おつうの織った織物、浜辺の木の枝に忘れられていた天女の羽衣。小さい頃から織りをし
てみたかったのです。それでもその気持ちは表面に出るものではなく、心の奥のそのまた奥
にあったものでした。
19歳のとき、本当に織ってみました。のみこみの悪い生徒でしたが、織ることが大好きにな
りました。大きなお腹を抱えて、草木染めの教室に通ったこともありました。まさか、それが仕
事になるとは思ってはいませんでしたが赤ん坊がふたりいても、まだ織っていました。職のあ
ても無く、皮細工をする主人に説得され、8年前に若さだけを頼りに、東京の中野から、軽井
沢にやってきました。
たまに訪ねてくれる父が、見るに見かねてお小遣いをくれると、「1万円札久しぶりに見た
よ!」 などと思わず言ってしまうような生活でしたが、好奇心と珍しさで過ごしてきたようで
す。不思議なご縁で、店を持つことができるようになり、また今は大家さんのご好意から主人
とふたり並んで店をすることが出来るようになりました。
1年目。私のものといえば、学生時代に作った絹の帯が1本に、テーブルセンターが数枚あ
っただけでした。素人の強み、私はどんどん新しい物に挑戦しました。今までに見たことが無
い物をと、それこそ必死でした。織った物をなるべく無駄にしないようにデザインをし、形を作
っていきました。どんどん染めていくうちに、習わずに自分で物を作る楽しさを覚えました。
染め上がると少しくらいムラがあっても、それをいかに面白く使うか・・・。自分で染めた物は
やはり可愛いのです。絹糸も麻糸も使ってみました。
伝統工芸の織りをなさってる方が、私の作ったものを見ておっしゃいました。「あなたには感
心せられます。わたしらはこの伝統の織りからなかなか抜けられないのです。新しい物をしな
いといけない時代ですが、それが難しくて・・・」 織りの常識を超えたようなわたしの製品。び
っくりしたお顔で誉めてくださいました。私がもし、あの方の弟子だったら叱られたでしょうが、
その方の大切な糸を、分けてくださいました。
これから霧下織工房が、どのような定まり方をするかわかりませんが、この、軽井沢の霧の
下で年々うまみを増していきたいと思っています。
それとは別に、今度は売るということ、難しいです。自分で作ったものを売り込む、というの
は本当に出来ません。私の叔母で、商売上手な人がいます。「自分で嫌いな物でも、買わせ
るのが商売よ。」 そう言って教えてくださいますが、自分の作ったもので、嫌いな物があろう
はずもなくまた逆に、だからこそとても無理に勧めたりすることは出来ないのです。
お客様が『どうも一つ気に入らない。』という顔をなさると、こんどこそと心の中で思い、「来
年もまたみにいらしてください。長い目でよろしくお願いします。」 となるわけです。そういうか
たが見てくださってあまり良い物が無い時は、恥ずかしくて隠れてしまいたくなる思いです。
あれもこれもしたいことだらけで、店の経営云々を言っている暇は無いようです。商売のし
の字も知らなかったわたし達夫婦が、よくここまで娘達ふたりを大きくしてきたものだと我なが
ら驚きます。
お客様、本当にありがとうござます。おつうと、天女様にはまだ、数十年、見に来ていただく
くのを待っていただきたいと思っています。
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