名な香月泰男(かづきやすお)の没後30年記念回顧展が今年末まで全国を巡回している。それに合わせて、当館の常設展示の中から「五月七日/上野動物園にて」を紹介したい。
この作品は、戦中銃殺毒殺された上野動物園の多くの動物達への鎮魂の思いからつくられた。シベリア抑留中の苛酷な強制労働の中で、画家としての熱情、かけがいのない家族への思い、望郷の思いが彼を支えつづけた。帰還後、日常の生活の細部にかつての戦争体験が重なる。香月の終りのない渇望感が創造力の源となったと思える。
■プロフィール
1911年 山口県大津郡三隅村に生まれる。1931年 東京美術学校西洋画科に入学。1943年 召集令状(前年)を受け、満州のハイラルに配属されるも。陣中作品を作りつづける。
1945年 敗戦後ソ連軍にシベリアの収容所に移送され、過酷な労働を強いられる。1947年 帰国。三隅の家に戻り、美術教員に復職。そして、渡欧後「シベリア・シリーズ」を本格的に再開。1974年 死去。享年62歳。
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この一点
「五月七日/上野動物園にて」
香月泰男
1970年
銅板画 8枚1組
クリックすると、作品が観られます。
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昭和十一年、東京美術学校油絵科を押し出されるようにして私は卒業した。美術学校の隣りは今もって動物園である。一日中動物園に住む、獣達の退屈なわめき声が教室まで聞こえた。声だけでなく体臭までただよって来るようであった。それほど動物園とはなじみ深いものだったが動物園を訪れることはまれであった。
今にして思うことだが動物園の連中は本能そのものの生活で、我々学生の抑圧された青春とはあまりに異なっていたから−。
しかしそれでもなぜそのころ動物園を訪ねて勉強しなかったかと後悔している(そのころ私は若い人間の方に−。これまた至極自然ではある)。
今日こうして見る動物園は昔日のおもかげは僅かしかない、私がかつて接した彼等彼女等の大半は戦中銃殺毒殺されたであろう。今册の中、檻に暮らしている彼等を見ていると私がかって過ごした兵隊、シベリアでの自由のなかったころを思う。まずしくとも自由だ!!
香月泰男(1970年 大阪フォルム画廊発行の銅板画集に寄せて)
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