たった一人の裁判

    
   六十一年三月に父が癌で亡くなりました
   いろいろ症状を訴えながら二年通った病院で 発見された時はもう末期
   毎日付き添いをしていたのに 家族のいなくなった午前三時
   静かに亡くなったそうです

   家に帰った父の顔を消毒綿で拭いたとき されるがままに戻らぬ皮膚を見て
   死の実感をもちました
   病名の追求もせず もどかしいほどわがままをいわない父でした

   七十七日の入院生活
   死の直前の状態の看護婦と医師のあまりにもちがう説明

   その時からわたしのなかで たった一人の裁判が開始されました
   乏しい知識と 断片的な事実をつなぎ合わせ
   医者を演じたり看護婦を演じたり

   遺族の立場の発言は真に迫ったものでした
   苦しみのさなかの度重なる検査
   重ねても重ねても 不充分な医師の対応

   父の体がどうしてあれほど辛いのか
   何をしてあげることができたのか どうしても知りたかったわたし
   なぜあんなにあっけなく死んでしまったのか・・・・・・・

   毎日淋しそうに夢に現れ続けた父が
   ふっくら笑顔で現れました
   三ヶ月目の命日でした

   「首から下に癌が九箇所もあったそうだよ。」
   「えっ そんなに それじゃあ大変だったのね。」
   父の口からのこの言葉にやさしい気持ちにさせられて
   たった一人の裁判が静かに終わりをとげました



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